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突然の再会

 帰り道はサーシャちゃんと私で手を繋いで歩いた。湖の周りでもはしゃいで飛び回っていたサーシャちゃんは疲れてしまったようで、森を出る前には眠そうで足取りが重くなって来て、ヘイリーウッド先生が抱え上げてからはすぐに寝息を立て始めてしまった。


 サーシャちゃんを連れた先生に送ってもらうわけにいかないし、街の奥にある私の屋敷までの道の途中に先生の家もあるから、二人の家の前で別れることにした。


「先生、今日は付き合わせてしまってごめんなさい」

「いえ、サーシャも楽しかったようですし、僕も、ご一緒できて嬉しかったです」


 相変わらず眉を下げた照れたような笑顔で、最近ではこの笑顔に何だか親しみを感じるの。穏やかで優しさが滲み出るような笑顔。先生の背中に乗っているサーシャちゃんも安心しきった様子で起きる気配もない。


 先生の自宅の前であまり長話も良くないしと帰ろうしたところで、先生が「あ、待ってください」と声をあげた。


 パタパタと家の中に駆け込んでく先生の背中を見ながら、サーシャちゃん起きてしまわないかしら、と思う。けれどそれは杞憂に終わったようで、先生は手に小さな瓶を持ってすぐに戻って来た。その背中にサーシャちゃんは乗っていなかったから、ベッドの上にでも寝かせて来たのかもしれない。


「あの、アリシアお嬢様、これを」


 渡された片手で包めるほどの小さな小瓶を見つめる。


「これは、塗り薬……?」


 私が今使っているものとは違うようだけど。


「はい。額の傷跡に塗ってください。アリシアお嬢様にはこちらの方が効果が早いかもしれないと思いまして」


 額の傷は本当に皮膚が切れただけでとても浅い傷で、だから今では完全に塞がってはいるの。けれどどんなに浅くても小さな傷でも傷跡は残ってしまうことがあるから、それを治すのを早めてくれる薬というものを先生は今までも処方してくれていた。


 差し出してもらったそれを、お礼を言いながら受け取って、私は先生を見つめた。

 傷跡はもうかなり薄くなって来た、とは自分でも思うのだけど、まだ消えてはいない。


「あの、先生」

「はい、気になることでもありますか?」


 手の中のそれを握りしめながら、出そうとした言葉を無意識に飲み込んで、でもやっぱりともう一度改めて口にした。


「この傷跡は綺麗に治りますか?」


 優しそうな先生の瞳が少し真剣な色を帯びて、じっと私を見つめ返してくる。その視線は今は前髪でよく見えない位置にある額に向いていく。


「少し、触れてもいいですか」

「はい」


 先生の手がゆっくりと伸びて来て、私の前髪をはらい額に触れる。少しひんやりとした指が傷の上をなぞるようにして、そしてしばらくして離れていった。


「そうですね、色も凹凸ももう目だなくなっていますし、これなら綺麗になる、とは思います。僕の知っている限りでは、ですが。でもそれが明日か、一月後かは断言できません。だから、僕もお嬢様に合う薬をできるだけ調合します」


 頑張りましょう、と先生の言葉に頷いた。頷くことしかできなかった。


 綺麗に治ったら、エルネストに会いに行ってもいいような気がした。綺麗で美しい王女様の次に見てくれるその瞳に傷ついた顔なんて映せないから。


「お嬢様もお疲れになっているでしょうし、今日はゆっくりとお休みください」


「先生、いつもありがとうございます。サーシャちゃんにもよろしくお伝えくださいね」


 先生の笑顔が見送ってくれる中、振り向いて足を進めて、偶然見上げた通りの先。

 そこにあったものに目を奪われる。


 そんな、まさか。


 視線の先にある光を集めて輝く金色に、あれは幻だろうか、と足を止めてしまう。


 だっているはずがない。こんなところに。ありえないもの。

 王都から数日かかるこの地に、彼が、エルネストがいるはずがない。


 彼がいるところは私がいる場所から距離がある。

 だからきっと見間違いだ。よく似ている姿をしている人がいるだけ。

 同じ髪の色で、よく知っている真面目そうな表情で、真っ直ぐな瞳で、見覚えのある服を着ているとしても、だとしても彼なわけがない。あるはずが、ない。

 私が彼を、エルネストを見間違えるはずがないとしても。


「アリシア様?」


 突然足を止めた私を不思議がったハンナが私の視線の先を追って顔を向けたのを、視界の端で捉えたけど、彼から目が離せなかった。


 アリシア、と。


 声なんて聞こえないのに、その口が動いてそう言ったような気がして、その瞬間動かなかった体が勝手に駆け出していた。


「アリシア様!?」


 驚いて叫ぶハンナの声が背後に聞こえる。だけど止まれなかった。


 勝手に動く足がエルネストから遠ざかるように、彼から逃げるように避けるように、どこを通ったかよくわからないけど、屋敷までの道をひたすらに全力で駆け抜けて、そのまま自分の部屋まで駆け込んだ。


