なんだか私の知らないところで盛り上がっています②
穏やかな日差しが降り注ぐシャンデラ家の豪邸。
上級貴族の住まいらしく至るところが贅を尽くした豪奢な装いになっており、気品あふれる柱の意匠や手入れの行き届いた庭木は訪れる者を圧倒する。
マリアの父、ガンドル・シャンデラは貿易を取り仕切る元締めのような役割を担っており輸入品の管理保管仕入れの確保などサイファー公国の外交関係にも顔の利く彼のその地位は盤石の物となっている。装飾品が豪奢なのは貿易の元締め故だろう。
そして住まいや装飾品だけでなく、使用人もまた一流揃いである。
数々の庭園を取り仕切ったことのある熟練の庭師に貴族に負けず劣らずの作法を身につけている執事と使用人、今すぐにでも貿易都市の一等地に店を構えてもおかしくない料理人。最高のおもてなしをお約束している布陣はもはや一流ホテルに匹敵する。
「上級貴族とはかくあるべし」……と、言葉ではなくたたずまいで示しているような、そんな邸宅であった。
そんな一流の料理人や使用人のひしめく中 ―
「よーし、今日もお掃除張り切っていってみよう!」
一人娘であるマリア・シャンデラはバケツと雑巾を抱え窓ガラスの拭き掃除に勤しんでいた。
煌びやかで艶やか、気品あふれる顔立ちに力強い目つき……
一見、気は強そうであるが、顔立ちに似合わず伴う雰囲気は実に穏やかでまるで近所のおばちゃんが掃除しに来たような雰囲気さえ醸し出していた。
彼女の召し物は貴族らしい豪奢なドレス……ではなく、継ぎ接ぎやあて布の目立つ古びたワンピース。
その上から使用人と同じエプロンを身につけ頭には三角巾を装備している。
顔立ちと比べアンバランスな衣服だが不思議と似合っている、きっと彼女の纏う雰囲気がそうさせているのであろう。
三角巾に至ってはトレードマークと言われてもおかしくないくらいにしっくりしていた。
そんな彼女はウキウキしながらサッシにたまった土埃を丁寧にふき取っている。
「……」
その様子をじーっと見ている使用人の女性が一人。
すっきりとした顔立ちからはスマートさを滲ませ何でもそつなくこなしてくれそうな雰囲気が漂っている、まさしく「若くしてデキる女」。
ベテラン使用人のリンである。
その顔立ちは今、実に渋面みあふれていた。落書きをする子供を見やる保母さんのような……しかし向けているのは落書きとは真逆の掃除であるが。
「あの、お嬢様……」
マリアの付き人でもあるリンが困った顔でマリアに呼びかける。
「なぁに、おリンちゃん」
笑顔で振り向くマリア。
もうすでに頬に煤がつき白いエプロンや三角巾は埃で黒ずんでいた。彼女のエプロンや三角巾は、正直どの使用人よりも使い込まれている。
リンはその姿を目にし、こめかみを指で押さえながらマリアにこう進言した。
「あの、そんな汚いところは我々が掃除しますので……お掃除なさるのでしたらお嬢様は別の場所を ―」
リンの提案をマリアは食い気味で却下した。
「ダメよおリンちゃん!」
「もうおリンちゃん呼びは定着してしまったんですね……して、なぜダメなのですか」
「窓のサッシを甘く見てはダメというの! たまった土埃の中には春先の花粉だって交じっているの! 窓を開けて換気するとき花粉が舞ったりしたら辛い人だっているでしょ⁉」
「だからといって率先してお嬢様がやることは!」
「お嬢様だからではなく気が付いた人がやるの! テーブルの汚れ、ティッシュが切れた時の補充、加湿器の水……細かい家事はノーサイドの精神でやらないとダメなのよ!」
聞き慣れない単語が耳に飛び込んできてリンは思わず聞き返す。
「えっと、加湿器?」
