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金曜日の恋と罠  作者: 高槻 汐
本編
14/21

彼女の浅はかな犯行

さらっと言ってしまえば良かったのに、なんとなく躊躇している内にタイミングを失ってしまうことって結構あると思う。だから、つまりこれも元を辿ればそういうこと……。

そう、事の始まりは単純な話。








***


その日は金曜日で、例の如く仕事終わりに待ち合わせをして。外で食事をしてから彼の家を訪れていた。この部屋には既に何度か来ているけど、いつ来ても部屋は綺麗で、掃除まで抜かりない支倉くんに今日もまた感心して。


慣れたとはまだ言い難いようなこのリビングでソファに身を預けて「じゃあ、お先に」と言ってお風呂へ入りに行く支倉くんに「はーい」と軽く返事をして。なんとなく見ていたテレビのチャンネルを変えようかとリモコンに手を伸ばした時だった。

間近で聞こえた「ヴー」という振動音。反射的に目を向けてしまったのは不可抗力なんだと思う。

"菊池麻里花: こんばんは。この前の話の……"というメッセージが目に入った。


「…………」


知らない女の名前。しかも"マリカ"なんて可愛い名前になんだか勝手に若い可愛い女子の姿が連想されて。

…………。

いやいや、職場の人かもしれないし……!

…………。

いやいや、違うよ! そもそも、女からメッセージが届いた位で動揺なんてしてたら、また雛子に中高生じゃないんだからとか言われちゃうって。

だから、この件に関しては見なかったことにしようと思ったんだけど。


もう一度テーブルの上に視線を走らせると、リモコンの側に置かれていたソレは嫌でも私の目に入った。




あ。うーん……。

でも……うーん。



いや、ダメだよ。絶対ダメ!

……な気がするけど、でも……ちょっと見るだけなら。

支倉くんはお風呂に行ったばかりだから、そう簡単には戻ってこないはず……。

そう思ったらもう気持ちは動き出してしまって、つい"ソレ"を手に取ってしまった。

少しだけ……!

今まさに意を決した時。





「何してるの?」



「……っ!」

そっとリビングの扉が開けられるのと同時に投げられた疑問の声に、驚いて身体がビクッと飛び跳ねた。

だから。


ヤバい……反射的にそう思った。


「え、えーと……葉くんこそどうしたの? お風呂は?」

「風呂入ってる間に携帯充電しておこうかと思って」

「そうなんだ……」

「で? そっちは何してたの? そんなもの持って」

「え、えーと……」


恐らくただ手に取っただけだったならセーフだったんじゃないかな? 彼の声掛けにあからさまに驚いちゃったから。だから勘の鋭い彼にはきっと私の後ろめたい気持ちはバレたに違いなくて。



恋人の携帯を盗み見ることが世間的にタブーとされていることは私だって知っている。

それに抜かりない彼の性格も私は知っている。

だからスマホには確実にロックが掛かってるだろうし、そのパスコードを他人が簡単に思いつくものなんかにしているとは到底思えない。だから彼の携帯を盗み見ようなんて気持ちは毛頭なくて。








「金に困ってるの?」


今私が手にしているものはスマホの隣に置かれていた彼の財布。金曜だからなのかな? スマホを取り出すついでに通勤バッグから財布を取り出してテーブルに置いたのは。

その黒い革の二つ折りの財布を開いて、中を物色しようとしている瞬間という、怪しいことこの上ない瞬間に財布の持ち主と鉢合わせるという惨事が今起こっている。



「ちっ、ち、違うよ!」

「じゃあ、何?」

怒っているようには見えない。薄っすら笑いながら近づいて来るその姿は何かを愉しんでいるようで。

……ダメかも。

相手が悪い。下手な誤魔化しは通用しないと思えてならない。正直に言うべきかと覚悟を決めた。


「……見たかったの」

「何を?」

「だから……その……免許証を」

「なんでそんなもん見たいの?」

「そ、それは……えっと……あ、あの今度免許の更新で……免許証の写真って写りが悪いけど、支倉くんはどうなんだろうなって思ったから」

「別に普通だよ」

「じゃあ見せ……」

見せてと言い終わらない内に私の手から財布が抜かれた。


「あ……」

「だったら初めからそう言えばよかったのに」

「うん、そうだね。ごめんなさい」

曲がりなりにも人の物を勝手に触ったのだから、悪いことをしたという自覚はある。だけど、やっぱり怒っているようには見えないからなんとなくホッとしていたんだけど。



「人の物を勝手に触る悪い子の頼みは聞けないかな」


笑顔で一言そう言って、リビングのドアを出て行った。もちろん財布も一緒に。













***


「あぁ、どうしよぅ……」

「どうしたの? なんかあった?」

月曜の昼休み。人も疎らな職場のデスクで一人頭を抱える内に出てしまった心の叫び。別に誰に向けて言った訳でもなかったんだけど、丁度席に戻ってきた中島さんにその叫びは拾われた。


