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金曜日の恋と罠  作者: 高槻 汐
本編
8/21

私の家

それはある昼休みの出来事だった。



飲み物を買いに自販機のある休憩スペースに向かっていたところ。


「桜野さんかな」

「あぁ、わかる! 俺も 桜野さんかな」

不意に自分の名前が聞こえてきて、角を曲がろうとした足を止めた。

「桜野さん」なんてそんなに聞く名前じゃないから、私のこと……?

角を曲がった先に少し拓けた空間があって、いくつかのテーブルと椅子、奥に自販機がある。扉はないから声は筒抜けで。


気にせず入って知り合いだったら「何? 何の話?」とでも自分から聞いてしまえばよかったのかな……。

一旦足を止めてしまうとどうにも入りづらくて、壁の裏に潜むように佇んでしまった。


うーん。何の話か気になるけれども……悪口だったら気不味いし聞きたくないし。自販機はもうすぐそこなんだけど。

うーん。出直そうかな……そう思った時だった。


「なんで? 桜野さんそんなに人気?」

その声にハッとして、今度は戻ろうとした足を止めた。

声だけで誰かわかってしまうあたり、彼は私のライフワークの一部になってきているのかな。最近毎週のように聞いているから。

だから……やっぱり私の話?


「新人研修の頃はよくレポート見せてもらったからなぁ。真面目だし優しいし。一緒に暮らすならそういう子がいいよ」

「ホワッとしてそうで頭いいしな。俺はあと、なんかあの清純派っぽい雰囲気もいいと思うけど」


え? 何? なんかよくわかんないけど褒められてる?! そう聞こえてドキドキしていたのに。


「ふーん」


……えっ、ちょっと! 何その……。


「ふーん、て興味のなさそうな返事しやがって」

今まさに思った台詞を誰かが代弁してくれた。

そうです! そうよ! その通り! 何その興味のなさそうな感じ!

姿は見えないけれど、言い返してくれた誰かに援護の気持ちを送る。

だけど、その誰かは私の味方ではなかったようで。「聞いたぞ。お前がこの前桜野さんに告白してフラれたって噂」なんてちょっと蒸し返してほしくない話題に繋がった。「俺も聞いた」とか「お前でもフラれることあるんだな」とか話題に乗る声が上がる。


その件に関しては私は否定したつもりだったけど、否定したっていう事実は広まってないのかな……?

それとも単に支倉くんを揶揄ってるだけ……?



この前私が同期に捕まった時は、フってもいないし付き合ってもいなかったから強く否定出来たけど、今はフってはいないけど付き合っているという事実がある。

嘘が苦手な私としてはもうその件でツッコまれるのは避けたいところ。

そう思うと、今は私に向けられているわけではないその言葉にもなんだかドキッとしてしまって。

だから支倉くんだって、ちょっとは慌てたり……。


……………。

……うーん、ないか。

あの支倉くんが同期の揶揄いに慌てる姿なんて想像出来ない。

だけど、なんて答えるのかな。いつもみたいにさらりと躱すんだろうけど。あっ、今後の参考にでもさせてもらおうかしら。


少しの間の後、「あぁ、アレは」という彼の声が聞こえてきたので、息を潜めて壁の向こうの会話に集中した。


「ちょっと面白そうだなと思って揶揄ってみただけだよ。でも真面目過ぎるのか何でもすぐ本気にしちゃうから、もうちょっと冗談のわかるノリのいい子だったらよかったんだけど」


え……。


「付き合う相手にしてはお堅いっていうか、清純派って言い方はいいけど、つまり色気がないって言ってるようなもんだろ。わからなくもないけど」


え……。



何それ……酷くない?

そう思う私同様、「ひでーな」とか「イケメンだからって調子乗るなよ」とか言う笑い混じりの野次が飛ぶのが聞こえてくる。

もっとさらりと躱すものだと思っていたのに、そんな酷い言い方する人だった?

