第96話 決戦当日と穏やかな一時
ちょっと砂糖を舐めたくなった。後悔はしていない。
「ふあ、あっ、お姉ちゃん、まって、そんな、とこ……!」
「ふふっ、だーめ、ちゃんと奥まで入れないと」
「でも……私、これ以上は……!」
「大丈夫……優しくするから、安心して?」
「お姉ちゃん……うん……」
優しく微笑みかけることで、雫の不安を取り除く。
まだ少しだけ、初めての恐怖で震える雫の頭をそっと撫でながら、私は細長い棒で――
膝の上に寝そべる雫の耳の中を掃除する。
いわゆる、耳かきというやつだ。
「雫、痛くない?」
「うん、平気……」
くすぐったいのか、時折ぴくぴくと震える雫を可愛らしく思いながら、私は優しく耳垢を取り除いていく。
今日は、アーサーさんとの勝負の日。祝日だから学校もなく、時間である午後の三時まで暇を持て余した私は、ふと雫の耳かきをしようと思い立った。
なんで唐突にって? そりゃあもう、スマホの広告でそういうシーンが流れて来たからですよ。本自体を買う気にはあんまりならないけど、自分ではちょっとやってみたいなって思ったの。分からない? この気持ち。
なんてことを雫に伝えたら、「自分でやってるから!」なんて言われちゃったけど、こうして見ると案の定、そこそこ溜まってるみたい。
ふふっ、これはやりがいがあるぞぉー。
「うぅ……」
小さい頃は姉妹揃ってお母さんにやって貰ってたから、こうして私がしてあげるのは初めてのこと。緊張からか、少しだけ体が固い。
大丈夫だよー、なんて語りかけながら、比較的浅い部分を撫でるように掃除すれば、「ふあぁ」なんて声と共に力が抜けていく。
うんうん、これなら大丈夫だね。
「お姉ちゃん、楽しそうだね……」
「そりゃあだって、二人きりで耳掃除なんて、なんだか新婚夫婦みたいで素敵じゃない?」
「ふっ……!? ば、ばかっ、そ、そんなの、気がはやい……!」
「気が早いってことは、将来的にはそういう関係になるのかな?」
「っ~~!! ば、ばかっ……!」
私を罵倒しながらも、否定することも抵抗することもなく、無防備に体を預けてくれる。
私と雫、お互いに想いを伝えあってから今日日、この子は以前にも増して私に甘えるようになってくれたんだよね。
そんな雫が愛おしくて、私はもう一度頭を撫でた。
「あー、雫はいつも可愛いなぁ、どうせなら毎日耳かきしようかな?」
「お姉ちゃん、耳かきっていうのは本来そこまでやるものじゃなくて、あんまり頻繁にやると外耳への損傷がうんたらで、だから今回にしてもあまり奥までやらなくても」
毎日、という言葉を聞いて、マシンガンのような怒涛の勢いで雫が捲し立てる。どうやら、よっぽど恥ずかしかったらしい。
「そうなんだ? じゃあ明日は雫に私の耳掃除して貰おうかな?」
「!! う、うんっ」
自分がされるのは恥ずかしいけど、自分がするのは構わないらしい。
たまにはやり返してやる……! みたいな反骨精神? が見て取れて、私としては余計に微笑ましいなぁ。
「それはそうと……お姉ちゃん、今日のアーサーとの勝負のことだけど」
「うん? どうかした?」
「考えたけど、私はココアで行くつもり」
「んん? それまたどうして?」
予想外の言葉に、私はきょとんと目を丸くする。なんか、ティアのライバルみたいな感じだったし、てっきりそっちでやるものかと思ってたよ。
「一つはパーティのバランス。確かにティアの方が火力は出せるけど、それだと後方支援出来る人がいないから全体としての安定感が落ちる。スカイワイバーンの時も、結構ゴリ押しで危なかったでしょ?」
「あー、それは確かに?」
回廊の攻略に乗り出した時、ティアを含む四人パーティで挑んだけど、確かに火力過多な割に危ない場面はいくつもあったし、連携だっていまいち取れてるとは言い難かった。
その点、ココアなら後ろから全体をサポートすることで、総合火力は落ちてもパーティとしての対応力と強さは上げられるんじゃないかとのこと。
「クリアタイムもいいけど、今回は初見クリア前提だからね。それから……」
「それから?」
「今回は、お姉ちゃんとアーサーの勝負だから。ティアが横から茶々を入れるのは無粋でしょ?」
元々、ティアとアーサーはずっと競い続けて来たライバルだ(ということに、FFO界隈ではなっている)。そんなティアが私の側について戦えば、私よりもティアが前面に押し出されて、私とアーサーとの勝負っていう看板が揺らぎかねないんだと。
ふむ、難しいことは分からないけど、つまり……
「主役は私なんだから、私が一番派手に活躍しないとってことだね?」
「そういうこと。私の、その……恋人、なんだから……アーサーくらい、軽く蹴散らして貰わないと困るの!」
私以外誰もいないのに、なんとも恥ずかしそうにそう呟く雫。
あはは、そんな風に言われたら、何がなんでも負けるわけにはいかないよね?
「任せて。あんなナンパ男軽くぶっ飛ばして、雫の将来の旦那様として、カッコいいとこ見せてあげるよ」
「も、もうっ……! ばかっ……!」
自分から言い出したことなのに、私がそれに乗ったらまたバカって言われちゃった。
この辺りは要練習かなー? なんて思ってたら、「そういえば」と、雫がふと思い出したように私を見る。
「お姉ちゃん、アーサーにゲーム内で買って欲しいものがあるとか言ってたけど……何を頼むつもりなの?」
「ふふっ、それはまだなーいしょ」
ちょん、と唇に人差し指を触れさせながら言うと、雫からは若干の不満顔。「私にも内緒なの?」と、分かりやすいくらい顔に書いてある。
「すぐに分かるから、それまで楽しみにしててね?」
「……そこまで言うなら。まあ、アーサーはかなりのクレジットを抱えてるはずだから、何か一つなら大抵買えるだろうけど。あまり変なの要求しないようにね」
「ふふっ、分かってるよ」
実際、アーサーさん本人も、「既に値段が設定されているものなら、俺が知る限り買えないものはない。……プレイヤーメイドで、ネタとしてカンスト数値に設定された事実上の非売品以外は」とか言ってたし、よっぽど大丈夫だろう。
私だって、そんなただ高いだけのネタアイテムなんていらないし。
「それじゃあ雫、今日も一緒に頑張ろうね」
「うん」
ちゅ、と、小さな水音を響かせて。
その後も私達は、時間までのんびりと耳かきなどして過ごすのだった。




