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二十六、神か、人か。

 声に合わせて、どこからか鈴の音が聞こえた。それも一つでなく、文字通りの鈴生すずなりとなっているだろう音だ。音の発生源は分からないが、屋敷から聞こえてきたのは間違いない。

 神がわざわざ自身の背後からやってくることなどありえないと、彼はそう思っていたのである。


 エボニーの推測は正しく。屋敷の中にチラリと人の姿が見えた。背後に金色の火の玉を揺らめかせ、すり足で歩く彼女の姿は、ゲームで見たものよりも数百倍は美しかった。


 体毛が白いのだろう。髪は当然の事、まゆまで白い顔は肌との境界線が分かりにくく、より神秘的に映ったのだ。遠目に見ているはずなのに、やけにピントが合うのは神の補正がかかっているからだろうか。実に便利な能力である。


「よくお越しになりましたね。実に二十年ぶり……でしょうか」


 ドーリーの服装は巫女服のようにも、白無垢のようにも見えた。しかして、肩回りから腕の先までを覆う金属の輝きが、どうしようもなく戦いを想起させるのだった。


 彼女の進む足は縁側で止まり、両足を遊ばせるようにゆっくりと腰を下ろす。風があるのだから雨で濡れるのではないか、というエボニーの心配をよそに、彼女は言葉をつづけた。


「どうしてここに、というような野暮はやめておきましょうか。お互い、分からないものは分からないのですから、貴方がこちらにいらしたのは至極当然のことなのでしょう。その点で言えば、真っ先にに来ていただけたのは幸先の良い事でしょう」

「……俺を知ってるので間違いないんだな?」

「ええ。それはもう熱烈なアプローチをいただきましたから。折角の庭園が貴方様の死体で埋まるかと思いましたが、そういう理の元で生きてはいらっしゃらなかったようで。安心した、と言うのはまた異なりますが、の真逆に居られるのだな、と。一人、そう思っていたのです」


「それはつまり」ここで彼は一旦言葉を区切り、ドーリーへと次の句を述べようとした。

 だが、一瞬ばかり言葉に詰まってしまい、それが余計に次の言葉を装飾してしまう。


「ゲームの世界だったのを知っているのか」


 エボニーの表情は苦虫を噛み潰したかのような酷い有様だった。

 この世界が元はゲームであったなんて、未だ誰にも言ったことはない。それだけに言葉は重たく、彼にとって特別なものとなった。


 当たり前のように人が生きていて、そこに光があれば闇もある。道端でうずくまる孤児や、捨て子たち。それらを見て、ゲームの世界だなんて言う気が起きるはずもない。


 不誠実であり、不謹慎であるように、彼は実際にその目で見て思ったのだ


 けれど、今のドーリーの物の言い方からすると、どうも分かっているような節がある。ただそれが、口をついて出た。この身を食い破らんとばかりに膨れ上がる、帰郷の思いが止められなかった。


 彼はドーリーの瞳が細められたのを確認したが、言ってしまった以上言葉は戻らない。

 会話も何もなく、ひたすらに雨に打たれることしかできないエボニーを救ったのはドーリーで、優しい口調で語りかけた。


「とりあえずは上がって行ってください。いかに星の民であろうと風邪をひいてしまわれますよ」


 嬉しい言葉ではあった。けれど欲しい言葉ではない。「答えはもらえないのか」だなんて諦めにも似た感情が漏れるののも仕方のない事だったのかもしれない。やけに重たい体を持ち上げれば、服についた砂利と雨水が落ちて行った。


「星の加護はもうないのですから、ご自愛なさってください」


 落ち込むエボニーにかけられた声が彼女なりの答えだと気が付いたが、あえて彼は何も言うことはなかった。感謝の心が届くようにと僅かに目礼だけをすれば、ドーリーは目尻すぼめて小さく微笑む。そして、彼女は自身の背後で燃え盛る火炎を切り取るように手に取り、エボニーへと軽く放り投げた。


「うぉっ」と彼が反射的に炎を受け止めようとしたところで、炎はエボニーの肉体の中へと溶けて消えていった。

 思いもしなかった現象に焦る彼をよそに、彼女の炎はしっかりと役目を果たす。雨に濡れていた防具と体を瞬時に乾かしたのだ。


「これくらいのおもてなししかできませんが……。何分、この地にヒトが訪れなくなって久しいものですから」

「そんなわけが……、だって」

「貴方方が居なくなり、そしてもう十八年でしょうか。はずっと一人きりなのです」


 屋敷に上がったエボニーにとって、彼女の言葉は到底信じられなかった。星の民が居なくなって僅か二年。たった二年で人が神の前から姿を消したのだ。信仰し、恐れ、敬っていたはずなのに、それでは酷く薄情ではないか。


