これからのこと
「ねぇエルネスト、これからどうするつもりなの」
王女様の護衛騎士を辞めてこれからどうするのか考えているの。
1曲が終わって手を離そうとすれば、腰を引き寄せられて2曲目のステップを踏んでいた。周りにも踊るペアが増えている。
「俺はアリシアの為に生きたい。アリシアはここが気に入っているんだろう。俺もこの地で生きる」
「この地でって……。私だって休息のためだけに普段使っていない屋敷を借りているだけよ」
名残惜しいけれど、ずっとここにはいられない。エルネストの手を取ったのだから、そろそろ王都に戻るべきかもしれないわ。
広場の入口に手にたくさん屋台の食べ物を持っているハンナの姿を見つけて、そう思う。
「それなら家を買ってもいい。出来れば使用人たちもこっちへ連れてきたい。アリシアに会いたがっているからな。仕事は護衛でも猟師でも何でもいい」
エルネストの手の力がほんの少し強くなる。
王都に帰るのが嫌なわけでは無いのよ。皆にも会いたいし。社交の全てが嫌いだったわけでもない。
ただ、王都ではまたエルネストが遠くなってしまいそうで、少しだけ怖い。いつから弱くなってしまったのかしら。
帰りましょう、と言えばそれでいいはずなのに。頷けないまま、軽快で短い曲が終わってしまう。3曲目が始まる前に、エルネストの手の位置が変わってゆっくりと歩き出す。
数歩進んで立ち止まったエルネストに、無意識に下がってしまっていた視線を上げた。
まだ広場の真ん中から抜け出していないのに、どうしたのかしら。
「それならこの地の管理をあなたたちにお願いしようかしら」
顔を上げ切る前に聞こえてきた、よく知っている声に慌てて視線を向けた。
「お母様……?お父様も……どうしてここに……」
人が避けて出来た空間に2人が寄り添うように立っている。隣でエルネストが頭を下げる気配を感じた。
「頭を上げてくれ、エルネスト君」
深く頭を下げたまま微動だにしないエルネストに、一歩距離を詰めてきたお父様がその肩にそっと手を置いて、漸くゆっくりと顔を上げる。
繋がれた私とエルネストの手に視線を向けたお母様が、真っ直ぐにエルネストに視線を向けた。エルネストの手がピクリと動いた気がしたから、私は静かにその手を撫でてみる。
「エルネスト様。私たちは、アリシアに幸せになって欲しいと思っています。それは貴方様の隣でなくても良いと、そう思っているのです。違う形の幸せだってありますもの」
私もエルネストも何も言わない。いえ、何も言えないのだわ。私たちは今でもずっと子供のまま、両親の前では大人になんてなりきれないのかもしれないわね。
それでも離されることのないこの手に安心感を覚える。
「身構えなくてもいい。さっきも言っただろう。2人にこの地の管理をお願い出来ないかと思っているんだ」
「あなた達2人は変なところが真っ直ぐなんですもの。アリシアは誰に似たのか頑固で、きっともう決めてしまっているのでしょう」
困ったように笑う2人に、私とエルネストはどちらからともなく顔を見合わせた。
「きっと私たちが何を言っても変わらないのよね」
突き放されているようにも聞こえるお母様の言葉はどこまでも優しくて、やっぱり私は泣いてしまいそうになる。
「ありがたいことに我が領地は広くて、正直ここまで手が伸ばせていないんだ。この街は自立していてたまの視察で充分だったというのもあるが、せっかくだから2人にお願いできないかと思ってね」
「2人で始めてみるのもいいのではないかしら」
エルネストは一生を騎士として王族に捧げるのだと思っていた。そして私はそれを支え続けるんだと思っていた。
幸せを見つけなさい、と続けられた言葉に頷けば、お母様にそっと抱きしめられる。
「アリシア。あなたは私たちの可愛い娘よ」
幼子に言い聞かせるような言葉が少し気恥しいわ。
お母様が私から離れても、その温もりは残ったまま、ふわりと私を包み込んでくれている気がするの。
