【序章】始まりの慟哭
夜の闇に炎が揺らぐ。
背を向け斬られる人、そこから流れる血は僕の靴を赤く染めた。揺らぐ熱風に煽られよろよろと足を踏み出す。足に何かが当たった。幼馴染だった。腹を斬られ、それでも踠いたのか身体中を貫かれていた。あの眩い太陽のような笑顔を二度と見ることはできないのだろう。
一層眩い光が視界を覆う。遅れてくる爆音と爆風。音が遠のいていた現実感を呼び戻した。
村が襲われている。なぜ?逃げなければ。いや、家族を、皆を助けなければならない。
竦む足を叱咤し、向かう先は燃え盛る我が家。子供の頃から育てていた花壇は見る影もなく燃え尽きていた。そして今、僕を育ててくれた人たちの命が尽きようとしていた。
「父さん!母さん!」
血塗れで地面に横たわる二人。僕の冷静なところが諦めるのを感じた。それでも認めたくなくて、必死に寄りすがった。
父さんは抱き起こそうとして、でも出来なかった。顔の左半分に奔る普段より痛ましく見える三本の傷を残して、逆に顔はそこしか残っていなかった。
母さんを見ると、辛うじて息があった。それでももう長くは保たないだろう。お気に入りの白いロングスカートは太ももから滲み出る血で赤く不気味に染められ、美しかった顔は泥で汚れていた。
「リュウ……ト…」
苦しい息の下で、途切れ途切れに僕の名前が聞こえた。
焦る気持ちを落ち着けてゆっくりと抱き上げ、何か言おうとしている口に耳を近づけた。
「リュウ、ト……逃げ……て。これは、全部…母さんと父さんの、責任、だから…」
責任?なんで、違う、そんなの後で良い。早く治療しないと。まだ、恩返しも、何も出来てない。
「本当に…ごめん、なさい。貴方に…本当のことを、…………ことを、伝えられなくて…」
口と耳を限界まで近づけても微かにしか聞こえない声。それすら風に掻き消された。
知らぬ間に頬を濡らしたものを、母さんは拭った。
不意に母さんの手が伸びた。僕は母さんの腕の中に包まれる。僕が子どもの頃によくやってくれた、大好きな仕草。
「さよなら、リュウト」
大好きよ。
そう言い残して、母さんの体はずしりと重くなって地に落ちた。
死んだ。直感した。
十六年間、僕を育ててくれた人が、家族が。
血は繋がっていなかったけれど、だからこそ家族より家族らしく。心から慕い、心から愛してくれた父と母が。
二人とも暖かくって、冬はくっついて寝ていた。二人とも僕より子どもみたいな体温だねって言って笑ってた。その二人が、今は無機質な死体となって地面に落ちていた。
溢れた涙は、慟哭が吹き飛ばした。
慟哭が響いた。
村中に轟くほどのそれは、感じたことのない何かを秘めていた。
男は今まさに振り下ろそうとしていた剣を止め、怯える村人を足蹴にそちらへ向かった。
情報は確かだったようだ。この村落にあの【禍竜】の子孫が隠れ住んでいる。眉唾と思ったが、今は伝説の竜の子孫を殺したという手柄が欲しかった。
部下を数十人連れて高く深い山を抜けやっと辿り着いた村落。そうまでして「何もありませんでした」では下にも上にも面子が立たない。
途中にあった禍竜を祀っているらしい祠を理由にその村落を焼き払い、それでも竜の子孫は出てこない。どいつもこいつもただの貧農で、腹癒せに何人も斬り殺したというのに。仕方がないのでそこらの魔物でも斬り殺して竜の子孫ということにしようと思っていたころだった。
これまでで感じたことの無い強大で上等な【臨力】。質も魔物に近い。当たりだ。これで昇格できる。やっとあの女とガキを屈服させられる。
男の心は昏い歓喜に満ちていた。
業火に包まれる村落を駆け抜け、されど男は遠からず自分もそれに包まれることを知らない。
逸る気持ちを抑えながら、慟哭が聞こえた方へ向かうと、居た。
全身は夜の闇より黒い鱗に覆われ、鱗の隙間からは紅い筋が奔っている。その様はまるで血管のようで、ならばその血は沸る憤怒だろうか。そう思うほどに赤く、赫かった。
