忘れられない水曜日
突然現れて「さあ、行こうか」なんて言われても、唐突過ぎて頭が回らない。
辛うじて出てきた「え? どこに……?」という疑問の言葉は笑顔でスルーしたくせに。不甲斐ない私の代わりとでも言うように「お先に失礼します」と頭を下げるその姿は好青年のようで、中島さんは嬉しそうに手を振っていた。
そしてそのまま引っ張られるように歩かされ、気付けばいつもより幾らか畏まったお店で向かい合って食事をしている。
今日の予定は帰り掛けに弁当でも買って、家で一人で食べるはずだったんだけど。コンビニでケーキを買う位の贅沢は許されるかなとか思ってたはずなんだけど。
「どうしたの? ボーッとして」
「いや、予想だにしない展開に頭が追いつかなくて」
「そうかな。どのあたりが予想外?」
「え……突然こんなところに連れてこられたこととか」
「強引だった?」
「まぁ」
「予告もなしに押しかけたからね」
「うん」
「けどまぁ、強引な男は嫌いじゃないかと思ってたけど、違った?
「…………」
なんてツッコンだらいいかわからなかっただけで、図星だからって訳じゃない。それでも、言葉が出ない私を見てニコッと笑うから、今日もなんだかいつものパターン。
だけど。
「誕生日にはサプライズが大事かなって思ったから」
「!」
笑顔で付け足された一言に思わず目を見張った。
「……なんで知ってるの?」
「心が読めるから」
「冗談はいいから」
その目をじっと見ていると本当に心を見透かされているのではと思えてくる不思議がある。だけど、流石にそんな訳はないから。冗談の相手をするよりも、言うに言えなかった話をなんで知っているのか問い詰めたい気持ちが勝った。綺麗な所作でナイフとフォークを動かす彼を迫るように見つめる。
「食べないの?」
「いや、食べるけど……」
目の前には普段は口に出来ないような高級そうなステーキ。間違いなく美味しいであろうことはわかっているんだけど、今は落ち着いて食べられる気がしない。誤魔化すような態度が気に入らなくてもう一度視線を向けると、今度は挑むような視線が返ってきた。
「そんなに不思議?」
「うん」
素直に認めると、彼はニコッと笑った後ナイフとフォークをゆっくりと置いた。
「先週、ウチに来た時の妙な行動。あれがきっかけかな」
「え……」
「免許の更新を思い出して免許証が見たいとするなら、直接頼めばいい話なのに隠れてコソコソ見ようとしていた。まずそこに違和感。菜月の性格上人の物を隠れて探るタイプじゃないのに、明らかに俺にバレたくない何かをしようとしていた。そう見えたから」
「…………」
もっとサラっと答えをくれればいいのに、なんでそんな回りくどく喋るんだろう。追い詰められているような気分になる。だけどその推察は合っているので黙っていた。
「直接頼めばいい話なのにそれをしない。自分の免許証を見せてと言われたら困るからかな。よっぽど映りの悪い写真って可能性もあるけど、そこまで拒否する程見せたくないものかな。本当はそこに書かれている何か別の情報を知られたくない、そして俺の情報を知りたいんじゃないか。そう考える方が自然に思えて。あとは免許証に記載されている個人情報で君が欲しそうなものは、と考えてみれば答えは出たよ」
「……名探偵なの?」
「転職してもイケるかな」
こんな探偵がいたら人気出そう、なんて一瞬思ったけどそれは黙っておいた。探偵が人気なんていうのも変だし。
でも……。
「でも、そもそも免許証って私が言い出さなかったら?」
「菜月は正直なタイプだから、ピンチの時に嘘はつけない。事実免許の更新て言いだした時はしどろもどろしてたし」
「私のことよくわかってるんですね」
「まぁね」
「じゃあ、逆に私の誕生日が今日だってどうやって……」
「免許証を見る以外にも誕生日を調べる方法は割とあるんだよ」
何を見たのかはよくわからないけれど、彼にとって私の誕生日なんて情報一つ抜き出すのは造作のないことなんだ。なんせ彼は名探偵だから。
「でも、なんで誕生日一つ言い出せなかったか意味不明に思ってるでしょ?」
「いや、わかるよ。なんとなくはね」
さっきからさも私をよくわかっているという様子で。これを喜んでよいものなのか。それでも、私をよく理解してくれている賢い彼のお陰で、虚しい時間を過ごさずに済んだことになっている。
「…………」