「それなら一体、教会は何を信仰してるんだ。ドーリーより人に寄り添ってる神なんてそれはヴァイスぐらいで……」

「上は分かりかねますが、下からは()を呼ぶ声が聞こえるのです。何かが起こっている。それは確かなのでしょうが」


 畳に座って話し込む二人表情は優れない。雨の音が、やけに響く。


「なら俺は……俺の、元の世界への帰り方も分からない……よな」

はそのように大それた神ではないのです。旅路に祝福をもたらすだけの、それだけの神。星の民である貴方に特別な何かをほどこすことも出来ないのです」

「俺は星の民じゃない。……他の人たちと変わらない、ただの人間なんだ」

「貴方はただの人間であろうとも、その器はそうであることを許容しないでしょう?星より与えられし加護は溢れ出し、多くの者に滴が落ちましたが、加護に浴したその身は、だけでなく他の柱をも打ち倒したのですから」


 エボニーは溢れ出てくる感情を抑えるように目を閉じて指を組んだ。祈っているわけではなく、逃げるための行動に、ドーリーも気を病んだように目を伏せる。


「……魔術に頼るのであればワルツ。魔法であればリーンズ辺りが適任ではないでしょうか」


 名前を出された二柱の神が、彼女なりの気遣いというのは彼にもきちんと伝わった。それでも「あぁ」としか声が出ない自分が情けなくて、彼はより指に力を加えた。


「魔術と簒奪のワルツ」「星と魔法のリーンズ」

 どちらも偉大な神である。が、簡単に出会えるのであれば真っ先に会っている。前者は特定の住処を持たず、後者はドラゴン種が多数住まう山脈の頂上だ。それでも、行かずにはいられない。エボニーの重たく吐いた息に込めれていた感情はどんな色だったのか。ふと、ドーリーはそれが気になった。


「分かった。とりあえず他を当たるよ」

「そうですか。お力になれず申し訳ありません」

「いいや、大丈夫。神が居るって知れただけでも良かったよ。会いやすさで言うと……次はヴァイスか」

「彼女もまた教会に祀られる身。何か知っていてもおかしくはありませんね。と同等かそれ以上に話の分かる神ですから」

「自分で言うのか」


 軽く笑ったエボニーを見て、ドーリーもまた同じように笑った。「ようやく笑っていただけましたね」と、心のつっかえが取れたかのように彼女が笑うものだから、エボニーは戸惑ってしまう。そんなことを気にしていたのか、と。


「可笑しいですか?()がこんなことを考えるのは」

「いいや、ただ、人間みたいんだなって」

「では人間と神との違いとは?斬れば血が出る。もまた同じであるとご存じでしょう?」


 彼女の問いに、彼は何も答えることが出来なかった。人と神の違い。

 それは寿命か?力の強さか?不思議な力か?どれもが当てはまる。けれども、そうだ、とは言えなかった。


「星の加護を失くした貴方も同じ血を流すのでしょうか?」

「…………」

「加護によって動いているわけではないのでしょう?」


 ゲームであれば、星の民プレイヤーが血を流すことはない。各種規制があり、VRゲームというのが余計に赤を遠ざける。彼女からすれば、彼の方が神に近い。


 エボニーが黙っているのだって気が付いているからだ。百年を超えても全く変わらない容姿。全ての職業を極めて人間離れした身体能力。ゲームの仕様によって無限に扱える魔力量。元より星の民と人とはまた別のモノであるが、これではまるで人の姿をした神ではないか。


 急にゾッとするエボニーの隙をついて、ドーリーは簡単に彼を押し倒した。

 胸に耳を当てて心臓の音を聞く彼女に彼は抵抗の声を上げたが、それ以上何かをする気にはなれなかった。


「…………」

「鎧越しでも強い鼓動が聞こえますよ。貴方の炎が、には分かります」


「……そっか」とどうにか声を絞り出した彼に、ドーリーは胸から顔を上げてほほ笑んだ。


「エボニー様、よろしければ貴方の旅路にもご同行させていただけませんか?変装の心得は持っていますので」


 エボニーは何も言えなかった。腕で目を覆うようにして、静かに呼吸を整えるだけだ。

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