プロローグ(下)
ワールドナイン。通称ワルドナ。
老舗ゲームメーカーが発売した新作ファンタジーRPGのことである。
主人公たちの通う魔法学園で突如起きる殺人事件。
その全貌を探るうちに主人公たちは学園の、そして世界を巻き込む悪しき精霊との戦いに身を投じていく王道RPGで前評判も高かったゲームである。
やって損はない――こんな感じで友人に勧められ、ゲーム初心者ながらプレイしていたことを思い出したマリアは荒唐無稽な話に目を丸くして驚いていた。
「ゲームの神様だからゲームの世界に転生させてくれたってわけね……あの、これと私が生き返る云々いったいどう繋がるのかしら?」
いまだ話の見えないマリアは再度イシュタルに訪ねると彼は神妙な空気を醸し出す。
「いいかいハセマリ。ハッキリ言って死を覆すというのは簡単な事じゃないし神様だっておいそれとしてはいけない行為なんだ」
「そ、そうなの?」
すごむ彼にマリアは生唾を飲み込む。
イシュタルは神様らしく厳かな雰囲気を保ったまま続ける。
「君が生き返るに値するか否か……相応の覚悟をもって行動で僕ら神に示してほしい」
「何かすればいいのかしら? このワルドナの世界で……」
「それはね――」
イシュタルはゆっくりと伝える。
「このワルドナの世界で無事生き延びること」
「え? それだけ?」
生き延びる、つまり普通に過ごすだけ。
何かを成し遂げるとかラスボスを倒すとかそういうのとは違う要求にマリアは拍子抜けだった。
「無理難題を言われるかと思ったけど……本当にいいの? ゲーム初心者でもそれくらいなら大丈夫そうよ」
楽観的なマリアを見てイシュタルは腕を組んで「覚えていないんだ」とちょっぴり呆れる。
「やっぱりキャラクター名あまり覚えていないんだ。まぁゲーム初心者ってあまり名前覚えていないもんね、特にこのキャラは脇役だし」
「このキャラ? 脇役? 確かにマリア・シャンデラって聞いたような気がしていたケド……」
出てきそうで出てこないもどかしさに身悶えするマリア。
イシュタルは彼女の記憶を後押しする。
「それがいたんだよ「マリア」って前世の君と同名のキャラがさ。それも超序盤」
「そういえばかなり最初の頃「私と同じ名前だ、縁起悪いなぁ」って思った記憶が――ッ!?」
そこまで念押されたマリアの脳内に戦慄が走る。
上級貴族のマリア――
そんな存在が確かにいたことを。
しかしなぜ彼女が今に至るまで忘れていたのか。
それはその「マリア」が記憶の片隅にしか残らない端役だったからである。
だが、記憶に残らぬ端役でもただの端役ではない。
「マ、マリッ!? マリア!? 確かにマリアっていたわ! もしかして――」
マリア・シャンデラ。
ゲームでは主人公たちの一年先輩。
そして魔法学園……ワルドナのゲーム内における事件、その最初の「被害者」。
殺された彼女の死をきっかけに主人公たちの数奇な運命が動き始める。
――そう、つまり……
「――序盤の死体役のマリア!?」
イシュタルは頭を掻いて申し訳なさそうに経緯を語りだした。
「そう、君が転生したのは奇しくも同じ名前の序盤の死体役悪役令嬢「マリア」さ」
「だ、だって死んじゃうじゃない、ゲーム開始間もなく、主人公たちとほぼ絡むことなくあっさりと」
ニアミスする程度のキャラをどうしたらいいの? と困惑するマリア。
イシュタルは「だからさ」と言い出す。
「ゲーム初心者である君にとって死亡フラグ回避は困難だろうと反対派の神様が提案した条件さ」
「なるほど、確かに難題だわ……」
イシュタルは遊戯の神として彼女にこう告げた。まるで勅命を下す上司のような彼に思わずマリアは背筋が伸びる。
「長谷川麻里亜、君には友達から借りたゲーム「ワールドナイン」の世界でマリア・シャンデラとして生きてもらう。そして無事死亡フラグを回避し生き延びることができたら元の世界に返してあげるよ。やるかい?」
その問いにマリアは真摯なまなざしで答えた。