「あぁ、こっちの話……ともかく窓の掃除をすれば陽の当たりがよくなって床のダニも減るし、印象も明るくなるしで良いことずくめなの!」
己が失言を誤魔化すように強めに窓掃除の良いところを説くマリアだった。
……とまぁ上級貴族であるシャンデラ家の一人娘に転生したというのに、ご令嬢らしからぬ装いと使用人を差し置いて掃除に勤しんでいるのにはわけがあった。
ゲームの設定である「悪役令嬢」、その役割を遵守するため「ワガママ」をするべきと考えているマリア。
しかし、パソコンをインターネット呼ばわりするような「お母さんレベル」のゲーム初心者である彼女は「悪役令嬢」がどんな存在かよくわからず、彼女なりのワガママで使用人に交じり家事に勤しんでいるのであった。
(ゴメンね、おリンちゃん……本当はみんなのお仕事を奪いたくはないのだけど、悪役令嬢のワガママだから甘んじて受け入れてね)
もちろん「悪役令嬢のワガママ=使用人の家事をかわりにやってしまう」という図式はセオリーから脱線しており、もはや銀河の彼方に飛び出しているレベルの間違いである。
だがマリアはひたむきに「これぞ悪役令嬢」と信じ家事に勤しんでいたのだった。
「というわけで掃除よ掃除! 汚れた衣服にパンツたち! でてこいやっ!」
「でてこいやじゃないですよ、それとお嬢様がパンツなんて単語を堂々と口に……あら?」
ゲームのストーリーに、世界の運命に問題が起きないよう悪役令嬢を全うする姿勢のマリア。
そんな彼女の前に、ガッツリ運命を変えられてしまった一人の男が現れる。
カッ……カッ……
響く足音すらよく通り、まるで舞台の花道を歩いているかのような優雅なたたずまい。
顔立ちは涼しげで気品に満ちあふれている……達観した眼差しによる流し目がまたたまらない。
一方的に言い寄られ、そのせいで自身の知らぬ間に数々の浮き名を流すことになったと半ば伝説になっている存在……眉唾物の話だが本人を目の前にしたら誰しもが納得する。そんな美男子。
キバ・イズフィールド・アネデパミ。
竜族の王子にして次期王であり、いずれ亜人種を統べる者。
そんな彼は今 ―
「マリア様、頼まれていたぬか床をかき混ぜてきました」
シャンデラ家の執事となり、マリアの命でぬか床をかき混ぜてきたのだった。
何でも着こなす抜群のスタイルであるキバは執事服も難なく着こなし雑務に勤しんでいるようである。
「ありがとうございます、キバ様」
「いえ、ぬか床は私の担当ですので」
あふれる気品と共にぬか床の匂いも漂わせる次期亜人の王。
使用人のリンはその明らかに場違いにもほどがある同僚の存在に未だ慣れず額に汗が浮かび上がっていた。
「アネデパミ卿……」
マリアの料理に無くした心を取り戻しかけた彼は失った心を取り戻すべく、執事となり彼女のそばで働くことを決めた……とのこと。
失った心を取り戻すことに躍起になっているあまり何か別の物を失っている気がしなくもないが……どこか満足げなキバにリンも他の同僚も、そしてマリアも何も言えないのであった。
「振る仕事に困ったからぬか床を任せたらここまで使命感を帯びるようになるなんて思わなかったわ……」
独り言ちるマリアにリンが「今度はもうちょっと考えて仕事を振ってあげてください、仮にも竜族の王子ですから」と目で訴えてくるのだった。
「アハハ……あら?」
そこに漂うタケノコのいい香り。
マリアはその香りをかぎ取るとイソイソと身支度を始める。
「さー炊けた炊けた。あぁおリンちゃんゴメン、雑巾とバケツを片づけておいて」
「あ、はい」
リンに後片づけを任せ、大股開きでマリアが向かう先は台所。
彼女は掃除で汚れた手や顔を綺麗に洗うと三角巾を締め直し、コトコト揺れている蓋を持ち上げ鍋を覗き込んだ。