犯行の理由が呆気なくバレていて、一人じゃ絶対来ないような素敵なお店で迎える誕生日の夜。重なるサプライズにやっぱり言葉が出てこなくて、ただその顔を見つめ返すと、私の視線を受け止めて優しい微笑みが返ってきた。
「誕生日おめでとう」
何故かはよくわからないけど、泣きそうになってしまった。
***
「今日はありがとね」
帰り道。駅までの道をいつものように並んで歩く。
「どういたしまして。残念ながらプレゼントは間に合わなかったけど」
「いいよ、そんなの。もう十分だから」
誕生日一つ素直に伝えられない私を彼は笑いもせず責めもせず、受け止めるような大らかさで。これ以上何を望むのかと言う話。本心から出た言葉なのに、彼は何か納得出来ないようで少し考え込むような素振りを見せた。
「そうだな。せっかくだから何か一つ何でも言うこと聞くっていうのは?」
「え?」
「プレゼントの代わり。不満?」
「いや、でも……え……」
「何かある?」
何でも言うことを聞くなんてそんなに下手に出る姿が珍し過ぎる。しかも自らそんなこと言い出すなんて。だから突然の提案に驚いていはいるものの、正直それは願ってもないチャンスで。いつも振り回されている分、何か無理難題をふっかけて振り回してやりたい。そんな気持ちが芽生えてしまう。
ホントにいいのかな……?
確認の意味を込めて支倉くんの顔をチラと見れば、私が何を言い出しても動じないとでもいうような余裕の表情。
もしかして試されてるのかな……?
そうなるとどうにか少しでも動揺させてみたいんだけど……。
ガチで考える分、暫し沈黙の間。
恋人と並んで歩きながらこんなに頭を使うことってあるもんなのかな。
「じゃあ」と言って立ち止まって顔を上げると、私を見つめるその顔はやっぱりどこか嬉しそうで。だけど、これは恋人のワガママを聞いてあげる優しい彼氏の顔じゃない。私がどんな面白いことを言い出すか試している顔なんだと思う。
変なプレッシャーを掛けるのやめてくれないかな。
意を決して口を開く。
「……免許証を見せてほしいんだけど」
結局散々頭を使った割に何を言っても鼻で笑われそうに思えて。しょうがないから一番最初に思い付いたことを口に出してみたんだけど。「なんだそんなこと」とか言われそうだけど、今日は私の誕生日だし何を言っても許されるでしょと開き直っただけなんだけど……。
「え」と言って支倉くんが固まったから、その反応は予想外。
「え……ダメだった?」
「いや……そう来るんだなと思って」
「え……おかしい?」
「いや、おかしくないよ」
「じゃあ……」
この前躱されたことを思い出して遠慮がちに口を開いたけど、今度は大丈夫なようで彼は財布を取り出した。この前触った黒い財布。その中から免許証を引き抜いて少しだけそれを見ていた。
「なんだか今日は負けた気分かな」
「え?」
言われた意味がわからなくて首を傾げつつ、差し出された免許証を受け取ると……。
「!」
今の支倉くんよりほんの少し髪が長いけど、安定の美形の写真が目に入る。だけど気になったのはそこじゃなくて……。
「なんで言ってくれなかったの?」
「意味不明だった?」
「いや……気持ちはわからなくも……ないんだけど」
「そうだろうね」
「でも、私が今免許証って言いださなかったら……」
「だからそれが予想外でなんか負けた気分だったんだよ」
「でも、この流れなら自分から言い出してくれてもよくない?」
「男の方から聞かれてもないのにそんなこと言い出すのってどうかと思わない?」
「何その変なプライド」
「わからない?」
「いや、だからわからなくもないんだけどね」
そう口にしてみて、いつもはわからないわからないと思っていた支倉くんの気持ちをわかると言ってる自分に気付く。
彼もまた自分から言うに言い出せない気持ちを抱いていたのかな。こんなに近い所にこの複雑な気持ちを共有出来る相手がいたなんて……。
免許証に記載されていた彼の誕生日。
私とは二日違いの明後日の日付だった。
「人のこと言えないけど、そんな直前に発覚したら支倉くんこそプレゼントはないからね」
「いいよ。じゃあ代わりに一つ何でも言うこと聞いてくれれば」
不敵な顔でとんでもないことを言い出すから、思わず黙るハメになる。
「……もしかして、そういう作戦だった?」
「何のこと?」
「待って! 今日はまだ私の誕生日だから。支倉くんのお願いはまだ聞けないから」
「わかってるよ」
ホントどこまで計算しての言動なんだろう……?