確かにそんな風に言っておけば誰も私たちが付き合ってるとは思わないとは思うけど……。

今聞こえた彼の言葉は、周りを誤魔化す為の嘘なのだと思いたいんだけど……。


淀みないその言葉が本音のようにも聞こえてしまった。



どこか少し流された感が否めないまま始まった交際だったけど……よく掴めない支倉くんに翻弄されつつも、それなりに順調に関係を築いてきている。

そう思っていたのに……。



何か一言言ってやりたいけど、今更飛び出す勇気もなくて。

これ以上ここにはいたくない。今度こそ足早に職場まで引き返した。












***


そんなことがあった週末の金曜日。

金曜日に会うのは最早お約束のようになってきていて、今日も予定通り待ち合わせをしたんだけど。

この前聞いた言葉のせいで、どこかモヤモヤする気持ちが振り払えなくて。本人を前にするとそのモヤモヤは増殖して、会社から出て歩く道中なんとなく落ち着かなかった。


この距離にも慣れてきたような気がしていたのに……。

すぐ隣を歩く姿にチラッと視線を送る。慣れてきたこの近さが心を許された証のような気がしてたのは、私だけだったのかな……。

本心を聞いてみたい気はするけど……けどなぁ。上手くはぐらかされそうな気もするし。

「ハァ」と小さな溜め息を零してしまった直後だった。


「今日、家で飯食いたくない?」

「……え?」

「たまにはそういうのもいいかなと思ったんだけど」

唐突な提案に反応が遅れる。だけど、家でご飯? ってことは、まさかまた……。


「支倉くんの家に行くってこと?」

間接的に誘われてる……?

この前一度行ったんだし断るのも変かな……。

だけど、ご飯作るってことだよね?

えっ? 私が……?

彼の提案に頭が追いつかなくて、心配事がぐるぐる巡る。


「いや、俺の家じゃなくて……」

そんな中聞こえてきた一言に、驚きを隠せなかった。















***


「ホントに出来てる……」

シャワーを浴びて部屋に戻ると、二人分の夕食が出来上がっていた。




「いや、俺の家じゃなくて菜月の家に」

支倉くんの唐突な提案に「無理無理! そんなの突然無理!」と全力で否定したはずなのに……。

結局今日も彼の狙い通りの展開になっている。

だけど、だって! 会社の近くの店だとまた誰かに見られるかもとか言うから。

それに、料理は割と好きだから私がシャワー浴びてる間にご飯作っておいてくれるとか言うから。

それにそれに、終電までには帰るって言うから。

なんか悪くない提案に思えてしまって……。

あの発言が引っかかってはいたけれど、まだ彼を信じてみたいような、そんな気持ちもあったから。




「座りなよ。食べようか」

「うん……ありがとう」

いつもは私一人でしか使わないはずのテーブルの向かいに支倉くんが座っている。今日は私のホームなのに、なんだか少し緊張する。


彼が用意してくれたのはお味噌汁に混ぜご飯、焼き魚にサラダにお浸し。二十代男子ってこんなに料理出来るもん? いや、きっと支倉くんが特別なんだよね……。

涼しい顔で箸を持つ彼に今日もなんだか圧倒される。料理まで出来ちゃうなんて、ホントこの人何が苦手なんだろう?