 そのまま足に力が入らなくなって崩れ落ちるように部屋の入り口で倒れ込んだ。

 足が震えていて力が入らない。


 久しぶりに動いたのに、意外と動けるのね私。どこか冷静な部分がそんなふうに考える。今日はもう立てない気がするし、明日は全身が痛くなってしまいそう。


 エルネストにどうしようもないくらい会いたくて、同じくらいに会いたくなかった。

 こんな私で彼の視界に入りたくはない。どれだけ小さな傷でも彼の目に触れさせたくない。そんな不完全な私で会いたくはない。


 この感情はきっと恐怖だ、と思う。彼に向かう私の感情はいつだって穏やかなで凪いでいて、こんなに荒々しい感情はもうずっと忘れていたのに。

 彼に嫌われたとしても、忘れられたとしても、突き放されたとしても、仕方がないとずっと思っていたはずだったのに。別れを告げられても、それを受け入れようとここに来てからも考えていた。


 それなのに、彼が本当に口にしたかもわからない私の名前を聞こえたような気になっただけでこんなにもどうしようもなくなるなんて。


 はぁ、と深いため息を吐き出せば少しだけ落ち着いたような気がした。

 本当は落ち着いてなんかいないけれど、頭だけは冷静に動かせる。


 でも彼がこんなところにいるなんて、仕事かしら。私に会いに来てくれた、なんてことは考えるだけ無駄なこと。彼が王女様の護衛を投げ出して私のもとに来るなんてそれこそロマンス小説のような夢物語だもの。


 だとしたらきっと王女様が隣国に赴くのね。彼はもちろんその護衛。街の人たちはそんなこと言っていなかったからお忍びの御用事でもあるんだわ、きっと。エルネストがそんな仕事中に私に気づくなんて珍しいことだけど、たまたま目に入っただけできっとすぐに気を逸らしてしまう。

 彼は仕事中他のことに気を取られたりなんて、しないから。そんなことずっとよく見て来た私はいちばん知っている。


「アリシア様……」


 聞こえた声に振り向けば開け放ったままの扉から、控えめな声でハンナが覗き込んでいた。


「ハンナ……、ごめんなさい、置いて来てしまって」

「いえ、そんなことは全然大丈夫です。あんなに走った後ですから、疲れてますよね」


 ゆっくりと近づいて来たハンナがしゃがみ込んで、優しく、躊躇ったように彷徨いながら、その手が私の背中を撫でてくれている。


「ごめんなさい、ハンナ」

「大丈夫ですよ。ゆっくりお風呂に入って、マッサージをしてゆっくり眠れば体の痛みも良くなりますし、それに、旦那様のことだって私が絶対にこのお屋敷には入れてあげませんから」


 最後の方は妙に力が入っていて、いつものハンナの様子に少しだけ力が抜けた。


「あなたの雇主はエルネストなのよ」

「でも私、奥様付きですから! 旦那様にだって負けません!」

「本当に、ハンナは頼もしいわ」


 ハンナに支えてもらえば、ゆっくりと立ち上がることができた。足は震えているしなんだか変なところが痛いけど。

 ベッドの上に腰を下ろして、ハンナが足元にお湯を用意してくれて温めながら揉んでくれる。それが気持ち良くて、渡してくれた蜂蜜入りのホットミルクの熱をじんわりと掌で感じながらほっと息を吐く。


「こんなに体を使ったのは久しぶり。昔もね、はしゃいで立てなくなったこと、あるのよ」


 昼間に護衛たちが湖の周りで食後の運動に打ち合いをしていた様子と幼い日の自分の我儘で無茶したことを思い出す。


「アリシア様が、ですか? 何だか想像つかないです」


「エルネストは昔から大人の騎士たちに混ざって訓練していたんだけど、私はそれをよく覗いていたの。エルネストがあまりに頑張っていてキラキラとしてすごくかっこよく見えるから、私もやってみたいっておねだりしたの」


「騎士の訓練を、ですか? アリシア様には似合わなそうです」


 お花とか刺繍が似合うのに、と不思議そうな顔をするハンナにそうよね、と頷く。


「その時の騎士団の教官が優しくて、それならやってみるかって参加させてくれたんだけど、当然よね全然ついていけなくて、子供用の小さな木刀を振ったらそのまま手から抜けて飛んでいってしまうし、走ったら転ぶし、かなり迷惑をかけてしまったわ」


 その時の教官というのがエルネストのお父様だったのだけど。

 周りの騎士たちはそんな私をみて楽しそうに笑ってくれていたけれど、迷惑どころの話ではないわよね。大人しく家の庭でやればよかったわ。


 どうだった? とエルネストのお父様に最後に聞かれて、エルネストってやっぱりすごいわねと、そう答えたらエルネストが少しだけ笑ってくれたの。


「アリシア様もお転婆だったんですね」

「そんなにお転婆したのは流石にその時だけだったけれどね。次の日は全身痛くて動けなくて、もうやらないと誓ったわ」


 この痛みにも耐えているなんて騎士様ってやっぱりすごいんだわと思ったものよ。

 鍛えていれば毎日痛いわけではないと知ったのはそのずっと後だったから。


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