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金曜日の恋と罠  作者: 高槻 汐
本編
2/21

ハニートラップ

彼に連れられてやって来たのは、会社近くにあるお店。


「ここ、先輩に教えてもらったんだけど、結構穴場なんだ」


路地を一本奥に入った所にあるその店は、知らなければ通り過ぎてしまうんだと思う。さっぱりとしたシンプルな外観で一見何の店だかわからない。そのせいか店内はそれほど混んではいなくて。でも、和モダンってやつなのかな? 結構お洒落な内観で穴場だと言われた意味がわかる気がした。



「最近帰りが遅い時たまに来るんだ。そろそろ野菜とか和食が恋しくなってきて。こんな時間だしあんまり食欲なくても和食なら入るかなって思ったんだけど」

「うん、この時間になるとあんまり食欲ないんだよね。でも、へー、これなら食べれそう。というか食べたい」

メニューを見ると、和の惣菜とか、煮魚とかサラダなんかがちょっとお洒落に盛りつけられている定食の写真が目に入る。


流石アイドルは女子への気遣いがなってるなぁ。

前に偶然帰りが一緒になったガタイのいい同期が、いい店知ってるって言うからついてってみたら、ガッツリ太麺系のラーメン屋だった。

ラーメン……。嫌いじゃないんだけど、夜のラーメンはそろそろ重い。


何も食べてはいなかったけど、こんな時間になると食欲はあまりない。物によっては翌日胃もたれするし。だから、夜の十時を過ぎる日は誘われても帰ることが多い。帰って軽く何かつまんで寝るつもりだったんだけど……。

同期のアイドルがどんな店で食事をするのか興味が出てしまったんだ。









同期が集まってする話と言えば、お互いの近況。


「月曜に客先のシステムのアップデートに行ってさ。現地では大丈夫だったんだけど、その後システムが動かないってクレームがきちゃって」

「えー、大変だったでしょ?」

「うん。次の日また客先行って状況を見た後、会社に戻ってひたすら再現確認。お陰で今週は殆ど終電だったよ」

「だから今日もこんな時間? お疲れさまだね」

「一応なんとかなったからよかったけどね。やっとピリピリした空気から解放されたから誰かとのんびり話したい気分でさ。桜野さんがいてくれてよかった」


「いえ、役得です」と思ったのは心の中に留めておいた。私は山が終わったらすぐにでも帰って寝たいタイプだけど、支倉くんはそんな風に思うんだ。

藤澤くんが先に帰ってくれたことを感謝してしまった。





アップデート後の不具合なんてそれなりにあるあるで、共感出来るネタならいくつか持っている。話すのは今日が初めてなのにも関わらず、やはり同じ会社、同じ職種をしているからか話は弾んだ。

おまけに頼んだ定食は美味しい。煮魚は結構味が染みているし、野菜の入った味噌汁もなんだか優しい味がする。


そして何より対面して間近で見る支倉くんはやっぱりかっこいい。ジャケットを脱いだ白いYシャツ姿は眩しい。食事をする姿すらサマになっていて、もしも同じ課だったらお昼とか一緒に行けて、毎日この姿を拝めるのか……。

うーん、毎日……それはそれで心が休まらないような気も。


同期のアイドルと食事をして。いいお店を教えてもらえて。残業してればたまにはいいことあるんだななんて、今の幸せを噛み締めていた。











だけど……。


うーん。だけど。


腑に落ちないことが一つ。


私たちは同期ではあるけれど、入社からここ四年間、一度も話したことがなかった。誰かとのんびり話したかったって言ってたけど、気心が知れている相手ならまだしも、ロクに話したことのない相手じゃ逆に気が休まらなくないかな?

まぁ、ついて来ておいてなんだけども。

私が癒し系なんてありがたい噂でもあるとか?



