彼の真意
あれは罠だと思えてならない時間を過ごした先週末の夜。
連絡先なんて聞いてくるから何か裏があるんじゃないかと身構えていたのに、その後もただただ楽しくお喋りしただけで。
えっ? もしかして本当に私に気があった? なんて信じがたい考えが頭の中をチラついていた。
「じゃあ、また連絡するから」
最後まで絶えずアイドルスマイルをくれながら、そう言い残して別れたから、きっと今日はありがとう的なLINEがきて、まずはメッセージを交わし合う仲にでもなれるのかなと期待したのに何も来ず。
もしかしたら、また食事のお誘いでもあるかもなんて希望を込めた今週の夜も順当に過ぎていく。
何もないまま迎える今週末の夜。
例の如く、今日も変わらず残業です。
『勘違いじゃなかったら嬉しい?』
あんな思わせぶりの極みみたいなこと言っておいて、何この放置プレイ。好きとか付き合ってほしいとか直接的な言葉を言われたわけではないし、なんか動揺して聞き返さなかった自分も悪いかなとは思うんだけど……。
あの話ぶりはそういうことだと受け取れると思うんですけど。
寝ても覚めても来ない連絡になんだかヤキモキしていた。
「ハァ」とついて出た溜め息は周りにも聞こえるものだったようで。
「どうしたの? でっかい溜め息」
隣の席の中島さんが手を止めてこちらを見た。
「あっ、すみません。いえ、あの、今日も残業だなぁと思いまして」
「あぁ、ホントだよね〜。金曜の夜に残業って、なんかガッカリするもんね。ホント今日もおじさんたち話長いったら」
残業の事実を嘆いているように誤魔化すと、中島さんは大いに乗っかってきた。
経験豊富なベテラン社員のおじさん方に、中島さんと私。そして営業さん。
今はこのメンバーで週に一度打ち合わせをして進捗状況を報告し合っている。
営業さんが仕入れてきた新規の顧客の話を聞いて今後の割り振りを計画したり、納期の決まっている現在進行形のプロジェクトの進み具合を報告し合ったりする。
今は二週間後に納期のプロジェクトを担当していて、客先に納める製品の進み具合を報告しなければいけなかった。順調に工程が進んでいれば「予定どおり進んでます」の一言で話は終わるのだけど、問題が発生すると、事細かに説明する必要がある。
概ね順調ではあったんだけど、一点だけ気になることがあって、それを説明したんだけど……。
ベテランになれば自ら営業のように客先に行くことも増え、チマチマとした製品テストは下っ端に回される。それでもおじさんたちはプログラムを見るのが大好きなようで、問題がある部分のプログラムを見せると、ここのコードがああじゃない、こうじゃないと議論し始め、終いにはここはもっとこう書き換えた方がいいと今は関係ない話にまで発展する。
お陰で打ち合わせは長引き、作業は増え、今に至るというわけです。
「言いたいだけ言って帰っちゃうし」
既にもう帰ってしまったおじさん方に向けて、まだブツブツと文句を言う声が聞こえる。
「でも、中島さんが声掛けてくれて助かりましたよ」
「そう? なっちゃんも言っていいんだよ。あの人たち多少キツめに言わないとわかんないから」
「はぁ、そうですかね……」
あまりに長引く会話に業を煮やした中島さんが「時間押してます!」とアピールをして収拾がつく。最近よくあるこのパターン。
私を"なっちゃん"と呼ぶニコ上の中島さんは、自分よりもかなり先輩のおじさんたちにもバシバシと意見する頼もしい先輩。
現に今、私と会話しながらも超速でキーボードを叩いている。SEとしても優秀な女性。
集中して仕事をこなし、小一時間ほど経った頃だった。
「癒されたい」
突然隣から嘆くような呟きが聞こえた。独り言かなとも思ったけど、こんな切実そうな願望を込めた呟きをスルーするのもどうなのかな。
「……そうですね。金曜の夜に遅くまで仕事してると、なんなんだろうってちょっと思いますしね」
「そう……。何やってんだろう、私。まぁ、別に今日は予定もないんだけどさ」
私は先週も今週も予定ないですけど。というのは口に出すのが悲し過ぎてやめた。
「マッサージとかどうですか? 駅の近くにあるお店、この前行ったんですけど結構よかったですよ」
「うーん、それもいいんだけどね。なんていうか会社にいる楽しみがほしいっていうか……。職場に渋い上司がいるとか、若手にカワイイ男の子がいるとか」
「あぁ、そういうのは足りてないですね」
失礼だとは思うものの、もう既に私たちの周りは空席。人目が気にならず、思わず同意してしまう。
職場には男性はたくさんいるものの、渋さからもかわいさからも遠い。
「別に付き合ってほしいとまでは言わないから、どっかにいないのかな、イケメン。って、なっちゃん! なっちゃん!」
「はい?」
突然中島さんが慌てだしたので何かと思ったら、「すごいタイミング! イケメンがこっち来るよ」と耳打ちされた。その言葉に従って前方に視線を投げると、確かに通路を歩いて来るイケメンの姿が目に入る。
私だってイケメンに癒されたい。だから中島さんの意見には同意出来るんだけど。そう、出来るんだけど……。
彼が相手では癒されない。
前から歩いて来るのは支倉くんだった。
前方から歩いて来た彼は、私の席の列まで来ると迷わずこちらに足を向けた。
「あの子何回か見掛けたことあるかも。なっちゃん知り合い?」
「はい。同期です」と言うが早い、何故か中島さんがウェルカム状態で「お疲れ様です」と言った支倉くんに見たことないくらいの和かな笑顔を見せた。
「今日はまだ仕事終わらないの?」
連絡がほしいとは思っていたけど、直接来るとは聞いてない……!
