四つ、貴族と冒険者。
はたして、ヨセフはとある一室の前で歩みを止めた。彼の案内が始まってから区画が二度三度変わり、見える光景も少しばかり変わったものになっていた。今回案内されたのは、城内の装飾も落ち着いてきた場所にある部屋だ。
ヨセフは部屋の前で立つ兵士に声をかけて取り次いでもらい、彼らは間もなく部屋に招かれる。
「お待たせしました、クーター公」と、ほがらかに挨拶をするヨセフの視線の先にいるのは、鋭い目をした中年の男性だ。
部屋の中には男性の他にも明らかに貴族の出で立ちをした者が二名居て、興味深そうにエボニーへと視線を向けていた。だがそれは失礼にならない程度の控えめなもので、エボニーは逆に毒気を抜かれていた。
「いいや、大丈夫だとも。それよりもすまない、妻と娘がついてきてしまって……」
「誰もが待ち望んでいた時が来たのです。それも致し方ないでしょう。あまり時間もないようですのでこのまま進めさせていただければと思いますが、よろしいですね」
クーター公が頷いたのを確認したヨセフはエボニーに席を勧め、その隣に腰をおろした。エボニーも勧められるままに腰掛けたが、鎧を着ているためか座り心地は良くはない。居心地の悪さも相まっているのだろうそれは、彼の口内を急速に乾燥させていく。
ヨセフは状況の説明をするように全体に視線を向けてから、エボニーに声をかけた。
「まずこちらは星の民であるエボニー様です。そしてクーター家、現当主であるウワン殿。ウワン殿の奥方と、御息女です。手短に済ませたいので説明は省かせていただきますが、今回はエボニー様の来訪によって集まっていただきました」
エボニーが軽く会釈をする横でヨセフは続ける。
「王城に招いたのは、エボニー様に降りかかるだろう不利益から王家が守るというアピールのため、そして教会の力を削ぐためでもあります。ですが、それは私たち貴族の責務ですからエボニー様にどうこうしてもらう、というようなことはありません。意識を持っていただくことこそ重要なのです」
部屋の中に言い切ったという空気が流れたのをいち早く感じたエボニーは、考えるふりをして頭の中を整理し始めた。はっきり言ってついていけないというのが彼の意見であった。
教会が力を持っているから、貴族がどうにかするよ。これだけで納得していいいのならそうしたいところではあるが、自身が関わって来るとなると素直に頷いていいものかどうかが、彼には分からないのである。
王の勢力と教会の勢力で分かれているような現状で、知らない間に王の味方にされてしまうと、もう一方からよく思われないのは当然のことだ。考えれば考えるだけ彼の胃は痛くなり、体に力がこもっていく。そんな彼の脳裏に浮かぶのはヨセフの言葉だった。
「…………星の民を縛ることはできない」
「そうだ」と、エボニーは言葉を心で反芻させながら続きを考える。SSSでブラフナー家にはお世話になった。けれども、それは他の貴族家も変わらない。彼のメイン職業にブラフナー家が関わっているというだけの理由であり、必ずしも味方しなければいけないわけでもない。
要は、敵にならなければいい。思考がまとまってきたエボニーの口は先ほどとは打って変わって滑らかに開かれる。
「そっちで全部片付けてくれるなら、俺は好きなことをさせてもらうよ。とりあえずの目的もあるし、教会だとか、そんなゴタゴタは知ったことじゃない」
「おっしゃる通りです」
「ゲーム通り……というか、今までと同じようにハンターギルドに依頼を出せば受けるかもしれないけど、それは気分次第かな。そもそもゴールドバレーに居る時間の方が少ないだろうし、都合が合わないと思う」
「お好きにしていただければと思います」
「だけど……力になりたいという気持ちは嘘じゃない」
「ええ。ありがとうございます。クーター公もよろしいでしょうか。何もなければお開きにしたいところですが」
会話の矛先が逸れたことで、エボニーはほっと息をついた。彼自身、思考が早い方でないのは自覚しているからこそ、今回の及第点の返答に安堵したのだ。思考スピードが早ければSSSでももう少し上位層にいられたのにな、なんて自虐できるほどに落ち着いてきた彼の前に、今度はクーター家当主から声がかけられた。
「あー、一つ質問があるのだが……」
「質問?まぁ答えられるものなら」
「これは先の話には関係がない。無論、無理に聞こうというわけでもないことを理解していただきたい。神に与えられし三段階目の力。つまり……最終職への到達方法を教えていただきたいのだ」
クーターの質問は職業システムに関するものだった。最終職が出た時、プレイヤーはこぞって転職条件を探して走り回ったものだ。
だがそのヒントはそれぞれ対応した貴族から教えられるはずで、目の前の人物が知らないはずがない。