「も、もちろん! みんなが待っているなら! 家族や友達、神様の希望に応えたいです! あとまだ親孝行もできていないしゲームも返さないとダメだし! お母さん家事全然ダメだし! 弟も――」
「親孝行に借りた物を返したい……か、アハハ」
イシュタルは思わず笑ってしまう。
何度も人間をゲームの世界に転生させてきた彼が初めてみる人種だったからだ。
俗っぽさ皆無、自分のことより家族や友達のことが気がかり。
「チートスキルちょうだい」なんて言ってくる連中もいる中でマリアの反応はとても新鮮で好感が持てたのだった。
「私がいないで家事とか大丈夫かな……あ、向こうって今どうなってます? ちゃんとご飯食べてます? 洗濯物はたまってますか?」
心配なのは自分より家族、らしすぎるマリアにイシュタルはヌイグルミの肩を揺らして笑った。
「大丈夫。転生している間は時間が止まるから帰ったら即普段の生活に戻れるよ」
その言葉を受けマリアの顔がぱっと明るくなった。
「よかった、向こうの心配しないですむなら全然大丈夫です! ていうか前向きに考えれば人生一回分お得ってことよね。大容量の洗剤買った感じかな」
あまりにもお母さん的視線で前向に切り替えるマリアに何度も人間をゲームの世界に転生させてきたイシュタルは驚嘆する。
「お得ときたか、そう言われたのは初めてだね。頑張ってハセマリ」
頑張ってと言われたマリアは自信のなさを覗かせた。
「と、とはいえ大丈夫かしら……ファンタジーの世界なんて。貴族の生活ってやっていけるかしら? ダンスとか食事の作法とか分からないし――」
彼女の口から飛び出すは普段の生活や買い物、食事のことなど。
ゲームに転生というより地方に転勤した会社員のような心配だった。
「ふふふ、いやぁ本当に新鮮だね。君らしいよ」
マリアの心配を聞いたイシュタルはますます好感を持ったようで身を前に出してくる。
ゲーム内に転生された人間はやれ「現代知識で無双」だの「ゲームの知識でやりたい放題」なんて俗物的なことを考えるのが大半。
前世の記憶を取り戻した上でお嬢様という異なる立場でやっていけるか、食事は口に合うのか、生活様式うんぬん金銭感覚……
地に足着いた「主婦的」考えに思わず笑ってしまったのだった。
そんな彼女にイシュタルは一つヒントを与えようとする。
「心配することはないよ、君が「普段通り」振る舞っていれば絶対に生き延びられると信じているさ。ワルドナのゲーム開始……主人公たちの入学まであと一年もあるしね」
普段通りを強調するイシュタルにピンとこないマリアは頬を掻く。
「だ、大丈夫かしら。私、胸を張って特技といったら家事くらいだし……」
家事と聞いたイシュタルは口に両手を当て笑って見せた。
「大丈夫さ、その「家事」は神様のお墨付きだよ。頑張って!」
「あ、はい! 頑張ります!」
意気込むマリア。
彼女のやる気を見届けたあと、クマのぬいぐるみはスイッチが切れたかのようにうなだれた。
「動かなくなっちゃった……ゲームに転生かぁ、ワルドナ貸してくれた友達だったら喜んで死亡フラグ回避のためのアイデアをポンポン出していくんだろうけどなぁ」
ゲーム知識の乏しいマリアは何から手を着けたらいいのかわからず腕を組んで悩むしかない。
「あと一年。張り切って頑張りますと言ったものの何をしたら……うーん、とりあえず」
転生したゲームの世界を生き延びる手段。
ゲームに慣れ親しんでいる人間なら鍛錬――いわゆるレベル上げなどがセオリーである。
が、マリアは自他共に認める……なんなら神様すら認めるゲーム素人お母さん系女子高生。
周囲を見回した彼女は年頃の娘らしからぬ汚い部屋を見て、こう呟いた。
「お掃除しよっかな、普段通りって神様も言っていたし」
ドレスの腕をまくって気合を入れるマリア。
見た目は悪役令嬢、中身はお母さんの長谷川麻里亜ことマリア・シャンデラ。
彼女の死亡フラグ回避物語は部屋の掃除から幕を開けるのだった。
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