大団円の裏でなんだか不穏な空気が流れているみたいです④
木のコップに注がれたオレンジジュースを口にしながら揺れる水面を眺めている。
その眼差しは何を思うか……一目見るだけでは読みとれない雰囲気だった。過去に思いを馳せているようにも、オレンジジュースの酸味のくどさにリンゴジュースにしておけばと考えているようにもとれる。
―コポコポ
その眺める水面から一人……いや、一匹のクマのぬいぐるみが浮かび上がってきた。
「え?」
ぎょっとするジル。そのクマのぬいぐるみはスイスイと平泳ぎで泳ぎ出すと彼女の足下にたどり着く。
「いやー登場の仕方をどうしようか考えた末、水の中からにしたけど失敗したなぁ。綿が水吸っちゃって体が重いや」
「……」
無視をするジル。
クマのぬいぐるみ ―イシュタルは気にもとめず淡々と言葉をつむぐ。
「にしてもさぁ、湖なんて眺めてどうしちゃったのさ。もしかして女神の登場に期待した? 金の斧とか銀の斧とか、そのジュース投げてお酒にでも変えたかったとか?」
「……」
話しかけられてもなおも無言を貫く彼女にイシュタルはズバリ言い放つ。
「もうネタは上がっているから無視しても意味ないよ。ボクの領域に何しにきたのさ ―ヘラ様」
「ヘラ様」と呼ばれたジルはとうとう観念したのか会話に応じる。
その口調は十代そこそこの少女ではなく極めて老獪な……例えるなら女上司のようなキツい口調だった。
「神を泳がせるなんて性格悪いわね。いつからバレていたの? 私がゲームのキャラに乗り移っていることに」
「たった今泳いできたのはボクだけど」
「屁理屈はいいから説明なさいな」
強めの口調にビビリながら、イシュタルは腕を組み気が付いた経緯を説明する。
「一応ここはボクの領域、他の神が気配を隠して入ってきてもさすがに違和感を覚えるさ。でもヘラ様がジルに乗り移っていると気が付いたのは最近さ、主人公のジャンが別の女の子にモテても嫉妬しないんだもの」
「あぁ、そういうキャラだったのね、この子」
「神の中でボクのリージョンに……ハセマリの試練中に入ってきそうなのはヘラ様しかいないと思ってかま掛けたのさ」
そう言われジル ―ヘラは頭を掻いた。
「もっとキャラクターの予習をすべきだったかしら、失念していたわ」
「まぁしょうがないよね、ヘラ様が嫉妬するのは旦那のゼウス様だもの」
ヘラ ―
ゼウスの妻であり天界でも女神を束ねる中心的役割の神の一柱。
そして、ハセマリを生き返らせるのを良しとしない神の代表でもある。
イシュタルは嘆息してヘラをたしなめた。
「いやぁ、いくらヘラ様でも試練の最中に手を出すのはよろしくないなぁ。ハセマリの邪魔したい気持ちはわからなくもないけどさ……」
「……」
「確かに、天界発足以来、気に入った人間を生き返らせることを許す前例を作っちゃったら、あのゼウス様なら下界の女の子を手当たり次第に生き返らせて恩売って手を出しそうだものね」
「それは否定しないわ、あの人なら絶対やるでしょ」
ヘラは旦那の下半身事情についてきっぱりと認める。
しかし、それだけではない……本来の目的は邪魔しに来たわけではないと彼女は言葉を返した。
「まず謝罪するわイシュタル、黙ってあなたの領域に入り込んでしまって申し訳ないわ」
「あ、うん」
素直に謝られ拍子抜けするイシュタル、いつもなら「私は悪くない」と食い下がってくるものだと構えていただけに気の抜けた声しか出ない。
「確かにこの目で見たかったわ、長谷川麻里亜がどういう人間なのか、生き返らせるに値する人間なのか、なぜそこまでタヂカラオを含めた連中が惹かれるのか……」
「だったらボクに一言あっても良かったじゃない」
ヘラはそんなイシュタルに半眼を向けた。
「だってあなたハセマリ派になびきつつあるでしょ、無意識にハセマリの悪いところを見せないようにするかもって思ったからよ」
申し訳なさそうなヘラの言葉にイシュタルは強く言えなかった。イシュタル自身もハセマリを生き返らせる派に傾いているのは否めない事実だからである。もしヘラが「ハセマリの人間性をみたい」と言ってきたら彼女の良いところばかりピックアップして公平さに欠ける行為をする自信すらあった。
