六十九、悪夢の始まり。
「しかし良かったのか、爺さん。あいつらあんたを探してるみたいだったが」
エボニーとドーリーの姿が見えなくなったのを確認して、ウィリアムは家屋の中で酒を嗜む一人の老人に声をかけた。
目深にローブを被り、片方の目を眼帯で隠した老人は杯の中身を流し込んでから言葉を吐く。そこに酔った様子は微塵もなく、真面目な発言をしていることが簡単に分かった。
「ウィリアム。蛇亀をギルドの連中に引き渡した後、手勢を連れてハクザンに向かうんだ」
「うん?なんだ、何かあるのか」
「町が地図から消えようとしてるが、今から動けばまだ間に合う」
「あんたがそういうことを言うのは珍しいな。ま、分かったよ」
「自分で蒔いた種だ」と小さく呟いた老人にウィリアムは肩をすくめ、実力のある仲間たちに声をかけていく。
自身を最終職に導いた師である老人の言葉を完全に疑わない、ということはないが、今はそういう状況でも、空気でもない。
戦いはまだ始まっていないというのに、ウィリアムの鼻はすでに戦いの匂いを感じ取っていた。
「どうしても助けが必要になればワシも手を貸す」
「そりゃ心強いな」
目を大きく開いて驚くウィリアムを見て、老人は席を立ってどこかに歩いて消えていった。
エボニーが倒した蛇亀がノトの国の首都、ゴールドバレーのハンターギルドに届くのとほぼ同時にして、早馬がギルドに飛び込んできた。本来であれば街の中で馬を走らせることはできないが、事態は一刻を争う。
届いた手紙を一番最初に読んだジュリアは顔色を瞬く間に変え、矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。
その中で彼女が一番最初に叫んだのは、この場に居ないハンターギルドで一番の冒険者の名だった。
「エボニーさん!誰かエボニーさんを探して!!」
手紙の内容は簡潔だ。
ハクザンの町が大量のモンスターに襲われている、と。
つい先日、ズーハンのクランである「ボトムライト」が調査のために訪れているはずのハクザンからの火急の報せ。「使命と剣の賛歌」が求心力を失い、実質一番の実力を持つ「ボトムライト」が居ても手が足りないという事実は、どういう対処をするのが一番かとギルド内を騒がす。
ハクザンにモンスターが来たのなら、ゴールドバレーにもモンスターが来る可能性がある。貴族たちが常駐しているとはいえ、有事の事を考えれば「使命と剣の賛歌」の冒険者は手元に置いておきたい。
それならば、ハクザンの町はどうするのか。
星の民が報告したダークエルフから始まったこの一件は、国からギルドに正式に調査依頼を頼まれている。
きちんと国側を納得させるような対処をする必要があった。
最少の労力で全てを丸く収められる相手に思い当たりがあるばかりに、まったく別の所で動いてしまっている。
星の民なら。エボニーなら。
きっと一人でなんとかしてくれる。
その想い一心で探しても、願いもむなしくエボニーの姿を見つけることはできない。
最終強化しているキリに乗って移動しているエボニーを捕まえる事など「騎兵」の名家ブラフナー家でも不可能だ。
だが、ギルドがそういう動きをしていれば周りも状況に気が付き始める。
最初は冒険者が。
「忘れ物はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「防具を寝ずに鍛えてくれたアノアさんには感謝だな」
「そうだね。何が出来るか分からないけど、行かないで後悔はしたくない」
次に貴族が。
「私が動くことにするよ。街の守りは任せるとしよう」
「クーター公自らですか?それは心強いですが……」
「最終職じゃなくても、私だって貴族だ。そんなに心配することはないさ」
「私のところからも何人か出しましょう」
「さて、落ち目の貴族の面目躍如と行こうか」
そして、力なき神が。
「……死の匂い。もう感じないものとばかり思ってたけど」
最後に、旅の神官が。
「この不自然な力の流れと質は……顕聖が起きている?いやまさか…………」
それぞれが向かう先は一つ。
ハクザンの町への足取りが重なった。




