プロローグ(上)
その日、彼女は朝からやたら忙しかった。
一番下の弟が急に「今日は給食無いから弁当がいる」なんて言ってきたものだから長谷川麻里亜は女子校の制服姿でせっせと弁当箱におかずを詰め込んでいた。
両親は共働き。
子供の頃は祖母が家事をやってくれていた。
しかし、祖母が腰を痛めて以来、今では家事全般は麻里亜の担当だ。
うつらうつらと寝ぼけ眼になりながらも家事を行っている麻里亜は昨日の夜更かしを悔いていた。
「遅くまでゲームやりすぎちゃったなぁ……」
先日、家事ばかりしているマリアに「ハセマリ、少しは息抜きしなよ」と友人が気を使いゲーム機ごとゲームを貸してくれた。
わざわざゲーム機ごと貸してもらった手前、やらないわけにもいかず少ずつ進めていたのだった。
ゲーム初心者のマリアは切りよく止めるタイミングが見つからず、ついつい夜更かしをしてしまったようである。
そんなマリアはあくびをかみ殺しながら壁に掛かっている時計を見やった。
「あ、もうバスの時間じゃない!」
完成した弁当箱を弟に放り投げローファーを急いで履いてバス停へと走り出すマリア。
「一本逃がすと始業ベルギリギリなのよね……おっと?」
急ぐ彼女はふと視線に気が付き、道路の方に視線を送る。
そこには小さな子犬が道路の中心で泣いていた、マンホールの穴に足がはまってしまったのか助けを求めているようにも見えた。
「ここは飛ばす車も多いから危ないわよ……って動けないのか。どりどり、待ってなさい今――」
子犬を助けるため、ガードレールを飛び越え道路に進入した麻里亜。
――パァァァン
耳をつんざくようなクラクションが鳴り響き、そして――
「うぎゃ!?」
目が覚めるとそこは豪華なお屋敷の寝室。
ベッドに横たわりながらマリアは素っ頓狂な声を上げていた。
彼女の名前はマリア・シャンデラ。
上級貴族シャンデラ家の一人娘であり今年魔法学園に入学した普通のお嬢様。
――だと思っていた、この夢を見るまでは。
鮮明に覚えている光景に両親、家族、友達のことが頭をよぎる度に去来する胸の痛みに、彼女は今見たのがただの夢ではないと自覚しある結論に至る。
「たぶん前世の……記憶ね」
あの時車にひかれた自分は命を落とし輪廻転生を経てお嬢様マリア・シャンデラに転生した。
そう確信したマリアは目に映るものすべてが知っているようで知らない不思議な感覚にとらわれ居心地の悪さが拭えなくなる。
「昨日まで普通だったけど、いまじゃ疎遠になった親戚の家に泊まった時のような感じね」
マリアが独り言ち、しばらくぼーっとしていると侍女と思われる人物が部屋に入ってきた。
「お嬢様、いかがなされました?」
「お嬢様!? 誰が……あ、私か」
前世の記憶を取り戻しお嬢様呼ばわりに違和感を覚えたマリアは思わず聞き返してしまう。
いきなり驚かれ侍女はキョトンとするしかない。
「えっと、大丈夫ですか」
前世の記憶が蘇ったせいかぱっと名前が思い浮かばなくなったマリアはたぐり寄せるように侍女の名前を思い出す。
「大丈夫よ! えーっと……リン?」
「はい、リンですが」
疑問系の呼びかけに首を傾げながらも侍女のリンはマリアにドレスの着替えを手伝った。
前世は芋ジャージで過ごしていたのを思い出したせいか、華美なドレスが着心地悪く感じてしまうマリア。
部屋を出て廊下を歩くもどこか不自然で侍女たちや使用人たちが心配そうに彼女を眺めていた。
そして小声でささやき合っている。
「マリア様の様子が変よね」ヒソヒソ
「まさかまた変なワガママ言い出すんじゃ」ヒソヒソ
そんな陰口が聞こえてしまいマリアは苦笑する。
そう、マリア・シャンデラはワガママ放題の超お嬢様。
たびたび無理難題を使用人たちに言っては困り顔を楽しむ生粋のドSだったのだ。
(前世を思い出すと自分の趣味の悪さに吐き気が出るわ、何やってんのよって感じ)
全盛の記憶が戻ると今までの言動が情けないやら恥ずかしいやらのマリアだった。
いままで毎日顔を合わせていたマリア・シャンデラの両親も前世を思い出してしまったらどこか他人のような錯覚にとらわれてしまう。
マリア・シャンデラにとっては両親で間違いないのだが長谷川麻里亜だった頃のくしゃりと笑う苦労人顔の父親とキャリアウーマンで強く厳しい母親、可愛い盛りの弟二人がひどく懐かしく感じてしまうからだ。
「どうしたんだいマリア」
ナイスミドルないかにも「貴族」という感じの父ガンドルが心配そうに声をかけてきてマリアは思わず身をすくめる。
「な、なんでも無いッス」
「ッス?」
妙な語尾を聞き不思議そうに首を傾げる母シンディ。
マリアは必死で誤魔化した。
「い、いえ……ハムッ! ハモッ! ……ではこれで! ごちそうさまでした!」
胸がいっぱいで食欲はないが料理を残すわけにはいけない、前世のもったいない精神のあるマリアは無理矢理でも朝食を詰め込むと急いで自室に戻り頭の中を整理しはじめた。
「うぅ、違和感しかなくてやりにくい。ていうか朝ゴハンが用意されているなんていつ以来? 中学の修学旅行以来かな?」
