第34話 修行僧と雫のお誘い
「はあ、はあ、はあ……」
FFO、山岳エリア某所。雫と一緒にお昼ご飯を食べ、再びここに戻ってきた私は、ソロで《空歩》スキル習得クエストを受けていた。
誰でも習得可能な汎用スキル……そう聞いていたけど、困ったことに私は今、クエストNPCの修行僧さんの前で、無様にも地に膝を突いて息を荒らげている。
「ふふふ、その程度か娘さんや。そんなことではワシの秘奥を伝授することは出来んぞ」
「くぅ……!」
つまらんな、と挑発されてカチンと来るものの、私はそれに言い返せない。
このクエストの内容は極単純で、この修行僧さんとの勝負に勝てばいいだけだ。
これまで何体ものフィールドボスを倒し、苦手なモンスター相手でも退くことなく戦い、ついには同じプレイヤー同士の決闘すら乗り越えた私だけど、今回ばかりは本当に打つ手がない。
何度も何度も立ち向かい、疲れるはずのない仮想の体で疲労を覚えるほど挑んでも、攻略の糸口すら掴めなかった。
「うぅ……エレインめ、こんなクエストだなんて聞いてないよ……」
クエストを紹介した親友に文句を言いながら、私は立ち上がる。
それを見て、修行僧さんは満足げな笑みを浮かべた。
「そうじゃ、それでよい……娘さんよ、お前さんの求める秘奥は、そうして挑み続けた先にある」
無駄にそれっぽいことを言う修行僧さんを睨みつつ、私は折れそうな心を叱咤して駆け出した。
「おりゃああああ!!」
気合の咆哮を上げながら、全力のダッシュ。
そんな私に対して、修行僧さんは余裕の笑みを崩さずただ悠然と佇むのみ。
いける、と思い切り腕を振り上げた私の前で、修行僧さんは――
くるりと背を向け、脱兎のごとく逃げ出した。
「だが甘いぞ娘さん、そんな動きでワシを捕らえられると思うな!!」
「うう、うるさーい! いいから大人しく捕まりなさい!!」
虚しく空を切った私の腕の先で、修行僧さんはぴょんぴょんとウサギの如く跳ね回り、険しい崖のような地形をものともせず逃げ回る。
そう、このクエストにおける、修行僧さんとの勝負内容……それは、この山道を利用した追いかけっこだった。
崖のような急斜面に、ところどころ水平な足場が突き出たこの場所は、多分このクエストのための専用エリア。
ただでさえ足場が悪い上、AGIが低い私じゃどうにも修行僧さんに追いつけない。
ねえエレイン、これってもしかして、「誰でも挑戦できる」であって、「誰でも習得出来る」わけじゃないよね?
と、さっきメッセージで問い詰めて見たら、「いやーベルなら覆せるかと思って」とすっとぼけられた。おのれエレイン。
「くう、でもまだだ、まだ私には手がある……!」
そう呟いて、私は投擲用の手斧を取り出した。
修行僧さんは、私が距離を取っている間は動かない。そしてこのクエスト、驚いたことに武器やスキル、アイテムが使用出来る。
つまり、こうして距離を置いた状態で、遠距離攻撃系のスキルで攻撃すれば……!
「とりゃあ!!」
「んほぉ!?」
私がぶん投げた手斧が修行僧さんにぶち当たり、仰け反りながら怯んだ。
ゴブリンの頭が一撃で吹き飛ぶ攻撃を受けて見た目無傷ってすごい耐久だなぁ、なんて思ったりはするけど、まあHPもないNPCは無敵だから仕方ないよね。
というわけで、怯んでいる今こそチャンス!! ココアちゃんから貰ったAGI上昇アイテム、《俊人の丸薬》を飲み、一気に駆け出す。
「《マナシュート》ぉ!!」
激しい斜面を駆け、時折足場で体勢を整えつつ、魔法スキルで牽制を続ける。
動きが鈍り、未だ動かない修行僧さんに向け、私は必死に手を伸ばす。
「貰ったぁぁぁぁ!!」
このクエストでは、修行僧さんに直接タッチすれば勝ち。このタイミングなら……獲った!!