だからこそ、エボニーの口から出たのはなんとも間抜けな声だった。
「はい?クーター家が?」
「残念ながら、口伝は時として脆く失われてしまう。対価はもちろん用意するつもりだ」
「そりゃ教会が力を持つだろ…………まさかヨセフも……?」
「恥ずかしながら、私も最終職に至れていません」
「あぁ、うん。分かった。街の外に出るまでに教えるようにするよ」
エボニーは脳内にある転職条件を思い出しながら頭を抱える。「騎兵」のブラフナー家。「弓兵」のクーター家。二つの家が最終職の転職条件を失うなんてことがあるのだろうか。
(さすがにこれは陰謀だよなぁ。俺が思うんだから、ヨセフとかも分かってるんだろうけど)
教会と対立している大貴族家の二つの力を奪おうというのに、これ以上有効なものもない。職業システムが全員に与えられたのなら、それはより顕著なものになるだろう。各職業の立ち回りや、スキルの使い方。効率的な成長方法を貴族は知っていて、勢力を拡大するのに使わない手はない。
(いやなもんだな)と、エボニーは立ち上がって扉へと向き直って思った。ゲームとして作られたSSSと、現実になったこの世界とは違う。分かっていても、認めたくないものがそこにはあった。
「また何かあったら呼んでもらえたら。まぁ、ちょくちょく戻るようにはするよ」
返事を聞かずに彼は扉を開き、長く続く廊下へと出た。人の姿がまばらに映る中に静謐さを宿した廊下は、エボニーの寂しさを余計に引き立たせる。少し歩いたところでヨセフの護衛が追いついて帰り道を案内してくれたこともあり、考える時間には事欠かなかった。
街に出たエボニーは当てもなく大通りを歩いて行く。プレイヤーのマイルームに続く道ではない別の道だ。SSSに限らず、実際の街ほどの広さを歩けるゲームなんて存在していない。見渡す限り続く建物の群れは、見知ったはずの街を鮮明に輝かせる。
冒険者なのだろう装備を一式をまとったグループ。露店で見たことも聞いたこともない謎の料理を出している店主。仲良く手を握って晩御飯の献立を考える母子。
適当なベンチに座ってそれらを眺めるエボニーは、特に何を考えるでもなく時間を潰していた。体感の時間でいうと午後三時頃だろうか。酒を飲むのにはまだ早い。休みの日に真昼間から酒を飲めるのは、車に乗らない都会の人間だけだと思っているエボニーにとって、それは躊躇われる行動だった。
「どうしよっかなぁ……」
思わず漏れ出る言葉に、彼は緩慢とした動きで持ち物を確認した。神と戦った後の状態を引き継いでいるので随分と軽いそれは、空っぽと言っても過言ではない。残っているのはステータス強化用の薬瓶と、持っているだけで効果を発揮する道具類ぐらいだ。お金が入った袋も一緒に転がっていたものの、彼が覚えている金額とは一致しなかった。使い道がなく、貯まっていくだけだったお金が硬貨数十枚程度になっているわけがない。
(今更必要ないと言われればそうなんだけど。ギルドで預かってるとか、そんな設定なかったっけ。でも二十年経ってるなら怪しいよなー)
消耗アイテムの殆どは余裕を持って溜め込んでいるし、マイルームがあるために宿代もかからない。大金を稼ぐ必要がないのは、精神的にいくらか楽ではある。モンスターと今までと同じように戦えるのかは別として、日々の暮らしに問題はない。
「とりあえずギルド行こっか」と、気持ちを持ち直して立ち上がったエボニーは大きく背伸びをして空を見上げる。最初は簡単なクエストから慣らしていこう。ゲームではない世界で戦うことは恐ろしいことだが、彼の中には新しいゲームに触れた時のような期待感もあった。
ふっと息を吐いて一歩を踏み出したエボニーは、そこで自分に向かって歩いてくる冒険者のグループが目についた。装備の素材を見るに中間装備としか言えないような粗末なものではあったが、先頭を歩く人物の顔は自信に満ちていて、エボニーにどうにも嫌な予感を覚えさせる。
逃げるのは難しそうだと身構えていると、先頭の元気な女性が大声で彼に向かって呼びかけた。
「おーい、そこの人!見ない顔だね!」
「……久しぶりに戻ってきたんだ」
「ねぇそれ何の素材使ってるの!?すごい綺麗じゃん」
「ルイーズやめないか。いやすまないな」
「そうですよ。明らかに高名な冒険者じゃないですか」
「だから余計に気になるんじゃない。ね!名前教えてよ、もしかしたら知ってるかもだし」
溌剌とした女性を止めるような口ぶりをしているが、他の二人は彼女を止めるような行動に出ることはない。そのことにエボニーは僅かに顔をしかめるものの、ため息を吐いて、仕方がないと割り切ることにした。
「名前はエボニーだ。ギルドまで案内してくれるなら話してもいい」
「お、ラッキー!でも知らない名前だね」
エボニーが腹の底で怒りを溜めていることなど知らず、彼らはハンターギルドへと向かう。