机に座り腕を組みうんうんうなるマリア。
脳裏に浮かぶは前世の家族のことばかりだった。
「私いなくて大丈夫かな……ていうか本当に死んだのかな? 実感無いし……それにマリア? なんか変な感じがするのよね、見落としというか」
そこでマリアはふと自分の名前に引っかかる物を感じる。
マリア・シャンデラ。
現在の自分の名前のはずだがどこか違和感が拭えないのだ。
どこかで聞き覚えがあるような無いような、デジャビュのようなもどかしさにマリアは身悶えていた。
「マリア・シャンデラ? マリア……」
その時、机の片隅にポツンと置かれているクマのぬいぐるみが軽妙な口調で話しかけてくる。
「やぁ、長谷川麻里亜。ようやく記憶が戻ったようだね」
「きゃあ!?」
「ボクの名前は――オボフッ!」
いきなり動き出したぬいぐるみに驚いたマリアは咄嗟に殴り飛ばしてしまう。それもグーで。
「んぎゃぁぁ!」
ショタボイスで叫ぶクマのぬいぐるみはポフンポフンと床に転がっていく。
度重なる動揺でマリアは肩で息をしていた。
クマのぬいぐるみは文句を言いながら律儀に机の上に戻る。
「きゅ、急に殴るかな? いきなりだから受け身取れなかったよ……」
「ご、ごめんなさい……ぬいぐるみが喋ったから……心臓飛び出るかと思った……」
「ボクなんか中綿が飛び出そうになったよ。とはいえ驚かせてゴメンね」
座り直すクマのぬいぐるみは驚かせたことを謝ると姿勢を正し自己紹介を始める。
「ボクは遊技やゲームの神、名前はイシュタルさ」
「ゲームの神?」
朝からわけの分からないことだらけで困り顔のマリアにイシュタルは優しく説明を始めた。
「君をこの世界に転生させたのはボクの力なんだ」
「転生……そっか、やっぱり私死んだんだ」
第三者に明言され、ようやく「死」の実感がわき出したのか悲しそうな顔をしだすマリア。
しかしイシュタルは彼女の心中を察し優しく首を横に振る。
「いや、まだ死んではいないよ」
「え? どうゆう事!?」
「正確に言うと「長谷川麻里亜」は死ぬ手前、まだ生死の境をさまよっている状況さ。まぁ落ち着いて聞いてよハセマリ」
友達のように語り掛けるイシュタルの言葉をマリアは椅子に座って険しい面持ちで聞く。入社面接のような堅苦しさにイシュタルは思わず笑ってしまった。
「ハハハ、そんな顔しないでよ。実はね、集中治療室で死を待つ君に死んで欲しくないと大勢の人が願っているんだ。お父さんやお母さん、家族や親せきはもちろん、学校の友達からご近所さん、今まで出会った沢山の人が君の無事を願っている」
「そ、そうなんですか。みんなが……」
思わず涙がこぼれそうなマリアにイシュタルは言葉を続ける。
「君は無自覚にたくさんの善行を重ねていてんだよ。それに人間だけじゃない、大勢の神様も君に死んで欲しくないと願っているんだ」
「か、神様が私のことを!?」
「そんな大げさな事じゃないさ、神様の中に君のファンが大勢いると考えてくれればいい」
ファンという俗っぽい例えにマリアは「はぁ」と生返事を返すしかない。
「それと今の状況、結びつかないんですけど」
「簡単に言うと君を生き返らせたい神様がたくさんいるのさ。ハセマリファンの神様もいれば人間の願いを聞き入れようとする実直な神様、犬好きの神様とかね。でも――」
「でも?」
聞き返すマリアにイシュタルはクマのぬいぐるみの眉間をほんのり寄せて怪訝な顔つきになる。
「でも「死は皆に等しくあるべきだ」って昔気質の厳格な神様も少なくなくて、いま天界はちょっぴり揉めているというわけ」
「そ、そうなの? 私のせいで、なんか悪い気がしてきたわ……」
「気にしない、神様も色々いるんだよ。でもそこを気にしちゃう所が君にファンの多い理由かなアハハ」
申し訳なさそうな顔のマリアをイシュタルがなだめると彼は話の核心を語りだす。
「そんなわけで意見が分かれてしまったのでボクの出番と言う訳さ」
「出番? あなたってゲームの神様よね」
命を司る神様には思えないとマリアは疑問を投げかかる。
イシュタルはその質問を待っていたとばかりに答え始めた。
「その通りさ。ところでハセマリ、この世界どことなく見覚えはないかな?」
イシュタルはぬいぐるみの手を使い身振り手振りでマリアに辺りを見回すよう向ける。
「見覚えって、ファンタジーのゲームでしか見たこと無いような……え?」
マリアはそこで気が付く、これは自分が死の直前までやっていたゲームに酷似していると。
そして目の前にはゲームの神様を自称するぬいぐるみ……確信した彼女は念のために彼に聞いてみる。
「これって、私が友達から借りたゲームの世界?」
「そう、君が直前にプレイしていたゲーム「ワールドナイン」さ。キミにはワルドナの世界に転生してもらったんだ」
ビシッとポーズを決めてそう宣言するイシュタル。
マリアは目を見開いて驚くしかなかった。
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