背中からは巨大で雄々しい翼が生え、顔や頭には鱗が無いが、さりとて柔らかくもないだろう。瞳は縦に割れ、黄金のように輝いていた。そこに理性の輝きは無かった。頭からは二本の角が生え、口には当然のように鋭い牙が並んでいる。
両腕も黒い鱗に覆われているが、それは胴体にはなかった、一定間隔に鱗が結晶化したような鋭利な角が生えていた。爪はその体に奔っているのと同じ紅だった。
下半身で特筆すべきはやはり尻尾の存在だろう。全長は一メートルほどある。もはや見慣れた漆黒で包まれているが、その先端には黄金色の歪な塊が奇妙にくっついていた。
竜。いや、違う。
純血の竜ではない。純血の竜は巨大だ。その巨体が天を覆うほどに。対して目の前のモノは良いとこ170と言ったところだろう。あまりに小さ過ぎる。
これは竜が人と交わり生まれた、竜人だ。
角や尾を除けば人の形であることが何よりの証左だった。
加えて何故か竜人はその両腕で女性を抱いていた。白かったであろうスカートは赤く染まり、今は土気色をした頬も、生前は熟れた林檎のように赤く、さぞや美人だったのだろう。
尤も、男にとって重要なのはその死体が誰なのかではなく、竜人がそれを抱いたまま微動だにしないことだ。
眉唾の情報は少し不正確だったようだが、それでも竜の子孫であることに変わりはない。
男は手柄を持ち帰った未来に胸を躍らせながら、剣を向けた。
未だ男は自分と、村人の死体を抱え動かない竜人の【差】に気付かない。
何故竜人が死体を抱えたまま動かないのか。
何故竜を一匹討伐しただけでも伝説になるのか。
何より、数十人いた部下が何故一人もいないのか。
それに気づかない。
その愚かさが、男が昇格できない理由であった。
男は未来への希望を剣に乗せ、竜に斬りかかる。竜の子孫と言えど所詮は人との混ざり物。この一太刀で決まる。そう、砂糖菓子より甘く考えていた。
剣は竜人の首へ吸い込まれ、そして半ばから折れた。それは男の未来を暗示しているようだった。
決して剣が脆かった訳でも、男の腕が未熟だった訳でもない。
折れた理由はただ一つ。
相手が竜の子孫だから。ただそれだけだった。
明確な殺意を向けられた竜人は、死体を捨て反撃するかと思われた。男も折れた剣を盾にしながら飛び退いた。しかし、現実は真逆だった。
竜人は怯えたような目つきで一瞥し、一層強く女の死体を抱きしめただけだった。全く反撃に出る様子はない。
死んでいる、訳はない。眼は開いているし、眼球も動いている。魔物と対峙して長いこの男の経験には無い事態。
膠着状態を脱するために男は折れた剣を竜人へ投げ飛ばす。
それは男の取れた最後の行動だった。
男が剣を投げ飛ばしたと同時、俄に強風が吹いた。
それが男にとっての致命傷だった。
風に煽られた剣は竜人ではなく、竜人の抱く死体に突き刺さった。
竜人が眼を見開く。折れた剣が突き刺さった死体を見ていた。
竜人の身体に奔る紅い筋が爆発的に、煌々と輝く。割れ物を扱うように、優しく死体を地面に下ろした。
竜人の身体を土煙がほんの一瞬だけ隠す。
竜人は、男の眼前にいた。
男は悟った。
何故、竜人が死体を抱えたまま動かないのか。
その死体が竜にとって大切な人だったから。自分の身などよりも。
何故、竜を一匹討伐しただけでも伝説になるのか。
それ程までに竜は強大だから。それは混ざり物である竜人であれど変わらない。
何故、数十人いた部下が何故、一人もいないのか。
今、竜人の口から吐き出される業火によって灰となったからだ。
はじめまして、馴鹿と申します。
こちらのサイトでは初投稿ですので、何かおかしなところがありましたらお伝えください。そしてタイトルセンスもください。
最後に、このような作品ですがお楽しみいただけましたら幸いです。