逆の立場になってみれば何を言われるかわからなくてなんだか恐ろしい。
負けた気分とか言ってたくせに……。
慌てる私を微笑ましいとでもいうような笑顔で見ていた。
「それよりさっきから苗字で呼ばれてることが気になるんだけど」
「えっ、そうだった?」
また並んで歩く内に隣から聞こえてきた指摘。何度か名前の件でドキドキさせられた記憶はあるから、ここで素直に受け止めたらきっとまた彼のペース。だからもうこれ以上は乱されたくなくて。
「そんな指摘にはもう動じないから。そんなこと本当はどっちでもいいとか思ってるでしょ? 」
「思ってないよ。将来的なことを考えれば名前で呼ぶことに慣れておいてもらいたいしね」
「いや、だからそういう冗談はいいから」
間髪入れずに返ってきた返事ではあるけれど、将来のことなんて考えているとは到底思えない。だからあっさり切り捨てると、彼はフッと笑いを零した。
だから、ほらやっぱりと思ったのに。
突然左手を掴まれ、思わず足が止まる。
驚いて顔を上げると、穏やかな瞳が私を見ていた。
「じゃあ正直に言ってみるなら、来年の誕生日も祝いたいとは思ってるよ。これ位なら望んでいても構わないかな?」
この人といるといつも頭を使わなくてはいけなくて、安らぎとは程遠い。恋人に求めるものは考え方が似ているとか、一緒にいて気を遣わなくてもいいとか、そんな大多数の意見を私も支持していたはずだったんだけど。
真逆の人に恋をして、心も頭も休まる暇はない。
彼と出会ってから私は素直さを失う一方だし、いつも結局その手の上で転がされている気分になる。私の夢はその力関係が少しでも覆ること。
突然のその感じは私をドキッとさせるには十分過ぎるもので。拗ねるように「ずるい」と一言呟くとまた嬉しそうに笑っていた。
「今日ウチ来る?」
「明日も会社でしょ? 行かないよ」
「フレックス使えば」
「ダメ。朝から打ち合わせあるから」
「つれないな」
「……あ、誕生日にどうしてもってお願いするなら一緒にいてあげてもいいよ」
いつも金曜は一緒にいるから。彼のお願いを打ち消す名案が浮かんでわざとらしく口にしてみたんだけど……。
「いいね。朝まで付き合ってもらおうかな。寝かせてあげられないかもしれないけど」
「えっ?!」
今日は私の誕生日なのに、今日もやっぱり彼のペース。賢くて意地悪で、わかりにくいけど優しい人。この人といるといつも気が抜けなくて、いつも油断出来ない。
……だけどこの人が好きなんだと思う。
「金曜が楽しみだね」
その言葉に何か含みがあるように聞こえて困るのも事実だけど。
今日の彼に勝るサプライズは用意出来ないかもしれないけど、金曜は忘れられない日にしてあげたい。
隣を歩く彼を見上げてそんなことを思う。
優しい夜風が頬を撫でる。そんな夜。
そんな幸せな誕生日。
《Fin》