ふわっと湯気と共に炊き込みご飯の香りが鼻腔をくすぐる。
その香りに誘われたのかモフモフてふてふと小動物の駆け寄る足音が聞こえてきた。
「わっふ~ん」
まず台所に飛び込んできたのは青白い毛並みのキュートなコボルトの赤ちゃんモフ丸。
「なにやら甘美な匂いが漂っておりますなぁ」
続いてロクの地を納めていた力失いし妖狐一族の末裔ギンタローである。
一見ペットのようであるが、二匹は何度も話題にあがったマリアの護衛モンスター。
そう、愛玩動物は仮の姿……のハズなのだが ―
「醤油香るお焦げ……くひゃ~! これは炊き込みご飯でございますぞ!」
「わっふん! もっふん!」
素性を隠すべく演技に勤しんでいるか、その本分を忘れているか否かは本人のみぞ知るところである。
そんな腕白モンスターの首根っこをキバが真顔でむんずと掴み、これ見よがしに嘆息して見せた。
「ギンタロー、あなたちんちくりんになったとはいえロクの地を守っていた由緒正しき一族の末裔でしょう? 大昔、私の一族と亜人族の覇権を争った……今はちんちくりんですが」
「なんじゃキバ! 無駄にちんちくりんを粒立たせおって……ってぬか床臭いわこのトカゲ!」
「モフ丸君もこのダメ狐とつるみすぎてはいけませんよ」
キバの言葉にモフ丸は耳を垂らし申し訳なさそうにした。
「わきゅん……」
「はぁ『ノリの悪い奴と思われたくないから』ですか……付き合ってあげる君は優しすぎですよ」
ギンタローと違い優しくたしなめるキバの姿はまるで長男である。
その光景をリンはこめかみを押さえながら見やっていた。
「やっぱりあのキツネ、しゃべっているような……」
ギンタローの素性に気が付かれたら面倒だとマリアは必死になって誤魔化そうとした。
「そ、そんなわけないじゃないのよ~。や~ね~おリンちゃんったら」
「えぇ、確かに疲れています。気疲れですね。そうおっしゃっていただけるのなら家事は控えていただければ」
その会話が聞こえていたのかキバがすっと二人の会話に入ってきた。
「疲れているのでしたらもっとお手伝いさせていただきます」
「えぇ⁉」
狼狽えるリンになおも言葉を続けるキバ。
「同僚なので遠慮は無用ですよリン先輩」
その台詞に対しリンは胃の部分をさすり苦笑した。
「いくら遠慮無用と言われましても胃が弾け飛んでしまいます」
例えるなら総理大臣が「疲れているならシフト変わろうか?」と言ってくるようなもの。やんごとなき立場の人間に雑用なんかをやらせた日には何と言われるか……想像しただけでリンは苦悶の表情になるのだった。
「まったくもう……これでは前のワガママお嬢様を相手にしていた方が幾ばくかマシですね。優しさも度が過ぎたらいけません、遠回しの嫌がらせですって」
独り言ちるリンにマリアとキバは仲良く首をかしげた。
「どうしたのおリンちゃん?」
「私、何か粗相でも?」
「いえ、こちらの話です……それでは私は他の仕事が残っていますので」
台所から立ち去るリン。
彼女と入れ替わりで父のガンドルと母シンディが台所に現れる。
「いい香りじゃないマリア」
鼻孔を広げ炊き込みご飯の香りを胸一杯に吸い込むシンディ。
学園での活躍や亜人族の要職に就くキバとのつながりなど、娘が立派に育ってくれたと最近は表情から角が取れ柔和な表情になっている。昔ならマリアが台所に立っているだけでも苦言を呈していただろう。
父ガンドルにいたっては……
「わっはっは! 炊き込みご飯! 大いに結構!」
マリアの充実ぶりが嬉しくて笑顔が絶えないご様子である。