お味噌汁を一口啜り、混ぜご飯を口にする。

「美味しい」

「ホント? よかった」

私の反応を見て嬉しそうに笑った。



「料理好きって言ってたけど、よくするの?」

「休みの日とか、時間があればね」

「でも、こんなに色々短時間で作れるのすごいよ。私よりよっぽど料理上手」

「そうかな。魚なんて焼いただけだし、そんなに凝ったもんでもないけど」

「いや、十分すごいって。どこでこんなに覚えたの?」

なんて美味しいご飯を作ってもらったことに感激したあまりに……。聞いてしまってからハッとした。

もしかして……。

どことなく狼狽える気持ちがバレていたのかな。クスッと少し笑われた。


「料理上手な元カノでもいたのかと思った?」

なんでいつもこう私の考えは筒抜けなんだろう。これだけ見透かされたならもう遅い。

渋々「うん」と頷くと何故か楽しそうな笑顔を見せた。


「気になる?」

ご飯を作ってくれて、美味しいと言ったら嬉しそうに笑って……ここまでは健気な女子を連想させるような慎ましさがあったのに。

今目の前にいるのはその優しさを隠すように意地悪なオーラを身に纏う、いつもの支倉くんだった。


「意地悪」

恨めしそうにそう一言呟いて。弁解の声が聞こえないから無視して食べ続けていたのに。


「ヤキモチ? 可愛いな」

「…………んっ! ゴホッ!ゴホッ!」

微笑ましい目で私を見ながらそんなことを言うから、少しむせてしまった。





せめて片付けくらいはと申し出て、支倉くんには寛いでいてもらうことにして。

食べ終わった食器を洗いながら部屋の方を横目で見ると、左手を床について片手で器用にスマホを操作していた。

支倉くんの家は贅沢にも1LDKで、リビングと寝室が分かれていたけれど、慎ましい生活を送る私の部屋は1Kで、部屋もさほど広くはない。

この部屋に誰か来るのは久々だし、ベッドから数十センチの距離に支倉くんが座っているのはなんだか不思議というか落ち着かないというか……。

たけどやっぱり彼には緊張している様子もないような。

そうだよね。緊張してたらあんなに手際良く初見のキッチンで料理なんて出来ないって……。




片付け終わって部屋に戻ると、彼はすぐ様顔を上げた。


「ありがとう」

「いやいや、片付けくらいは」

答えながらテーブルの側に腰を下ろす。


「そうかな。片付けまで任せてもらってもよかったけど。強引に押し掛けた手前それくらいやらないと割に合わないかなって思ったから」

「えっ、強引に押し掛けた自覚はあるんだ」

思わずそう口にすると、彼はフッと軽く微笑む。


「あるよ。良識ある大人だからね」

良識ある大人は、人のこと揶揄って振り回したり困らせたりするものでしょうか?

冗談混じりのその言葉に「へー」と軽く返事をすると何故かまた嬉しそうに笑っていた。


「今日はちょっと突然で強引だったかなとは思ったけど、家で会う方が寛げるかなとも思ったから。これからもたまには家で過ごしたいと思うんだけど」

「そっか、まぁ、そうだね。うん」

「鍵を預けてくれれば夕飯作って待ってるよ」

「何それ。尽くすタイプだったの?」

「もちろん」

「へー」

揶揄うような言葉に皮肉めいた反応を返してしまったけど、内心なんだか楽しかった。


この前言われた酷い言葉が胸に刺さっていて。実は知らない内に彼に恨みでも買っていて、嫌がらせをする為に付き合っているフリをすることにしたのかななんて妄想までしたのに。

嫌いなやつとこんな風にテンポよく会話なんて出来ないよね……。

ましてや嫌いなやつの為に料理なんてしないよね……。

そう思うと、この前の話はやっぱり嘘なんだと信じたくなってしまった。




テレビから聞こえてくる笑い声に反応して目を向ければ、たまに見ているバラエティ番組が流れている。面白いと割と人気の番組で、どちらかと言えば好きな方ではあるんだけど。

今日はそれよりも、テレビの前に置いてある時計が十一時を回っていることの方が気になった。

もうすぐ帰っちゃうのかな……?


「もうこんな時間か。そろそろ帰らないと」

考えがリンクしたことに驚いて一瞬遅れて「うん」と呟くと、観察するような視線を向けられた。


「……寂しい?」

「へっ?!」


……寂しい?


「いいえ! 大丈夫です」

「本当に?」

首を振る私の顔を真顔でじっと見つめている。

だからもう……! そんな風に見られると……。


「……わからないよ」

「えっ?」

この前あんな話を聞いてモヤモヤしていたはずなのに、今日会ってみれば私の知ってるいつも通りの支倉くんで。

だからこの前の話は嘘で、彼はやっぱり私のことが好きで……そう思えて、もっと心を許してしまいたくなる。

もう少し一緒にいたいような気になってしまう。



「支倉くんて……」

本音を知りたい。そんな気持ちが溢れて名前を呼ぶと、彼は優しく微笑んだ。


「二人だけの時は?」

その指摘はなかなか恥ずかしくて。照れる気持ちを押し殺して仕方なく「……葉くんて」ともう一度呼び直すと、彼は満足気な笑顔を見せた。

その嬉しそうな笑顔を見たら、この人が私を嫌いだなんてとても思えなかったから。


「……やっぱり、何でもない」


「そう?」と言う声と共に彼がそっと身を寄せた。その動作を見守っていると、頰に大きな手が触れる。

その手が優しすぎるくらいに大事そうに触れるから、驚くどころか安心するような気持ちで満たされた。

ゆっくりと、その綺麗な顔が近付いてくるのを感じたから……私もゆっくりと目を閉じた。



私が思っているよりも彼が何倍も上手で、これが何かの罠だったとしても、もう簡単には抜けられないかも……。


この前よりも熱いキスを受けながら、そんなことを思った。


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