八十四、一人戦う君を迎えに。
教会の鐘が鳴った。ハクザンの方向から聞こえてきた戦いの音と、天に伸びる煙を皆に伝えるために鐘が鳴った。
教会で寝ていた者は肩を寄せ合い、身を震わせて周囲を窺い、起きていた者たちは武器を抜いて町を見た。
エボニーやエルフが戦っていることを知らない彼らにとって、これは喜ばしい変化ではなかった。
慌ただしく側近を集めるウワン・クーターはゴールドバレーから別動隊が出ているという話が来ていないのを確認し、不安げに町を見ていた。
「神印」を探しに探索に行く話は纏まっていたが、周囲の状況確認などが必要だとして、探索隊は出ていなかったのである。この場をどうやりすごし、探索隊の出立の日程を見合わせるべきか。そんなことを考える彼が、側近たちが、冒険者たちが、ハクザンの住民たちが見たのは、たった一人で町に向かう少女の姿だった。
手には槍と提灯を持ち、黒衣を朝風にたなびかせ、「杯と純潔のヴァイス」はハクザンの町へ向かっていたのだ。
誰もが彼女の背に向かって言葉を発することが出来なかったのは、そこに神を見たからだろう。
時の訪れを感じて動き出した彼女を縛るものは何もなく、ただその身に燃え盛る熱情のままに力を高ぶらせることで生じる神気が、観衆と化した彼らから声を奪っていた。
「嫌な女ね、ドーリーも」
しっかりとした足取りで歩きながら誰も居ない空間に向かって独り言つヴァイスは、一度教会へと振り返って笑った。
「そっか、あたしも変わらないか……」
誰かと話しているかのようなテンポで繰り出された言の葉で、彼女の中で何かが切り替わったのだろう。
目を細めて提灯を揺らしてブラックドッグを召喚し、再びハクザンの町を目指す。
力を奪われた時には五頭しか現れなかった黒犬だが、今回姿を見せたのは十五頭であり、そのどれもが通常召喚できる個体よりも一回り身体の大きなものだった。
「強くなる方法を教えても誰もあいつと並べない。一緒に戦えないなんて、ほんと報われないわ」
ブラックドッグの背に跨り、一気に町へと駆け出したヴァイスの呟きは風に流れて消え去った。
教会から戦うためにヒトが出てくるまであとどれくらい時間がかかるのだろうと、偉業を成しえた男の姿を脳裏に描いて、女神は鋭く息を吐いた。
一方、教会に置いていかれた形となったウワン・クーターを始めとする、戦える者たちの反応は様々だった。
上の判断を仰ぐ必要のない者は身内で手早く相談をして戦装束を整え、判断が必要な者は必要な道具をかき集める。
そして判断を下す立場にあるウワンはと言うと、冷や汗を大量にかき、ドタバタと大慌てでメンバーの選出を進めていた。
ヴァイスが神であることを知っている彼は、ここ一番というタイミングを逃したことで焦っていた。
探索について何も口を挟まれることがなかったので自由に動けるものだと思っていたが、そうではないのだと気が付いた。
ヴァイス自らの力で満ちたこの場所に来ることさえできれば、後はどうだっていいのだと理解したのだ。
エボニーと普通に話す、力を失った神として馴染んでしまったがゆえに判断を間違えた。神と一緒に行動しているのなら、彼女を頂点として動くべきではなかったのか。手早く指示を出しながら、ウワンは己の信心のなさを悔いた。
ヴァイスがこの状況を見たのなら、まずは星の民を軽く見るのをやめるべきだと言うだろうが、彼がそこまで考えることはなかった。
教会をいち早く飛び出て、ヴァイスに続く形となったルイーズ、ノア、アイネスの三人は、戦闘状態を維持して町を目指していた。
道中はヴァイスが倒しただろうモンスターの死骸があちこちにあり、槍で貫かれたのだろう穴が見受けられた。冒険者としての性か、ルイーズが「素材持って帰れたらなぁ」と愚痴る姿はあったが、彼らとてゴールドバレーで優秀な冒険者である。戦地に居るということを忘れたりはしない。
けれどルイーズたちの後に続くズーハンのクラン「ボトムライト」も、ウワン・クーター率いる軍団も、殆ど戦闘らしい戦闘をすることはなかった。
先行するヴァイスとブラックドッグが倒しているというのもあるし、エボニーたちが居る方向に大半が引き寄せらているのもある。
そうして彼らがハクザンの町に入って見たのは、「神印」を回収し終えたヴァイスと、ボロボロの姿ながらも力強く佇むエボニーとエルフの集団の姿だった。
(……貴族と協力してハクザンの町を奪還したって記録されるんだろうか)と、戦った跡が窺えない一団を見てエボニーが息を吐いたのを彼らは知ることはない。




