七十六、掌中には覚悟と杖を。
敵襲を告げる鐘の音も。危機を伝える怒号も悲鳴も。
それらが聞える前に耳に届いたのは、全てを押し流すような破砕音だった。
「ボトムライト」本隊がハクザンの町にやって来た時、彼らの目に映ったのは絶望の光景だった。
ズーハンの脚は自然と急ぎ、隊列も何もなく、それぞれが助けられる命目掛けて走り出した。
「パーティーで分かれて!!」
どうにか言葉にできた自らのクランマスターの命令は、たしかに「ボトムライト」全員に届いた。
彼女の元には集まるのは「武芸者」と「竜騎兵」。ズーハンを含めての三人パーティーではあるものの彼女たちを追ってきているパーティーも居るため、実際の人数はもっと多い。
それでも、人数でモンスターを囲んで倒すのが主流となっている今の冒険者たちにとって、慣れない環境であるのは間違いない。
モンスターの隙を作るのが基本的な動きになる「呪術兵」にとって、逃げられない多頭狩りは役割集中を招く。忙しなく視線と杖をモンスターへと配り、スキルを乱打する。モンスターの耐性値などが数値で分からない以上、狩りの感覚だけがものを言う。
どのモンスターにどのスキルを使ったのか。スキルのクールタイムの把握はできているのか。
ハクザンに来る前に考えていた、最終職になるための条件を満たそうだなんて想いは記憶の彼方に消えている。
今はただ、少しでも多くの命を救うのだ。
その時「ズーハンさん!」と遠くからズーハンの名を呼ぶ声が聞こえた。声がした先は、押しつ押されつしながら目指していた町の中心地。声の主は彼女のクランメンバーであり、先んじてハクザンにやってきていた人物だった。
「──というわけ。そっからは普通に住民たちと合流してこの教会に避難してきたんだよね」
「そうなんだ、ありがとね。えっと」
「ズーハンさん、ですよ。ルイーズ」
「そうそう!ごめんね……」
「別に構わないけどさー」
あっけらかんとしているルイーズにズーハンはため息をつく。ルイーズから話を聞きたいと言われた彼女は、教会の見張り台に立ち、自身がハクザンにやってきてからの出来事を語っていた。
町外れの教会はモンスターの襲撃に対応するために堅牢に作られているものの、大きさはたいしたものではなく、負傷者を寝かせ、住民を優先していればすぐにスペースが埋まってしまうほどでしかない。
ゆえに四人は「ボトムライト」のメンバーとモンスターの見張り番を交代して、ゆっくり話せる場所と時間を確保していたのである。
ズーハンからすると、ルイーズたち三人にあまり良い感情はない。それはエボニーが彼女たちに抱いているものと似ているのだが、それよりもいくらか攻撃的なものが含まれていた。
エボニーと一緒に居たことで、何かしら強くなる方法を聞いた三人を好意的に見れないのだ。もし自分が彼女たちの立場に居たのなら……そう思わざるを得ない。
「もういい?クランメンバーと話したいことがあってさ」
「あ、ごめんなさい。ありがとうございました」
「時間を取らして申し訳ないな。忙しいだろうに」
「情報の共有は必要でしょ?一緒に戦うんだから」
手をひらひらと振って足早に立ち去ろうとするズーハンだったが、彼女はそこでふと思い出したように脚を止めて振り返った。
「最終職の転職条件って……エボニーさんから聞いてたりする?」そう訊ねたズーハンは、ルイーズたちが物怖じするような圧を放っていた。
「いいえ。私たちは何も知りませんわ」と、三人で顔を合わせた後に答えたのはアイネスだった。
事実、彼女たちがエボニーから聞いたのは武具強化についてであり、最終職は殆どノータッチである。
エボニー主催のブラフナー家との合同演習が延期になり、さらには顕聖が起こったことでいつ行われるかも分からない。発案者である当の本人は温泉に行っていて話も聞けないし、というわけで、教えてくれる気配はあるものの、その条件については何も知らなかった。
「あぁそうなんだ」と、どこか悲しそうに生返事を返して三人の前から姿を消したズーハンは、ゆっくりと呼吸を行って自らの「標の杖」を見やった。
「最終職、か」
呟きが己の最終職への憧れや希望によって出たものではないと、彼女は分かっている。
ルイーズたちがエボニーと話して色々と動いているのを知ってから。
エボニーと教会で戦い、圧倒的な強さを体感してから。
彼女の中である想いが大きく育って、心の余裕を奪っていく。
自分ならもっと上手くできるのに。
クランメンバーに共有して、三人よりももっと大きな規模で、より効率的に物事が動かせるのに。
──困っている人を救えるのに。
最終職なら助けられなかった人たちを救えた可能性に押しつぶされるほど善人ではなく、目標に向かって一生懸命、真っすぐに向かえるほど、ズーハンという存在は真人間でもない。
それでも、彼女は芯を持っていて、目標の目の前で脚を止めるような人間ではなかった。
神の幻影と戦うのは怖い。死んでしまうかもしれない。戦いで周りの人に迷惑がかかるかもしれない。
自らの脚を引っ張る枷たちは多く、重たく決意を鈍らせる。
だが、彼女にはそれらを解決する答えがあった。
「エボニーさんが居たら……」
自分が死んだ後に何事もなく幻影を倒し、周囲を気遣うことができる。スキルで蘇生までしてくれたら御の字だ。
「そしたら、やろう」
心に課せた鈍色の覚悟を後押ししたのは、なにも彼の存在だけではない。
この教会はエボニーたちが収めた、過去の顕聖の後に建築された建物である。モンスターの襲撃によって死んだ多くの人々の死後の安寧を祈るためのこの場所には、もちろん彼女の父も眠っていた。
「お父さん、私……決めたよ」
最終職になる前に死んでしまったら、それはもう笑うしかない。
元より明るい性格なんだし、どうにかなるよ。そう、苦い笑い顔を浮かべた彼女は、仲間の元へと戻った。