「……で、どうだった? 生ハセマリは」
「生ハセマリというか生マリア・シャンデラでしょ。まぁ悪い人間ではないし見ていて面白い感じではあったわ。素朴でイヤミがない、うん、いい感じよ」
ポツリポツリとハセマリを認める感じの言葉を呟くヘラ。
しかし、次に彼女はキッパリと厳格な考えも言って見せた。
「でも素朴さが魅力と言っても、あの程度の良い人間は下界で探せばたくさんいるだろうし、そこまで肩入れする人間かしら? というのが正直な感想ね。とあるユーチューバーの信者に熱弁を振るわれて試しに動画を見ても『そこまで絶賛するほど?』と首をひねりたくなる感覚に近いわ」
あまりにも的確な意見にイシュタルは否定できなかった。内々の盛り上がりが大きくなった現象に近いという自覚があるからである。まぁその「内々」が「神々」なのでややこしくなっているのだが。
「確かにね……ただ友達付き合いするなら本当に良い子なんだよ」
そう漏らした後、イシュタルは真剣な眼差しでヘラを見やる。
「いろんな意見がある、だからこそ試練を与えたんでしょ。この試練を乗り越えれば生き返ることが約束された、天界の神々の『全会一致』で決めたことさ。それに対して後から口出しすることはルール違反じゃないのかい? ましてや覆すことなどあってはならない天界の不文律のはず」
神々が全会一致で決めたことはどんな下らないことでも絶対。
だから見守って欲しいとイシュタルは真剣に語る。
―が、その言葉「全会一致」という言葉にヘラは食いついた。
「そう、それなのよ。今回の一件、それがおかしいのよ」
「え?」
力強く指をさすヘラに身をすくませるイシュタル。
彼女はその「神々の全会一致」について、その不自然さに言及する。
「一人の人間、それも普通の女子高生に神々が良くも悪くも注目する……極めて異例のことだと思わない」
「まぁね」
「そんな彼女が不慮の事故で死んで、生き返らせるか否かで天界が二分になった……そして全会一致を経てあなたの領域で試練を与えることとなった」
「改めて言われると超が付くほど異例だね」
ヘラは頷きながら続ける。
「すべては天界にて静かに起きていたハセマリブームが原因。それはタヂカラオを含めたごく少数だけの話だったはず……」
何かに気が付いたイシュタルは口を挟む。
「もしかして、意図的に作られたハセマリブームだとでも言いたいのかい?」
「ゲームに精通している、他の神に比べ俗世に精通しているあなたならわかるでしょ」
ヘラに言われイシュタルは妙に納得してしまった。それこそ内々で楽しむだけならハセマリは素朴で応援したくなる、しかし神々を巻き込むほどとは冷静に考えたら思えない。
「な、何が言いたいのさ」
ヘラは憶測を交え、自分の考えを静かに語り出した。
それは突拍子もなくバカバカしい……しかし、事実だとしたら震えるような内容だった。
「この試練は誰かが意図的に仕組んだものよ……犯人の目星はついている」
「だ、誰なんだい」
「私の夫ゼウスがロキと共謀したのよ」
「ゼウス様がロキと⁉ いったい何でさ⁉」
ヘラはゆっくりとその考えに至った理由を語りだす。
「あなた言っていたわよね。『何柱か』神が潜り込んでいると」
「ヘラ様以外、それがゼウス様だっての? 確かに最近姿を現していないけど」
私の憶測と前置きしながらヘラは続ける。
「試練の内容、もう一度言ってもらえるかしら?」
「マリアがこのゲームで生き延びること、つまりワルドナというゲームがエンディングを迎えるまで無事に過ごすことだね」
エンディングを迎える ―
そこにヘラは疑問を呈する。
「じゃあもし仮によ、ゲームがエンディングを迎えず、かつマリアが生き延び続けたらどうなるのかしら?」
「どうって……え? まさか?」
何かを察したイシュタル。
ヘラは「気付いた?」と自分の考察、その核心を語る。
