騎士と妻
コルセットとパニエで曲線を描くシルエット。生地と同色の繊細な刺繍で埋め尽くされたドレスの上に重ねられたオーガンジー。縫い目を隠すように盛大に使われたフリルは、けれど計算尽くされているようで嫌な派手さは全く感じられない。
こちらに来てからは動きやすいワンピースに踵の低い靴ばかりだったけれど、今日はヒールの靴に髪も結い上げて、アクセサリーも身に着けている。それが何だか擽ったい気分。
王女様の輿入れが決まったからかしら、街は一際賑わっていて高価なドレスや装飾品を取り扱う行商人が立ち寄ることが増えたのよ。普段は動きやすい服装だけど、女性たちはいつもより背伸びをして外に出る。くるくると踊るように動き回る姿は社交界とはまた違う美しさを感じるわ。
体力も回復しているし、とハンナが張り切ってしまって私は舞踏会にでも行けそうなほど飾り立てられている。
今日は先生とお庭で茶会の日だと言うのに、これでは浮いてしまうわね。
もう大丈夫だと、最近では頻度の低くなった先生とのお話も久しぶり。エルネストと毎日のお茶会をしていたのはほんの数日前の事のはずなのに、とても懐かしく感じてしまう。
最後にエルネストを見たその場所で、私より先に席に着いていたヘイリーウッド先生が驚いたような顔で固まっていた。お茶を飲もうとしていたのか不自然な位置で手が止まっている。何だか手がプルプルしてしまいそうだわ。
「お待たせしてしまってすみません」
「え、あ、いえっ!」
がたりと音を立てて立ち上がった先生の手から離れたカップがカシャンとソーサーとぶつかる音がする。お茶は零れていないみたい。火傷もしていないようで少しだけほっとする。
「おすわりになって下さい、先生」
「あ、失礼します。今日はその、一段とお美しいですね、お嬢様」
「ありがとうございます。ハンナがやってくれましたの」
ハンナも新しい侍女服に身を包んで胸を張って立っている。ハンナもドレスを着れば絶対に似合うのに、この服が良いと言って譲ってくれなかったのが少し残念。
最近は動きやすいワンピースばかりだったから侍女服を見るのも新鮮な気分を感じるのだけれど。
すぐに目の前に用意されたお茶は先生が選んできてくれたもの。一口含めばすっきりとした風味に僅かに混ざる果物のような甘い香りが広がった。
今日もとっても美味しくて、心を落ち着かせてくれる。薬になるようなお茶もあるというけれど、私のために選んでくれるものはそこまでの効力は無いものなんですって。
薬にはならないけれど、少しだけ気分を変えてくれる、体調を整える手助けをしてくれる、そんなお茶だと以前教えて貰ったの。
「今日も先生のお茶が美味しいわ」
「よかった。顔色も随分とよくなりましたね」
ふわりと微笑むその表情はどこまでも優しくて、最初から最後まで私のことを想ってくれているのだと実感できる。
それなのにおかしな話よね、何かが違うと、そう思ってしまうなんて。無性に泣きたいような気持ちになってしまうなんて。
優しい人たちに囲まれて、大好きな使用人たちに囲まれて、私はいつだって幸せを感じているはずなのに。
どうして彼がいないと、エルネストじゃないとダメなのかしら。
今までずっと、私が彼にしがみついていただけ。彼にはきっと、私じゃなくても良かったはずだもの。
やっと手放す覚悟ができたのに。
世界から色彩が消えてしまったような、どうしようもない不安に駆られてしまうの。虚無感に苛まれてしまうの。
「あ、あの。アリシアお嬢様」
「はい、何でしょうか」
先生の手に力が入っている。まるで何かの覚悟を決めたみたい。
何を言われるのかしら、と黙って続きを待っていれば、先生がガタリと音を立てて勢いよく椅子から立ち上がった。そのままテーブルを回り込むように私の前までやってくる。
「今夜は街でダンスもあります。貴族の皆様の真似事でしかありませんが……。それで、もしよろしければ僕と……」
「アリシア!」
先生の言葉を遮るように、声が響いた。先生の声でもハンナの声でも、もちろん私の声でもない。
聞き覚えのある声に顔を向ければ、エルネストが息を切らせて、額に汗を浮かべて立っていた。
「エルネスト……?」
幻覚、ではないみたい。
ハンナもヘイリーウッド先生も、エルネストを見て驚いているようだから。
「アリシア」
つかつかと近づいてきたエルネストが、また私の名前を呼ぶ。訳が分からなくて周りを見渡せば、困ったように笑う先生の顔が目に入った。
「アリシアお嬢様」
「アリシアは俺の妻だ。お嬢様ではない」
ヘイリーウッド先生の言葉に間髪入れずにエルネストが言葉を被せる。
急にどうしてしまったのかしら。
「エルネスト、この方は私の主治医よ」
「失礼しました。トーイ・ヘイリーウッドです。主治医なんて、そんな大したものではありませんが。……きっと、もう大丈夫ですよ、夫人」
そう言ってエルネストを見ながら微笑む先生は、いつものように優しい顔をしていた。
「では、僕はこれで。是非、お2人で街の広場にもいらしてくださいね。皆喜ぶと思うので」
にこりと笑って頭を下げた先生に思わず手を伸ばす。
「あら、何かお話があったのでは……」
「……いえ、なんでもありません。また何かあればいつでも呼んでくださいね」
今度こそ、踵を返して行ってしまう。ハンナがお見送りに追いかけていて、私も後に続きたかったけれど、エルネストに手を取られて動くことが出来なかった。
後で改めてお礼をしに行かないといけないわね。
そう思いながら、エルネストの顔を見上げる。
「エルネスト、貴方は王都に、王女様の元に帰ったはずじゃ……」
どうしてここにいるの。また、私の前に。
戻ってくることは無いと思っていたのに。
「帰った。マリーアンジュ様の護衛騎士を辞めてきたんだ」
「辞めた、って、どういうこと?」
「言葉通りだ。これからはアリシアのそばに居たい 」
冗談を言っているわけではない。真剣な瞳のエルネストに手を引かれて、すぐ側の小さなベンチに腰を下ろした。エルネストが私の前に跪いてこちらを見上げている。
「だって、ずっと貴方の夢だったでしょう?エルネストは王女様の輿入れにも一緒に行くのだと……戻ってこないかもしれないと……そう、思っていたのよ」
エルネストのことを、私はずっと見つめてきた。
彼がどれだけその職に憧れていたか、誇りを持っていたか、私が1番知っているのよ。それを辞めてきたと、今エルネストはそう言っているの?
「俺が騎士になれたのも、騎士でいられたのも、アリシアのおかげなんだ。それが当たり前だと、目を向けることすらしていなかったことを今はただ後悔してる。アリシアがそばにいないなら、全てに意味なんてない」
もともとケジメをつけに王都に戻っただけだ、というエルネストの言葉に、どうしたらいいのかわからなくなる。
私はずっとエルネストを見てきた。これからもそうだと思っていたの。1番近く、彼の1歩後ろから、その背中を見つめ続けるんだって、そう思って……。
思わず握られている手をそっと引き抜こうとすれば、優しく力を込められた。
「でも、」
「アリシアのそばに居たいんだ」
貴方はこんなときも真っ直ぐね。昔から変わらない。私の憧れた騎士様。
これでは私が彼の夢を奪ってしまう。そう思うのに逃げ出すこともできないの。