「甘いわい」
「あっ」
と、思ったら、後一歩のところで飛び退かれ、私の手は虚しく空を切る。
そして、一度ついた勢いはそう簡単には収まらず。
「ふきゃああああああああ!?」
急斜面を、とんでもない勢いで転がり落ちていってしまう。
そんな私を、修行僧さんが呑気に見つめながら手を振った。
「またの挑戦を待っているぞ、娘さん」
そんな修行僧さんの言葉を最期に、私は落下ダメージで死に戻ることとなった。
クエスト、失敗。
「ぬあー! また負けたー!!」
FFOからログアウトした私は、自分の部屋で頭を抱えてそう叫ぶ。
修行僧さんに挑むこと早十回以上、中々成功しないので、一度休憩するために戻って来たのだ。
「うぐぐ、あと少しなんだけどなぁ……」
最初の内は全く相手にならなかったけど、攻撃してもいいこと、攻撃を受けた修行僧さんが怯むこと、一定距離に近づかない限り修行僧さんが動かないことを知って、大分惜しいところまで行けるようになってきた。
でも、あと一歩が届かない。
「うーん、どうしたものか……」
考えを巡らすも、中々いい案が浮かばない。こういう時は、雫の写真を見て和むか、家事を済ませるか、ともかく他のことをやって一度頭を空っぽにしよう。そうだ、最近は雫のガードが緩くなってるし、雫の部屋の掃除とかさせてくれるかも!?
そんな願望を抱きながら、ウキウキと部屋を出た私は、早速雫の部屋へ。するとタイミングよく、雫が扉を開けて部屋から出て来た。
「あ、雫!」
「うわっ、お姉ちゃんいたの!? まだゲームやってるかと……」
「ちょっと行き詰まっちゃって。雫は?」
「飲み物取りに……ジュース切れた」
「じゃあ、一緒に行こう! この前バイトで、美森さんからちょっとお高いブドウジュースを貰ったんだ」
「へー……それ、ワインとかじゃないよね?」
「そんなわけないでしょ」
苦笑する私に、「本だと偶にそういう展開が」みたいなことを呟く雫が同行し、リビングへと向かう。
少し前まではこんな風に一緒に歩くこともなかったけど、最近は結構部屋からも出るようになってくれたから、こういうことも増えて来た。
ああ、こういう距離感で話が出来る、それだけで私は嬉しい……!
「じゃあ、ちょっと待っててね」
雫にはテーブルに着いて待機して貰い、冷蔵庫に入れてあったブドウジュースを取り出す。
……雫があんなこと言うから、一応もう一度ラベルを確認してみたけど、うん、アルコール飲料じゃないね。大丈夫。
というわけで、リビングに戻って私と雫の分のコップにジュースを注ぐ。
対面に座り、いざ試飲。うん、流石お高いだけあって、普通のより香り豊かな気がするよ。
……お高い奴だから、っていうバイアスがかかってるだけな気がしないでもないけど。
「……うん、けっこうおいしい」
「ふふっ、なら良かった」
いや、もうこれが高いか安いかなんてどうでもいいや、雫が美味しいって笑ってる、もうそれだけで私は十分。
「……と、ところでお姉ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「うん? 何?」
雫のほっこりした顔を見て和み切っていた表情を引き締め、背筋を正す。雫からのお願いごとなんて珍しい、一体どうしたんだろう?
そんな私に対し、雫は思いもよらない言葉を発した。
「こ、今度の休み……一緒に、お出かけ……したい……」
「はえ?」
お出かけ? お出かけってあのお出かけ? 外に出るっていう意味のあの?
誰が? 雫が? 私と?
ふむ、なるほど。
……えぇぇぇぇぇぇぇ!?
「ちょっ、えっ、雫、急にどうしたの!? あんなに頑なに部屋から出ようとしなかったのに、今度は外へなんて!!」
「べ、別に大した理由じゃ……! そ、その……ほら、今度限定品のクリアファイルが出るから、それが欲しくて……!」
「ああ、なるほど……」
通販じゃ買えないから、と消え入りそうな声で呟く雫に、私はひとまず納得して一つ頷く。
確かに、そういう理由ならあり得なくはないのかな? でも、それで私を一緒に、って誘うってことは……
「……ひ、一人で外は不安だから……ついてきて、欲しいなって……」
「ぐふっ」
「えっ、ちょっ、お姉ちゃん!?」
体を縮こまらせ、恥ずかしそうに私の様子を窺い見る妹の姿に、私はつい鼻血を噴き出した。
いやもう、なにこの妹は。可愛すぎるんですけど。私を萌え死させるつもりかな?
「そういうことなら任せて……! 私、雫と一緒ならたとえ火の中水の中、牢屋の中だって突っ込んじゃうよ!!」
「うん、私はそんなとこ行く気ないから一人で行って」
急に真顔になる雫に「冗談だよ」と返しつつ、私は笑う。
でも、雫が私と一緒とはいえ、外に出るつもりになってくれるなんて……やっぱり、成長してるんだなぁ……
「……まあ、そういうわけだから……その時は、よろしく」
そう言って笑い返してくれる雫を見ながら、私はしみじみと実感するのだった。