「私の夫ゼウスはこの世界に潜り込んでゲームを終わらないように画策しているでしょう。そしてハセマリに永遠の命を与え長い休暇を取るつもりよ。現世の時間を止め神である自分の仕事を放棄して大手を振って……ゲーム内の女をとっかえ引っかえしながらねぇ」
イシュタルは「さすがにそれは疑いすぎでは」と言い返す。
「確かに僕の再現したゲームの世界はエンディングを迎えない限り延々と続く。人々は営み育み……一つの新しい世界。神の力を、それを別荘感覚で使うなんてヘラ様だけじゃなく他の神様も許さないでしょ!」
が、ヘラはここでキーワードを繰り出した
「神々が全会一致で決めたことは何があっても反故にすることはならない」
「 ―ッ⁉」
息を飲むイシュタルにヘラが続ける。
「どんな下らないことでも全会一致で決めたことは守ってきた、それで数多の神々が住まう天界は平穏を保ててこれた。アース神族も八百万の神も北欧神話の神々も……違うかしら?」
ジルの体を通したヘラの眼差しはイシュタルを貫いた。
思い起こせば不自然だった……イシュタルの脳内で過去の天界での出来事が蘇る。
「あの子、家事で忙しそうだからゲームでも勧めたら息抜きになるんじゃないかな?」
「お? ゲームか! いいな! ハセマリにゲーム! 息抜きに絶対なるぜ!」
「今、ワルドナって流行っているからそれをやらせたら?」
「お? わーるどな? それがいいならそれだな! というわけでイシュタル! 聞いたかオイ! ワルドナをハセマリに勧めてやってくれよ!」
「痛いよタヂカラオ……」
あの時、さりげなくワルドナをタヂカラオに勧めていたのは ―
「ロキ……」
お母さん系女子高生の柔らかい感じに……そんな長谷川麻里亜という日本の女子高生に神が目をかけることはおかしいことは無い。
しかし天界を二分するほどのムーブメントが起こるなど、異常な過熱ぶりを見せるなど仕掛け人がいないと不自然にもほどがある。
そしてその過熱がピークになった時、見計らったかのようなハセマリ交通事故の一報。
そして「たまたま」友人に勧められた不慣れなゲームの世界で生き延びるという試練が提案されることになった。
前代未聞、普通の女子高生に神々が全会一致の試練を与える。
それを仕掛けられるのはラグナロクを引き起こしたトリックスターと呼ばれる暗躍大好きロキしかいない。
彼の神の名前を口にするイシュタル。
ヘラは大きく頷いた。
「天界にハセマリブームを仕込んだのも、おそらくハセマリの事故を引き起こしたのも彼でしょうね……このところ天界にいたりいなかったりだから、きっとワルドナの世界に入り浸っているんじゃないかしら」
そこまで言われイシュタルは頭を抱える。苦労人っぷりが窺える渾身の嘆きようだった。
「まじで僕の領域を避暑地扱いかよ……」
女子高生の命を使って、現世の時を止めてまで……一柱の神として良いように扱われているのも含め憤りと切なさが独白と共にこみ上げるイシュタル。
そんなイシュタルの肩をヘラがポンと叩いて慰めた。
「大丈夫、妻として夫の愚行を私が許さない。絶対ゼウスの首根っこ掴んで引っこ抜いて海辺で天日干しにしてやるんだから」
「ゼウス様の首の干物に需要は無いと思うよ……もう」
そこまで言ったヘラは口元に指を当てる。
「この件は他の神には秘密ね、誰が誰とつながっているかわからないし、内々で探るわよ」
妙に自信があるヘラにイシュタルが素朴な疑問を投げかける。
「頼った方がいいと思うんだけど……そこまで言うってことは何かアテでもあるのかい? 僕ですら神がこの世界に入り込んでいる気配しか感じられないってのに」
ヘラは胸を張り自信ありげにこう答えた。
「えぇ、確証はないけど、手がかりらしきものはね」
そう言いながら彼女はチラリとマリア一行の方を見やる。
その中、のんきに座り込んでいる一匹のモンスターを凝視していた。
「わ~っふ」
「まさかモフ丸君が?」
のんきにあくびをしているコボルトの赤ちゃん。
彼が、ワルドナの世界に逃げ延びし神々の接点になるなどイシュタルも、そしてマリアにも知る由は無かったのだった。
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