しかも何その仲いいみたいな感じ。
「うん、まだ終わらないかなぁ」
「そうなんだ。今日も一緒に帰りたいなと思ったんだけど。無理?」
「無理……ではないけど……」
サラッと誘いに来たことに戸惑う。連絡先交換したんだから直接来ないでLINEしてくれればいいのに。もしくは社内メールとかさぁ。
他人の視線が気にならないのかな? 私は気になるけど。中島さんからの興味ありありな視線が。
「あとどれ位かかりそう? 下で待っててもいい?」
そんなこと言われたら、もう行くしかないじゃない。
***
「今日はこの前よりちょっと早いから飲もうと思ったんだけど、桜野さんは?」
「えーと、じゃあ私も。ビールで」
支倉くんの案内で訪れたのはこの前とは違うお店。だけどチェーンではない小洒落た居酒屋で、またしてもちょっとセンスがいい感じ。
今の時刻は夜の九時で、先週よりも一時間ほど早い。どこが境かよくわからないけど、九時ならまだアルコールは入るような気がする。
「他は何か適当に頼んでいい?」
「うん、お願いします」
だけど、それにしても。
一体どういうつもりなんだろう。
あんだけ思わせぶりなこと言っておいたくせに放置して。その挙句、何事もなかったかのように誘いに来るなんて……。
うーん。いや、押して引いて戦法は昔からよく聞くし、確かにそれでヤキモキしていたのも事実。先週は『勘違いじゃなかったら……』とか言ってたし、本当に私に気があるのかな……?
「山は先週で終わったんだけど、今週はまた違うプロジェクトが始まったから忙しくて。時間が出来たら連絡しようかなと思ったけど、結局一週間経っちゃった」
「そうなんだ」
「桜野さんから連絡来るかなとも期待したんだけど」
「えっ、私から? 支倉くんがまた連絡するって言うから待ってた方がいいのかと思ってて……」
「じゃあ、俺から連絡が来るの心待ちにしてたの?」
「えっ」
ここで口籠ったら認めているようなものなのに、上手い返しが見つからない。オドオドする私を微笑ましいような目で見ている。彼は策士なのでしょうか?
とりあえずビールで乾杯して、今週の仕事の話をして。出来るだけ平静を装って話していたつもりだったんだけど……。
今日も変わらず揺さぶりをかけられて、私の防御力じゃ耐えられない。
癒されるような気がしていた支倉くんの笑顔は、こうして間近で見ると仮面ぽいというか、何を考えているのか全然わからない。
私に気のあるような口ぶりだけど、なんかちょっと違うような。
彼の真意がわからなくてずっとモヤモヤしていた。
だからかな。
「なんで今日も私のこと誘ったの?」
ちょっとだけでも本音に触れてみたくて。これ位なら聞いてみてもいいかなって。
だけど、唐突にそんなことを言ったから、少しは動揺したり、もしかしたら真意がわかる答えを返してもらえたりするかなって期待してもみたんだけど。
「先週話してみて楽しかったから、また話したいなと思って。桜野さんは? 楽しくなかった?」
余裕のある笑みでそんな風にナチュラルに返されると、本音かどうかわからない。むしろ思わず「た、楽しかったよ」とこちらが告白させられてしまった。
攻めたのは私だと思ったのに逆に動揺させられている。これじゃ私ばかりが正直に胸の内を曝け出しているみたい。恨めしい思いで彼を見ると、やっぱり今日もニコニコとした笑みに受け止められた。
だけど。
これでめげる私じゃない。今日はアルコールの力を借りて少し強気になっているんだ。
だから言ってやった。
「もう一つ気になってること聞いてみてもいい?」
「何?」
二杯目のビールを飲み干して、ドリンクのメニューを手にした支倉くんからは軽い返事が返ってきた。
「支倉くんは私のこと好きなの?」
彼の目を真っ直ぐ見て問いかけると、メニューに向けられていた視線が私に移った。
こんなにストレートな質問が来るとは思っていなかったのか、流石に少し驚いた顔をしているように見える。
やった……!
初めて見る表情に、達成感に似た感情が生まれる。ただ少し驚かせただけなのに嬉しさが込み上げた。
もしかして私に気がある? なんて思ったりもしたけれど、なんだか今はただ揶揄われているだけという考えが妥当なような気がしていた。何目的かはわからないけど、彼は私を揶揄って楽しんでいる。
やっぱり罠だったんだ。
だったら逆に動揺させてやろうと、一矢報いてやろうと投げた私の直球。
なんて答えるんだろう……?
反応を見逃すまいとじっと見つめていると、その顔が徐々に和らいだ表情に変わっていく。
癒されるような笑顔が向けられたと思ったら。
彼は一言呟いた。
「好きだよ」