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火も欲しい

 湧き水で喉を潤したおかげで精神的な余裕が戻ってきた。俺は湿ったズボンをどうにかする為にも次の目標を掲げる。

「シェルターと火を作る」

 昨夜の様に怯えて過ごす夜は御免である。その為にもこの二つは必須だった。

 シェルターは外敵から身を隠す為に、そして火は外敵を遠ざける為に。動物は本能的に火を恐れる。それは火が危険な物だから。異世界であってもそこに違いはない筈だ。

 サバイバルで火を着ける方法はいくつかある。多くの者がイメージするのは摩擦熱で着火するキリモミ式の火起こしだろう。有り合わせの道具で行えるそれは有名だが、慣れていない素人では時間ばかりかかる事もまた有名だった。

 だが俺には秘策がある。大切に取っておいた水の入ったペットボトル、喉の渇きに必死に耐えた理由はここにもあった。

「これを凸レンズみたいに使って火を起こす。実践してる人もたくさんいたし俺にだってできる筈だ」

 小学生の頃に理科の授業で習った光を集めて火を着ける方法。当時は虫眼鏡を使っていたが、光の屈折を利用するそれは水の入ったペットボトルでも代用可能だ。

 俺は学生鞄からノートと筆箱を取り出す。千切ったノートの切れ端を油性マジックで真っ黒に塗る。黒色が熱を集めやすい事も幼い頃に習った事だ。最近教わった数学の公式はもう記憶に無いのに、この手の事は古くても覚えているのは関心の差なのだろうか。

 少しでも太陽光の多く射す場所に移動して俺は早速火起こしの準備を始める。道中で拾っておいた乾いた枝や落ち葉、またノートを千切って取り出すと、大きく平らな石を見付けてその上に組んでいく。燃えやすい落ち葉や紙を下に、枝は外にいくにつれて火が長く保つ様に太い物を重ねる。後は黒く塗り潰したノートの上でペットボトルの角度をああだこうだと傾けて一番光の集まる場所を探す。

「分かってはいたけど、やっぱり着きにくいな」

 試行錯誤を繰り返して角度や距離を探すのは中々に難しい。元より要になる水は少しの振動で波打つ液体、維持するだけでも一苦労だ。

 この場所を見付けた時はまだ昼と思しき日の高さだったというのに、今ではもう随分と傾いている。数時間もしない内に日没だろう。

 そんな焦りが伝わったのか手が小さく震える。集まっていた光も揺らいでしまった。固定できる物でもあればまだマシだったのだろうが、そう都合の良い道具の持ち合わせは無かった。

「さっさと火を着けてシェルターを作りたかったのに」

 今からでも火を諦めてシェルター作りに移行するかを考える。シェルターはサバイバルにおいて重要なものだ。昨夜の恐怖もあり外敵から隠れられる事を俺は一番に挙げたが、実際は雨風を凌ぐ事で体温の低下を防ぐなど命に関わるメリットがある。

 しかし昨夜の俺は恐怖に震えはしたが寒さは特別感じなかった。山の天気は変わりやすいとは言うものの、今の空模様は雲一つない晴天。空気もカラリと乾いている気がする。ならば天候面での心配は一先ず置いていても問題ないというのが俺の判断だ。

 そう考えていれば、やはり優先するべきは火だと思えた。仮に寒くなっても火があれば暖を取れる。外敵も火を恐れて近寄らない。やはり今の俺に必要なのは火をおいて他にない。

 決意新たに俺は再びペットボトルを傾ける。日没までそう時間はない。ここからは精神の戦いだ。

 大きく息を吐いて手元に意識を集中させる。少しでも揺れを減らす様に持ちやすい位置へ移動させて、ただジッと根気強く燃えるのを待つ。

 地味な作業だ。黙りこくってペットボトルと紙だけを睨む。同じ体勢を続けているせいで変に身体が痺れる。だがここでペットボトルをずらせばまた一からやり直しだ。

 息が詰まりそうだった。それくらい集中していた。だから紙から昇った細い白煙にもすぐに気付けた。

 紙から聞こえるチリチリという燃える音が自然からの称賛の拍手に思える。俺は喜びから焦って火種を消してしまわない様に慎重にそれを動かした。

「上手く燃え移ってくれよ……!」

 予め組んでおいた焚き火用の木に火種を移す。燃えやすい様にと乾燥した物たくさん重ねておいたのだ。俺はゆっくりと息を吹きかけてまだ燃えていない焚き火へと空気を送り込む。

