百七、赤い凱旋。
ゴールドバレーの門を潜ったエボニーたちを出迎えたのは、音楽隊が奏でる勝者への讃辞だ。(聞いたことがあるな)と彼が思うのも当然で、それはSSSで使用されている楽曲の一つだった。警備兵たちが振るう旗には国章が刺繍されており、天高く翻るそれらが生み出す影を抜けた先には多くの民衆が待ち構えていた。
割れんばかりの歓声を受けのは分かりやすい上位者、貴族だ。クーター家当主、ウワン・クーターがハクザン奪還にゴールドバレーを出たのはゴールドバレーの民すべてが知るところであり、事前の期待値も大きかった。
たとえ星の民とエルフたちの奮戦が戦場のほとんどを占めていたとしても、実際に戦場を見ていない人間には何も伝わらない。だが、前に出るべきはこういう人間なのだろう、とエボニー理解するのには十分であった。
ウワンから引き継いだ熱気をそのままに受けられるように背後に並ぶエルフたちを、彼は一つ高い位置から眺める。当初の予定とは異なり、エルフたちは一陣と二陣に分かれてゴールドバレーに来ることになったために数こそ少ないが、ヒトとは違うために目立っているように思えた。
凱旋は王城まで続き、その後、クラテルに行く組と王城でのパーティーに参加する組に分かれる。
エボニーはフルらと共に一旦クラテルに戻り、パーティーに参加するために王城にトンボ返りすることが決まっていた。忙しい身ではあるが、エボニーが一番の戦功者であるのはあの場に立っていた者全てが知るところであり、パーティーに参加しないという選択肢は用意されなかった。エボニーの正直な感想が漏れたなら「面倒、行きたくない」と言うところであるが、ヨセフ・ブラフナー本人とは言わなくても使者がパーティーに参加する可能性は高く、ノトの国全体の情報が一番集まる場所になるのは間違いない。行く価値は十分にあった。
そんなことを考えながら、なぁなぁで凱旋を終わらせようとしているエボニーであったが、馬に乗っている人物の位が高いのは周知の事実である。あれは誰だと疑問が広がって行けば、どこからか「星の民だ!」と声が上がった。
クラテルはゴールドバレーでも有名な建造物で、その建物に出入りできる人物は限られている。日用品を購入するために何度も出入りしていれば、いずれ顔が割れるのも時間の問題だった。
存在がバレてしまえば素知らぬふりをし続けるわけにもいかず、エボニーは仕方なく手を振って応える。広がっていく歓声に引きつった笑みを浮かべた彼は、視界の端で不審な動きがおこったのを見逃さなかった。
その地点へと目を向けてみてもそこに映るのは民衆ばかりで、おかしな点は何もないように見える。
「…………」
だが、そのうちの一人が突然前にこけるような動きを見せると、違和感は焦燥となってエボニーの腰に吊るした騎兵銃に手を伸ばさせた。
エボニーの動きから何か緊急事態が起きたのを一番最初に察したのは、隣を歩いていたフルだった。
「エボニー様?」
「離れて。戦闘になるかも」
もし戦いになれば、キリが自由に動ける方がエボニーにとって都合がいい。
彼自身、違和感の正体が何であるのか理解できていなかったものの、肌が戦いの空気を伝えてくるために気を抜くことができなかったのだ。
(そこにあるはずなのに見えないような……なんだ…………)
誰も騒がない以上、モンスターが街中に入っているわけではない。
考えている間に、先ほどとは別の人物が前によろけた。歩いてもいない人間では起きない現象は、更にエボニーの心を曇らせる。何かがおかしい、と。
既に凱旋などどうでもよかった。キリのおかげで隊列から外れてはいないが、彼の心と体は別の場所にあった。そしてついに、違和感の正体を目で補足した。
存在が希薄で、普通であればどうやっても視認できないような異常を成しえる装備を認識したエボニーの思考は霧が晴れたかのように爽快で、あれは敵だ、と完全に意識を切り替えた彼から逃れられるほどに相手に余裕がなかったのが勝敗の別れ道だった。
「夜の外套」──民衆の意識の殆どが凱旋に向かい、周囲の人間のことすら気にできなくなるほどに興奮している現状で、ただしく効果を発揮した、ドラゴン種の素材を使って作成される外套。エボニーもまた使用したことがあり、着用者と戦闘をしたこともある。そして一度知覚してしまえば、もう見失うことがない以上、それが「夜の外套」だと疑う必要もない。
(近づいて来てるな……教会の連中か?)
エボニーが気が付いたのは一人だけ。他に仲間がいないとも限らないためにフルに背中を任せ、気が付いていないフリをしてそっとキリに話しかける。
「キリはあいつが見えてるか?俺よりもキリの方が視野が広い。襲ってくるようなら……頼むぞ」
敵を視認出来ている現在、騎兵銃で撃ち抜くのは簡単だが、その周りに居るのはただの民間人でしかない。もしもの被害を考えると迂闊に攻撃をするのはためらわれた。かといって、近づかれると弱いのが騎兵銃の欠点である。エボニーの前方にはエルフが並んでおり、後方にはズーハンを始めとした「ボトムライト」の面々が続く。何かあっても咄嗟に動くことができる布陣であるが、今回、彼らの出番はなかった。
人間の目は正面を向いているのに対し、馬の目は顔のほぼ真横についている。
250度の視野を持つとされる馬に奇襲をするのは難しかった。
「……天誅!!」
民衆の中から飛び出してきた暗殺者に、はたして何人が気が付いただろう。
西洋剣を手に走り出した男の装備は「夜の外套」によって分からない。
エボニーを一心に狙っているのか両者の目線が重なり、感情の交錯が起こる。だが、そこに放たれる意識外からの一撃。
ステップを踏んだキリの後ろ蹴りが鋭く暗殺者の胸元に突き刺さり、馬上にいるエボニーにまで骨を砕く感触が伝わってきた。防具の上からでも分かる異様な凹み具合から助からないのは一目瞭然だった。
騎兵銃を構えてキリの背から降りたエボニーは、地面に転がっている男の体の向きを足で変え、鎧を避けるように脇に銃口を当て、かすかに息の残る相手に止めをさした。




