あなたの弱点 4
「時間がないからすぐに答えをあげたのに、納得出来なかった?」
ポカンとする私に向かって更に一歩前に出た支倉くんは、壁の時計に視線を向けた。確かにもうすぐ昼休みは終わるし、時間がないという主張の方は理解出来るんだけど。
だけど、納得出来るとかそういう問題じゃなくて。
「……ごめん、えっと、よく聞こえなかったかも」
その馴染みのない言葉はもしかして聞き間違いだったんじゃないかな。納得以前に頭に全然入ってこないそれは間違いだったに違いない。そうとしか思えない考えに至るも、支倉くんから返ってきたのはまたも私をポカンとさせる言葉だった。
「菜月が料理好きじゃないってことは俺だけの秘密にしておこうと思ったから、独占欲が出たって言ったんだけど」
…………ん?
「……ごめん、やっぱりよくわからないんだけど」
「菜月は真面目な努力家で愛想もいいから、みんなそれなりに家庭的なスキルも身に付けてると思ってんだよ」
「……えーっと、事実はどうあれそれは悪くないイメージだから、それを崩したくなかったってこと?」
与えられた言葉を頼りに理解出来る範疇に収めようと行き着いた考察を口にすれば、何故かフッと笑われてしまった。
「そう考えるんだ」
「違うの?」
「彼氏の弱点を知りたがってた誰かさんならわかるかなって思ったんだけど、わからない?」
「え……」
なんでこの人はこう回りくどく喋るのか。
さっき時間がないからとかなんとか言ってた癖に……。
それに流されたと思っていた弱点の話を彼の口から蒸し返されるなんて。その読めない発言に言葉に詰まる。
それでもそんな言い方をされたら言葉の裏を探ろうとしてしまう。
独占欲……弱点を秘密にしたい……。
私が支倉くんの弱点を知りたかった理由……。
「……ちょっとダメな部分に萌えられたりしたら困る、とか?」
私が支倉くんの弱点を知りたかったのは、それをチラつかせて少し揶揄ったり出来たらってところではあったんだけど。こんな完璧そうな支倉くんが例えば実は音痴とか犬が苦手とか、そんな秘密があったとしたら可愛いななんて思ってもいた。
だから、そんな考えを持ちながら独占欲の意味を考えれば……。
まさかとは思いつつも遠慮がちに口にすれば、また歩みを進めた彼は私のすぐ目の前で止まった。
「ちょ、ちょっと……」
社内で一社員同士が対面する距離にしては近過ぎる。手を少し前に出せば触れられるその距離は、社内というシチュエーションに適していない。
いつも時間ギリ、いや遅刻がちな職場の方々が今ここに現れることはないと思うけど、ドアの小窓から廊下がバッチリ見えている。廊下を通り過ぎる人がこちらに視線を向けないか何だかドキドキしてしまう。
気が気じゃない距離間に後ずさろうとした時、ゆっくりと彼の腕が上がり、私の頭をポンポンと撫でた。ハッとして顔を上げると嬉しそうな顔が見つめている。
え? これは当たりってこと……?
よく出来ましたとでも言いたいような優しげな表情が至近距離にあって、見慣れた顔の筈なのに妙に恥ずかしくなった。
なんだか信じられないな。だって、支倉くんが私の弱点を愛しく思ってそれを独り占めしたいって思ってるってことなんだよね……。
噛み締めるように目の前の顔を見上げながら彼の心情を思い直す。
信じられない。本当に? 噓みたい。
だって、なんか……。
え、だって……。
「待って。なんかおかしいよね……?」
頭を撫でる彼の腕を掴む。
弱点を愛しく思う気持ちは理解出来なくもないけど、それは内容によるような。料理が苦手でそれが可愛いなんてちょっとおかしいような気がする。
それに、そもそも私の弱点を愛しく思ってそれを独占したいなんて、甘々ベタ惚れな彼氏は私にはいない。
「何が?」
「よくよく考えたらおかしいよ。料理が苦手なところが可愛いとか」
絆されそうな展開にストップを掛けると、その笑顔も何か裏があるように見えてくる。
意味のない嘘に必死な私を揶揄ってやろうとでも思ったのかもしれない……そんな風に疑う心が急激に増してきていた。
掴んだ腕を下ろしながら、訝しむような視線を向ける。だけど、そんな私の反応に彼は目を細めた。
「やっぱり菜月は面白いな」
「………?」
「どこまでも疑り深くて」
面白いと言われた割には皮肉とも取れる発言に、どう反応したらいいかわからなくなった。
何を考えているんだろう……?
おかしな噓もそうだけど、誤魔化しをを見破られても笑ってのけるその真意。いつにも増してわからない彼の心は、その顔を見つめていても全く読み取れない。
「前から言おうと思ってたけど、菜月は俺のこと勘違いしてるよね」
「え?」
「菜月はいつも俺が適当なことしか言わないと思ってるみたいだけど、菜月に対しては割と正直な人間のつもりだけど」
「……ん?」
だから、次に何を言われるかわからない……そうは感じていたものの、次に彼の口から出てきた言葉は想定外過ぎるもので、返す言葉がなかった。
だって、誰が正直な人間だって……?