 強過ぎても弱過ぎても火種は消える。知識だけで経験のない俺は丁度いい塩梅を知らない。だからどうか燃えてくれと願いながらその場その場で調節するしかなかった。

 強く弱く空気を送り続けて暫く、パチリ、パチリと弾ける様に音の種類が変わった。目の前で赤々とした火が少しずつ大きくなっていく。火種は上手く木の枝まで燃え移っていってくれたのだ。

「……ああ、成功だ!」

 空は僅かに茜を滲ませ始めている。なんとか日没までには間に合った。

 疲労感が俺を襲う。だがそれよりも達成感の方が強い。動物にとって火は脅威だが、人間からすれば素晴らしく心強い味方だ。

「っと、暗くなる前に湧き水の近くに移動させないと」

 木の燃える音の心地良さに耳を傾けていた俺だったが、いつまでもボーッとしている訳にはいかないと台にしていた石ごと焚き火を運ぼうとする。だがその熱さに堪らず俺は手を引っ込めた。

 筋力自慢でもないのにそれなりに大きな石ごと燃える焚き火を運ぶのは無茶があった。俺は焚き火の中から太い木を一本選ぶと、漫画に出てくる松明の様にして火を運ぶ。小さな火だけ別の場所で作って焚き火そのものは湧き水の近くに用意しておけば良かったのではないか、と気付いたのは汚れた手を川で洗っている時だった。



 焚き火にあたりながら俺は次にすべき事を考えている。当初はシェルター作りを考えていたが、もう日も暮れようという時分に始めた所で完成しないだろう。

 それよりも今は空腹が酷い。いくら水があれば数日は生きられるとは言え辛いものは辛い。だが貴重な安全な食料――栄養の無いカロリーばかりのスナック菓子ではあるが――を消費するのはまだ早計だ。

「異世界だから植物を見た目で判断できないのが辛い所だよな」

 これが日本ないし地球のどこかなら安全性を知ってる物を探せばいい。だが異世界の植物が無毒か有毒かを俺は知らない。もし見た目が同じだからと食べた物が猛毒だった目も当てられない。

「たしか植物が食べられるかどうかの調べ方があったと思うが……ああダメだ、いまいち思い出せない」

 腰を据えて首を傾げる俺の姿は酷く間抜けな事だろう。だって考えるだけで何もしないなんて無駄がすぎる。サバイバルは効率的に時間を使わなくてはならないと言うのが俺の考えだ。

「そうだ、水でも作るか」

 手持ち無沙汰に頭を捻っているだけはどうにも落ち着かない。ジッとしていられない性格という訳ではないが、状況が状況だからか。明日の自分の為にもやれる事はこまめにやっていくべきだろう。

 俺は早速学生鞄を開いて中を探る。目当ての品は弁当箱だ。俺が進級時に頼んで買ってもらったそれは元はキャンプ用品であるメスティンと呼ばれる容器だった。

「趣味は形からって、渋る母さんに無理言ってこれにしたんだっけ」

 キャンパーの間で好んで使われるメスティンは容器としてではなく調理器具として広く使われている。俺はその手の使い方をした事はまだ無かったが、やはり動画で知識だけはあった。

 俺は川の下流に向けて少し歩く。湧き水の勢いもあり川はかなり長く続いて終わりが見えない。俺は適当に離れた場所まで来るとメスティンを洗い始めた。

 何をするにしても清潔さは必要だ。洗剤も無く川の水で洗ったそれが清潔なのかと思わなくもないが、まあ言ってられる時ではない。それにこの後の事を思えば何とかなるだろうと生来の呑気さが顔を覗かせた。

