三十七、二柱一神の夜。
エボニーがクラテルの前に到達してもヴァイスが目覚めることはなかった。丸薬は口に含んだ瞬間に体力を最大値まで回復する効果があるものの、彼自身で試したことがないために確信を持って効果があるとは答えきれず、もういっそ何も考えないことにしたのだった。
(……クラテルの前で張ってるかと思ったけど、いつもの兵士以外はいないのか……?)
建物の陰から白亜の建物を覗いた彼の目に届くのは入り口を挟むように立つ二人の兵士の姿だけであり、冒険者や貴族の関係者が待ち伏せをしている様子はなかった。怪訝に思うものの、チャンスであることは変わらない。
一気に駆け抜けるつもりで彼が体勢を作った時だ。急に背後から声がかかった。
「貴方様。お待ちになっていただけますか」
鈴の音と共に現れた女性のことを、エボニーは知っている。夜の影でも隠せない彼女は視界に張り付いたかのように彼の前にあった。
「ドーリー……?どうしてここに……」と体から力を抜いて背後を振り返った彼は、「神の岬」にいるはずの「炎と旅路のドーリー」に声をかけた。「何してるんだ」困惑を多分に含んだそれに、彼女はただ笑う。
「貴方様を助けにきたのですよ。この前のお誘いは振られてしまいましたから、弧の方から来てみました」
「いや、来てみましたって」
彼女らしくないものの言い方だな、と彼は思った。よく見かける町娘のようにはにかむ姿は似合っていたが、今はそういうことを言いたいのではなかった。
「島はいいのか……?」
「それ以上の何かが起こっていると判断をしたのでございます。貴方様の腕の中に居るのが「杯と純潔のヴァイス」で間違いないのであれば、これは由々しき事態でございます。この国を、いいえ、世界がもう三度変わる可能性すら孕んだ爆弾を貴方様は見つけたのです」
「えっと、どういうことだ、ヴァイスで間違いないだろ?何回も見たんだ。俺が間違えるはずが……」
「その娘からは神の力を感じることが出来ないのです。確証はありませんのでなんとも言えませんが「杯と純潔のヴァイス」ではなく、ただのヴァイスになってしまった可能性が高いのではないか、と」
エボニーは神を神たらしめている力が何であるのかは知らないが、どれだけ離れていても勝手に目の焦点が合うような、ドーリーに対して体が感じているようなものがそれであるというのなら、たしかに自らの胸の中の彼女の姿は一般人を見るのと変わりはしない。
「ですけれど、弧の知るヴァイスと貴方様の持つヴァイスが重なるのであれば、認めたくはありませんがそう言うことなのでしょう。残念ですが、ヒトはまた禁忌を侵したのです」
「それは……ちょっと待ってくれ。メインストーリーというか、あーっと、あの」
エボニーは自らの中に答えがあるような気がして脳内をフル回転させて言葉を捻り出そうとしていたが、どうにも上手く出てこない。SSSやその他ゲームで使われるような単語を、どうやって言い回したらいいのかが思いつかなかったのだ。
しかしてドーリーはそんな彼の様子から察したようで、「言いたいことは確と伝わりましたよ」と一つ頷いてみせた。
エルフやダークエルフとも関係のある話であり、メインストーリーにもがっつり関わる部分である。彼が忘れるわけがない。
ドラゴン種がどうしてヒトを襲うのか。五柱の神に対してどうして基礎となる種族が四つしかないのか。
なぜヒトにだけ「職業」があるのか。
答えはいたって単純で、「夢と簒奪のワルツ」が「星と魔法のリーンズ」の力を使ってヒトから神へと成ったからだ。
私利私欲のために神に成ったわけではないものの、結果だけ見ればそう違いはない。
ヒトは彼以外、神にはなれず、ヒトの上位互換としてエルフ、失敗作としてダークエルフを生み出すことになった。その過程で生まれたのが「職業」であり、貴族が独占している理由でもある。
「ヴァイスの力を何に使おうとしているのかは弧にも分かりかねますが……、弧へと届く声が減っている理由としては間違いないのでしょうね」
悲しげに眉をおとす彼女の言っていることはエボニーにも理解出来たが、その全てを呑み込むのには時間が必要だった。ヴァイスを見つけてからというもの、事態が急激に進み過ぎている。目の前で起こっていることだけで手一杯だというのに、周囲はそれを許してはくれない。
だから彼の口から出たのは先ほどから考えていた、クラテルに戻るという言葉だった。
「ちょっと落ち着いて考えさせてくれないか……、混乱してて」
「ええ、もちろんです。貴方様にとっても、ヴァイスにとっても。時間は必要でしょう」
「ありがとう、助かるよ」
「それでは参りましょうか」
息を吐いて体から余計な力を抜いたエボニーに対して、ドーリーはまるで散歩にでも行くかのような軽い様子で歩いて行く。
「そんな簡単に……」とエボニーは彼女へと手を伸ばすが、ドーリーが振り返ることはない。ヴァイスが捕まっていたのだから、神に対する対抗策を持っているのは明白だ。しかして「貴方様が居て何を恐れるのでしょうか」と言われてしまえば、彼から何かを言うわけにもいかない。
「それとも、五柱の神を打ち倒した星の民と共に歩むのに、弧では力不足でしょうか?」
「いや……そんなことはないけど」
「ふふ、もし襲われたなら、その時は貴方様が全てを覆せばよろしいのです。その状態のヴァイスでも最終職一人分ぐらいの戦力にはなるでしょうから、放っておいても問題はないかと思いますよ」
「……言っておくけど、殺しはなしだぞ」
「それは貴方様の活躍次第、ということで」
怪しく笑う彼女の隣に並んだエボニーは、SSSで彼女と戦っていた時を思い出していた。