「あの、本当に……」
きっとエルネストが口にしようとしたのは謝罪だったのだと思うけれど、それはお母様の手によって遮られてしまった。
「エルネスト様。申し訳ないのですけれど、謝罪を受け取る気はありませんの。責める気はないけれど、許すことも出来ませんから」
「謝罪なんていらないから、アリシアのことを幸せにしてやってほしい」
最初は領主夫妻の登場と私たちとのやり取りで注目を集めてしまっていたけれど、気を使ってくれているのか向けられていた視線はいつの間にか消えていた。
「……はい、必ず。アリシアに笑顔と幸せを」
胸に手を当てたエルネストが静かに、けれどよく通る力強い声でそう呟いた。
***
それからは随分と賑やかになった。
「奥様、おはようございます」
「本日はこちらのワンピースをご用意致しましたわ」
王都の屋敷から使用人たちがやってきて、ハンナと2人きりで使いきれていなかった屋敷はどこも手入れが行き届いている。
流石にあちらの屋敷を放置することも出来ないから、何人かの使用人たちは交代制でこちらと行き来してくれているのだけど、いつも私の好きなお菓子やアクセサリーをお土産に買ってきてくれるからなんだか申し訳ないのよね。でもお菓子はやっぱり美味しくて、ついつい頬を弛めてしまう。
ハンナはこちらに固定の使用人だと最初は自慢げに言っていたのに、最近では私を喜ばせるお菓子を買ってこられるのがずるい、なんて可愛いことを言ってくれるのよ。
ハンナと二人きりの生活も楽しかったけれど、やっぱり皆がいると賑やかでいいわね。
それから、今までと違うことがもう一つ。
私は目の前に広げられた見覚えの無いワンピースを見て苦笑した。
「また新しいワンピースね」
「はい、旦那様からのプレゼントです」
エルネストと一緒に暮らし始めてから、というのもおかしな言い方だけれど、こちらで同じ時間を過ごすようになってから、毎日のように彼からの贈り物が届いている。
もう今まで貰ったもので充分よ、と伝えているのに何故か止めてくれる気配がない。
肌触りのいいシフォンのワンピースに着替えて髪と化粧を整えてもらってから部屋を出れば、すぐ目の前にエルネストが立っていた。
「おはよう、アリシア。今日のワンピースもよく似合っている」
真面目な顔で私の髪をひと房掬いとる。その動きを視線で追っていれば、エルネストがほんの少しだけ微笑んだ。
「エルネスト。食堂で待っていてくれればいいっていつも言っているでしょう?」
朝食を共に、と言う約束から始まったはずなのに、食堂までの短い距離を毎朝エスコートされている。
「一緒にいたいんだ。いいだろう?」
嬉しそうに手を伸ばされれば、私は大人しく自らの手を乗せるしかない。手を繋いだからか熱が伝わってきて、体温が上がった気がする。
別にこんなことしてくれなくてもいいのに、と思うのに、嬉しくなってしまうから困ってしまうわね。
そんな光景が日常になった頃。朝食の後のお茶を楽しんでいれば、エルネストが私の前に跪いた。
急な行動に首を傾げてしまう。
ついさっきまで私と同じようにお茶を飲みながら庭に咲いた薔薇を眺めていたはずなのに。
「エルネスト?いきなりどうしたの?」
ふわり、ガラス越しに眺めていたはずの薔薇の香りがすぐ目の前に。
エルネストの背中に隠されていたらしい赤い薔薇の花束が、私の前に差し出される。
「アリシア、俺と結婚してくれないか」
思わず花束を受け取ってしまったけれど、理解が追いついていない。
とても素敵なプロポーズだと思うの。エルネストの顔が少し赤い気がするのも気のせいでなければとても嬉しいわ。
「エルネスト。私たちはもう結婚しているわ」
結婚してからそれなりの時間だって経っているし、離婚もしていない。
「あぁ、でも、やり直させて欲しいんだ。結婚式をさせてくれないか」
花束を持つ私の手を包み込んで、エルネストがそう言った。




