四十、神夜の明け。
ドーリーは夜半にふと目を覚ました。寝ていたわけではないので正しい表現ではないのだろうが、彼女からすればそこに違いなどなかった。
クラテルの中、エボニーの部屋の前の廊下に明かりなどはない。しかして、ドーリーにはしっかりと周囲の景色が見えていた。
同じく廊下で背を預けて寝ているエボニーの肩に頭を預けた姿勢のまま、彼女が壁に穴が空くぐらいじっと虚空を見つめていると、ふとエボニーの体が動いた。
(体に力が入っていたのでしょうか)とドーリーは寂しく頬を緩めると、預けていた体を更に寄せるのだった。
エボニーの眠りが浅いのは彼女も分かっていたが、夜の気配に流されるように動くのも悪い気持ちではなかった。久しく近くで感じていなかった人の気配に縋るような今の姿を信者が見たらどう思うだろうか。いいや、と彼女は再び寂しく笑う。
(いっそのこと、ヴァイスのように……いえ、弧はいったい何を考えているのやら。ヒトを失った神とはこれほどに墜ちる……、弧の勘違いであればいいのですが)
ヒトが神を求めるのか。神がヒトを求めるのか。
神であった名残がそうさせるのか。
彼女は未だ神ではある。神ではあるが、力は全盛期とかけ離れていた。今はエボニーに簡単に負けてしまうだろう。それっぽく振る舞うことこそ出来ても、そこまででしかない。
ヒトの信仰が神を作るわけではないが、神の力は確実に落ちてきている。理由が定かではないからこそ、彼女の心は揺れていた。
それでもまだ、彼方の声は聞こえる。ならばこそ出来ることがあるのだ。
闇に浮かぶ彼女の双眸が、赤く艶めいて光を放った。
□
エボニーは体の節々からの痛みと、大きな音を立てて開いた自室へと続く扉の音とで目を覚ました。朝というのにはまだ早い時間。空の全てが白んだ、そんな時間帯だった。
「…………」
「……」
ドアノブを手に、冷や汗をかいたヴァイスとエボニーとの目線が沈黙を作り、何事もないかのようにドーリーが口を開く。「起きたのですね」と。それに続くのはヴァイスだ。
「ドーリー、どうしてあんたがここに……。それに星の民じゃない。というかここどこよ、こんな感覚初めてだわ」
「貴女は限りなくヒトと近くなったのです。そう感じるのも不思議ではないでしょう」
「なに?ヒトってこんな不便な感覚器官しか持ち合わせてないの」
エボニーが思い浮かべていたヴァイスとは随分と違う彼女に彼は呆気に取られていたものの、落ち着いた様子であることに安堵した。
「杯と純潔のヴァイス」ではなく、ただのヴァイスとなったのだ。錯乱の一つや二つは覚悟しているつもりだった。だが、どうやら彼女が落ち着いているのにも理由があるらしい。
「とりあえずあたしは神殿に行くけど、あんたらはどうすんの?」
「俺はたぶん色々と説明しないといけないんだけど……。なんで神殿に?」
「そうです。貴女はほとんど力を失っているのですから、捕まりに行くようなものでしょう」
「でも一発殴っておかないと気が済まないのよねー」
荒く息を吐くヴァイスは闘牛のようであった。シャドーボクシングのように腕を構える彼女は続ける。
「油断してたとは言っても、これでも神なわけよ。分かる?」
「今は違いますが」
「うっさいわよドーリー。話の軸を逸らさないで。あたしは今ね、怒ってるの。あたしが負けたってことは、あんただって負ける可能性があるってことなのよ?」
「負けた?いやいや、そう簡単に勝てるわけが……」
「その評価はありがたく受け取っておくわ。星の民。ちょうどいいし、あんたも来なさい。その代わりに説明のお供してあげるわ」
エボニーからしてもヴァイスの提案は助かるものだったが、「杯と純潔のヴァイス」が負ける相手を、エボニーは想像できなかった。
それこそ同じ神か、SSSのプレイヤーでもなければ勝つのは無理だと内心で思うものの、彼女の続く言葉でこの気持ちを飲み込んだ。
「リーンズに着ていった防具を持ってきなさい。武器もあんたの得意な騎兵銃でね」
「ピュアホワイトの鎧で?ヴァイスを倒したのはリーンズってことか?」
「まさか。相手はただのヒトよ」
ヴァイスの表情はどこまでも真剣で、エボニーもドーリーも思わず言葉に引き込まれる。何をどうやれば神に勝てるのか。妙な胸騒ぎがするのだけは分かった。
「……だから全力で狩るのよ」
なぜヒトだからこそ全力で狩るのか。エボニーは己の中に答えがある気がした。
部屋に戻ってピュアホワイトの鎧に着替えている最中で彼はそれに思い至ったものの、考えを口に出そうとはしなかった。
自身の答えが現実だと認めたくなかったのだ。
(「夢と簒奪のワルツ」の悲劇が起きようとしてるのか……?それも、もっと最悪な形で)