だからあからさまに首を傾げたのに、そんな私のリアクションをスルーして彼は話を続けた。
「独占欲って言ったのは本当の話だよ。知ってた? 菜月は同期から割と受けがいいって」
「え?」
「人気者の彼女のプライベートな部分に対して、必ずしも本当のこと言ってやる必要はないって話」
「はぁ?」
またも思いも寄らない発言に間抜けな声が出てしまった。
真実を話すことに重きを置いていないっていう読みはどうやら合ってたみたいだけど、その理由に注目するとどうにもピンとこない。
私はアイドルでも何でもないのに、欠点を独り占めしたいみたいなこと言われるのはおかしいと思う。
「……ホント、そういう冗談はいいから」
「冗談じゃないって。ホントのことだよ」
ズレてるとしか思えない発言に、どこまでも疑り深い私としては簡単に納得出来ない。だって、言ってること絶対おかしいから。
それでも、ふと先日雛子に聞いた話が頭を過る。
『菜月は隠れファンが多い』
もしや彼の話が示唆するのはシャイな隠れファンのこと? え? 本当に?
未だに信じ難い話ではあるけれど、私に多少の好感を持っている人たちが存在するならば、その存在と彼の独占欲とが繋がるような気もする。
……え? 本当にそういうこと?
わかるようなわからないような混乱する頭で支倉くんを見つめれば、彼は真っ直ぐ私を見ていた。
私が理解出来るのを待っているかのような穏やかな表情だった。
「……独占欲の表現の仕方がおかしいよ」
「そうかな」
いつもこんな少しズレたところに彼の真意があるのなら、私が彼の胸の内を悟ることが出来るようになる日は当分こないと思えてならない。
私はいつも彼が何を考えているのかわからないけど、私の理解の範疇には彼の真意はないのかもしれない。そんな考えに至ってしまう。
「……つ、ついでだからこの際聞くけど、この前、私のこと色気がないとかノリが悪いとか話してたのは何だったの?」
「え?」
「この前も同期と話してたでしょ。その時は私のこと貶してたよね」
こうなると先日の暴言も何か意味があるように思えてきたから。恐る恐る問い掛けるも、これは予想外の指摘だったようで、流石の支倉くんも驚いたように固まった。
さっきは全然動揺しなかったのに……。
「それも盗み聞きしてたの?」
「う……」
それでもすぐに驚きの色を消して応戦してくるのは流石だと思う。
「だから、そういう訳じゃなくてあくまで偶然聞いちゃっただけで……いや、聞いてるのは私だから! だからなんだったの?」
ここで怯んだら負けに思えたし、あれにも独占欲のような私には理解出来ない答えがあるのでしょう。ここまで来たら答えが欲しい。じっとその目を見つめれば、何か思いを巡らせるように彼の目線が揺れた。
「もしかしてずっと気にしてた?」
「え? うん、まぁ……」
「不安にさせたならごめん」
そしてまた少しだけ目線を揺らした後に紡ぎ出された言葉は、今日何度目かと思う程の意外な言葉だった。
「簡単に言えば、嫉妬かな」
「……へ?」
……嫉妬? 誰が誰に?
多分これも本音なのだろうというのは何となく感じる。それでも全然ピンと来なくて意味がわからない。
きっと難しい顔をしていたんだろう。フッと笑った支倉くんは私の眉間を軽く突いた。
「まぁこれも要約すれば、俺は割と独占欲が強いって話」
そんなこれでわかっただろうみたいな顔をしてるけど、正直全然わからない。何がどう繋がってその結論に至ったのか全く理解出来ない。たとえその真意を説明してもらったとしても理解出来る自信もないんだけど。
それでも。
それでも、また独占欲なんて言われてしまったら。
どこまで本気かはわからないけど、彼の言葉に幾らかの本音が含まれているのだとしたら。
一つだけもしかしたらそういうことなのかななんて私の理解の範疇で思い至ることがあって。
「葉くんは私のこと割と好きってこと?」
ポロリと出た呟きに、彼は力が抜けたように笑った。
「今更気付いたの?」
その少し捻くれた肯定に何故かわからないけど胸が高鳴る。甘さも優しさもない言葉で喜ぶなんて、これじゃ本当にまぁまぁのM……。頭ではそう思うのに気持ちはどうにも制御出来ない。
そんな私の気持ちを見透かすかのように、彼はもう一度私に触れた。
撫でられる頰が熱を帯びる。だから会社でそういうのやめてほしいと思う反面、満たされるような気持ちも込み上げる。
どこかおかしい独占欲を持ったわかりにくい愛情表現にツッコミを入れ続けることが出来ず、結局はなんだかんだで絆されているような。スリスリと頰を撫でる仕草からなんだかこの後に起こりうる展開を想像して更に胸が高鳴ってしまう。
それでも、会社でそんなことをするのはなんだかいけないことだと思う気持ちもある。
なんせ、小窓からこちらは丸見えですから! だからゆっくりと綺麗な顔が近付いてくることに、羞恥心とかモラルとか残された理性とかが総動員で反応した。
「待って! 会社でこういうの、よくないって……」
「そうかな」
「そうだよ、誰かに見られたらマズイでしょ」
そう言ってチラチラとドアの方に視線を向けると、視線に気付いた支倉くんもそちらを振り返った。だけど逆に間の悪いことに今は廊下を通る人はいないのか、人の姿は見られない。
彼は何食わぬ顔で私の方に向き直りニコリと笑った。
「社内の密室に二人きりって状況がそもそもそそるよね」
「!」
爽やかな顔に似合わない妖しい発言と共に綺麗な顔が降りてくる。
だけど齎されたのは、言葉とは裏腹にそっと触れるだけの一瞬のキスだった。