竜族とのつながりの他、噂では生徒会に勧誘されていると小耳に挟み「我が娘の将来は安泰も安泰! 後は孫の顔を見るだけ!」と気の早いことを常々口にしていた。好々爺の準備は万端といったところであろう。
「お父様、お母様」
つなぎのドレスで恭しく礼をするマリア。
まだぎこちないが最初と比べずいぶんと様になっていた。
そんな彼女の肩をガンドルはポンと叩く、気が大きくなったのかシャンデラ家の当主らしからぬ言動であった。
「わっはっは! いやはや、炊き込みご飯か! お昼が楽しみだなシンディ!」
「えぇ、あなた。あとは礼儀作法が完璧になってくれれば社交界の頂点に立つのも遠くないわね」
娘バカを遺憾なく発揮する両親。
その会話にキバが真顔で入ってきた。
「旦那様、奥方様。失礼ながらマリア様は礼儀作法が完璧でなくとも今でも社交界の頂点に立てる逸材ですよ」
イケメンに娘をさらりと誉められ、ガンドルもシンディもハニカんで照れる。
一方、いきなり「社交界の頂点に立てる」と言われ狼狽えるはマリアである。
「いや、私は別にそこまで ―」
あわてて否定するマリア。
それを謙遜ととらえたキバは賞賛の声を惜しまない。
「さすがマリア様。間を置かずにすぐ謙遜……他の上級貴族の方からはなかなか聞けませんよ」
「いや、そうは言われても……」
本質は上級貴族ではなくただの女子高生、このまま社交界なんて単純に荷が重いとマリアは困るしかない。
そして、モブキャラの自分がゲームの重要キャラからここまで誉められる状況を憂いていたのだった。
(悪役令嬢キャラを演じきるのに精一杯だってのに社交界デビューなんて、しかもキバ様のお墨付きなんてマジ勘弁よ)
実際、悪役令嬢キャラを演じきれていないからこの有様なのだが……この天然もまたマリアの魅力であり天界の神々にファンが多い理由であった。
「いやはや、上級貴族の一人としてキバ様のお言葉は耳が痛いですな。メンツという物が大事になってしまい負け顔を見せることを非常に嫌う……悪習とは思いますが」
上級貴族に傲慢な人間が多いことを自覚しているガンドルは笑うしかない。
シンディも彼の言葉に同意する。
「そうね……でもこの子のおかげで省みることができた気がします。家柄を重んじすぎたり財力と権力で物事を解決したりするのがいかに無粋かと実感させられました」
「確かにな、最近じゃマリアに友人ができないかもと憂いて養子を迎え入れようとしたのが今となっては恥ずかしい」
マリアの両親にキバは学園でのマリアの様子を告げる。
「マリア様は普通にご学友と楽しくされております。ですよねモフ丸君」
「もふん!」
自分も友人の一員だとマリアの頬を舐めるモフ丸。
キバは傍らのギンタローに釘を差した。
「ギンタロー、あなたは舐めてはいけませんよ」ヒソヒソ
「するか! ……したいが!」ヒソヒソ
一方、モフ丸に舐められながらマリアは怪訝な顔をしている。
「養子……養子ねぇ……」
「わう?」
舐められたことが嫌だったのかと首をかしげるモフ丸にマリアは「違うわよ」と首元を撫でてあげる。
「大丈夫よ、そうじゃないの」
「わっふ!」
「あ、やっぱオッケーなんだ」と再び嬉しそうに舐め回し出すモフ丸。
ギンタローは羨ましそうにその光景を眺めていた。
「うぬぬ……」
「どさくさに紛れて舐めようとするのは犯罪ですよ」ヒソヒソ
「違うわい! 先ほどのマリア殿の表情が気になっただけじゃ」ヒソヒソ
ギンタローの感じた違和感は間違っていなかった。
そう、マリアはその「養子」に関して目下悩んでいる最中だったのだ。
(養子……その養子が私を殺す予定だった義理の妹ミリィだったのよね)
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