 俺は焚き火の元まで戻ると川の水を汲む。一度は直接飲んでしまったが本来は良くない事だ。細菌だ何だが混ざっている可能性が多いにある。煮沸処理がサバイバルの基本なのだ。

 本音を言えば濾過装置も作りたい所ではある。だがあいにくと道具がない。ペットボトルを使った装置は有名だが中身を捨ててまで作るのは本末転倒に思えた。

「まあ濁ってないし平気だろ。岩から出てすぐなら自然に濾過されてそうな気もするし」

 先ずはメスティンの殺菌だと汲んだ水ごと火にかける。だが焚き火では持ち手まで火が回って手で持つことも出来なくなるのではとすぐに気付いて取り上げた。案の定持ち手の部分はシリコンチューブがあるというのに想像よりも熱く、あと少し判断が遅ければひっくり返した水で焚き火を消してしまう所だった。

「たしか焚き火の組み方も色々あったと思うけど、でも木だしどう足掻いても燃えるよな」

 にわかサバイバーの知識不足がここで足を引っ張る。あくまで趣味で調べているだけの形ばかりの俺に専門的な知識は無い。プロなら経験から足りないものを補うのだろうが、一般人に毛が生えた程度の俺はそこまでの代物は持ち得ていなかった。

 辺りは既に薄暗くなっている。焚き火のおかげで何も見えないという事はないが、あれこれ動き回るには不向きだ。万が一にも怪我をしてしまったら今後に関わる。

 仕方がないと俺は服の袖を伸ばして手を覆う。袖は手袋の代わりとしては心許無いが贅沢は言えない。火傷をしなければそれで良しと割り切って、焚き火から少し浮かしながらメスティンを火にかけた。

 水が沸騰するまで待つ。濾過はしていないが目に見えるゴミは無かった。元より急だったとはいえ一度はそのまま飲んだ水だ、別段体調に異変もないので問題は無かったのだろう。

 くぁ、と欠伸が漏れる。腹の虫は一周回っておとなしくなった。今は体力温存の為に眠れと脳が命令を下しているのかもしれない。

 カタカタと蓋が暴れる程に沸騰してからもそのまままだ待つ。地球基準ではあるが長く沸騰させた方が良いと聞いた事がある。具体的な時間は記憶にないので兎に角長めだ。

 暫く待ち続けていればいよいよ腕が疲れ始めた。もう数分どころではなく待った気もするので十分だろう。メスティンの底を川に浸して熱を冷ます。

「ペットボトルが二本あればな。流石にこのままじゃ持ち運べないし」

 川の水で熱の冷めたメスティンを手に俺は置き場に悩む。昨今のエコブームに則ってマイボトルを使っておけば良かった。学生鞄の中に水を保存できる様なものはない。かと言ってそのままでは他で使うにも困る。

 一先ずは飲まず食わずで数時間が経っている事もあり腹に入れる事にした。液体を飲む為の容器ではないので口の端から水が溢れたが些細な事だ。やはり渇いた身体に染み渡る水は筆舌に尽くし難い旨さがある。

 腹の虫が思い出した様にグゥと鳴いた。空腹と疲労を紛らわせる為にも今日はもう寝よう。寝床と呼べるような場所は作れなかったが焚き火があるだけ十分だ。

 俺は焚き火の周りから燃え移りそうな物を遠くに避ける。木はできるだけ広く並べる。その方が長く火が保ちそうな気がした。本音は外敵を避ける為にも激しく燃やし続けたいが、それで燃え尽きてしまっては元も子もない。

「明日は辺りの探索に行こう。シェルターの材料と食べられる物を早急に見付けないとだ」

 無事に二日目を生き延びた事に胸を撫で下ろして俺は近くの木に寄りかかる。相変わらず座り心地のいい地面とは言えない。せめてもと石を並べてみたのが悪かったのか。

 だが火という文明を手に入れた俺に怖い物はない。初めての夜とは打って変わって暗闇に怯える事なく俺は深い眠りについた。

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