「実は前から桜野さんと話してみたかったんだ」

「えぇっ!」


そんな疑問を持った最中に出てきた支倉くんの言葉がタイムリー過ぎた。


「えっ、そんなに驚く?」

「いや、だって、ねぇ」


こういう時、「あら光栄」くらいのことを言う大人の女性を装いたいところだけど、今日は相手が悪い。出てしまったのは素の反応。


ついでに「え、だって……。どういう意味?」とうっかり聞き返しそうになるなのをなんとか飲み込んだ。爽やかな彼の発想を想像すれば、話したことのなかった同期と単に話してみたかったという純粋な仲間意識しかないような気がして。自意識過剰っぽい発言は避けた方がベターかなと。



「同期なのにまだロクに話したことなかったから」


一旦落ち着こうと水を飲んでいる間に聞こえてきたのはそんな言葉で。やっぱりそうですよねなんて、深い意図がないことにガッカリするやらホッとするやら。


「そうだね、同期多いからね」

「うん、けどまぁ、それだけが理由じゃないけど」

「えっ……! えっと、それはどういう意味?」


こっちは一度落ち着いたのに、またも出てきた意味ありげな言葉に動揺して、堪らず今度は聞き返してしまった。もしかしたら必死な顔でもしてたのかな。彼は私の顔を見てクスッと少し笑った。


「かわいいし真面目だなと思ってて、機会があれば話してみたかったから」

「えっ……」


かわいい? 今私のことかわいいって言った……? 聞き間違いではない?

アイドルの口からまさかそんな言葉が出るなんて思ってなかったから……。


「えーと、えっと、あの……。なんか照れるなぁ」

誤魔化すようにそれだけ言うのが精一杯だった。


それなのに……。


「桜野さんて彼氏いるの?」


出てきたのはまたも、何かを意識させるような発言。


「えっ、いないけど……。支倉くんは?」

「いないよ。いたら今日、桜野さんを誘ってない」

聞かれたから聞き返したものの、真面目な顔でそんな風に返すから……。




「酔ってるの?」

「何言ってんの? 今日は一滴も飲んでないよ」

「うん。そうだよね、そうなんだけど……」


なんだかアピールされているように感じてしまうのは自意識過剰でしょうか。だけど自分で言うのも悲しいけど、残業続きで疲れきっている私が魅力的に見えるのはおかしい。

どういうつもりなのかわからなくて、警戒するようにチラチラと視線を投げると、ニコニコとした笑顔がそれを受け止めた。






うーん。


彼は素面でナチュラルにリップサービスしてくれているのかもしれない。行き着いたのはそんな結論。

私は彼のことよくは知らないけれど、確か他の同期が「支倉くんは見た目もいいけど、中身もいいよね」って盛り上がってた記憶はある。今日少し話しただけでも、気遣いが出来て優しいというか柔らかい雰囲気の人だなって。見た目通り好青年ぽいなとは思ったけど……それだけじゃなくて、中身もいいとはこのことを言ってたのかな?

枯れた生活に少しのトキメキをくれる。確かに悪くはない刺激……。だからアイドルなのかな?


いやいやいや! アイドルたる者軽々しく下々の者に叶わぬ期待を抱かせるような発言は避けてほしいと私は思う。



「支倉くん、そういう発言は誤解を招くからやめた方がいいよ」

「誤解?」

下々代表として言ってやったのに、彼は私の注意に不思議そうな顔をした。


「勘違いしちゃうってことだよ」

「勘違い?」

惚けているのかな? 不思議そうな顔は継続中。


「だから……支倉くんがそういうこと言うと、私に気があるのかなって勘違いしちゃう子もいるからね……。困るでしょ?」


オブラートに包んだはずの注意が、曝け出された形になった。わからないフリをした意地悪ならタチが悪いけど、本当にわからない天然発言だったらもっとタチが悪い。なんだか振り回された気分になって、真意を見抜いてやろうとその綺麗な顔を睨みつけた。


だけど。


「勘違いじゃなかったら?」

「えっ」

「勘違いじゃなかったら嬉しい?」

微笑むような優しい顔でそんな問いを投げてくる。


「それは……まぁ。うん。嬉しいよ」

彼のこの顔を見て否定出来る猛者はいるのでしょうか。本音と言えば本音なのだけど、肯定で返すと「そっか」と嬉しそうに笑った。



「連絡先交換してもらってもいい?」







ロクに話したことのない同期が何故か私に気があるような態度をとる。さり気なく距離を詰めて懐柔させるこのテクニック。俗に言うハニトラというやつなのでしょうか?

可愛らしい響きながら罠の一種に違いない。


これは何かの罠だ。そうに違いない。そう思っているはずなのに……。





「いいよ」


簡単に手の内に落ちてしまう。

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