「……あ、いえ、何でもないですよ」

「嘘。なんか深刻そうな声だったよ。仕事の悩み……じゃないよね?」

「……はい、まぁ」

仕事とは程遠い話。だからそれは当たりなのだけど、何の悩みか言い難い。何て言うべきかわからなくて曖昧に返事をすると中島さんは不思議そうな顔をしながら自分の席に腰を下ろした。


「となると……うーん、わかった! 彼氏のことでしょ」

「え!」

「あははー、当たり?」

「えーっと、あの……はい」

「何? ケンカでもしたの?」

「いえ、ケンカとは違うんですけど」

中島さんには"彼氏"の話はしたことがなったから。そもそもの話をもっと根掘り葉掘り訊かれるかと思ってたのに、そこはスルーされたことに少し驚く。だけど、これは話を聞いてあげるというか興味津々モードであることはなんとなく感じるというか……。

だけどなんて説明したらよいものか……勝手に財布を開けて免許証を出そうとしたところ一悶着あったなんて話はあまり公にしたくない。

だったら別の局面から話してみるしかないかな……。


「中島さんて、彼氏いますよね?」

「え? うん、まぁ、一応」

会社では「イケメンに癒されたい」とか言ってる割に中島さんにはちゃんと他所に彼氏がいる。彼氏はイケメンとは違う種族らしいけど、もう付き合って結構長いみたいな話は前に聞いていた。


「お互いの誕生日って、何して過ごします?」

「え? 誕生日かぁ。うーん。都合が合えばお店予約してご馳走食べたり、ケーキ食べたり?」

「やっぱりそうですよねぇ」

「なになに? 誕生日どうやって過ごそうかって悩み?」

「……はい、まぁ、そんな感じです」

「なんだ、楽しい悩みじゃない」

「えぇ、まぁ」

嬉しそうな顔でそんなコメントをする先輩に私の気持ちはわからないんだろう。また曖昧に笑って誤魔化してしまった。




私があんな奇怪な行動に走った理由。

それは彼女なら言っても当然とも思える一言を言えなかったことから始まる。

そんなことも言えない愚かな自分が話をややこしくしてしまった。つまりはそういう話な訳で……。



「あぁ、そっか。なっちゃんもうすぐ誕生日だよね。だからか」

「はい」

「いつだっけ?」

「……明後日です」


後悔してももう遅い。


















***


そう言えばもうすぐ誕生日だ……。

棚の上の卓上カレンダーを今月に替えた時そう思った。

だから次に彼に会った時さらりと言ってしまえばよかったのに……。



確か去年の誕生日は、家族から"おめでとう"ってLINEが入って終わりくらいの呆気ない日だった。というかその前の年もその前も似たようなものだったような。

もう無邪気に「今月誕生日なの」なんて言う歳でもないし、突然「あ! もうすぐ誕生日だ」なんてわざとらしい真似も出来ない。そもそもアラサーに突入した今、めでたいかどうかも微妙なもんかな。

だけど恋人がいるのにそれをスルーするのもまた違うような気もして……。

彼氏と誕生日を祝うという恋人っぽいことに憧れはありつつも、結局どのテンションで伝えたらいいか答えが出せなかった。

雛子に言ったら「なんでそんなことも言えないの?」って怒られそう。

いや、誰に言っても怒られそう……この気持ちを共有出来る人はいるのかな。



そういえば支倉くんの誕生日っていつなんだろう?

言い出せない割に誕生日を意識していたからかな。そんな疑問が生まれたのは。

だけどそれも直接は聞けなくて。だってそれを聞いてしまったらきっとリターンが来る訳で、それで「実は来週なの」なんて言うのは自分の誕生日をアピールしたい策略的な会話と思われるような気がして。

なんだろう。安易なやつだと思われたくないのかも。変なプライドが邪魔をしたんだ。


そしてあの日。

目の前には彼の財布。

そういえば免許証には誕生日が書いてあったーーそんなことがピンときて、簡単に言えば出来心。何を盗む訳でもないし、私が欲しいのは彼の誕生日という情報一つ。別に悪用はしない。私の胸に留めておくだけ。

そして誘惑に駆られた結果……。


犯行は失敗した。



免許証の写真が見たかったなんて咄嗟に出た言い訳を信じたかはよくわからないけど、あの後お風呂から戻ってきた支倉くんは何事もなかったような感じだった。だけど、あの人の何事もなかったような感じをそのまま受け取るのは違うってことは、経験上なんとなくわかる。

人の財布に手を出す怪しい女と思われて、一つ信用を失ってしまったかも。そんな卑屈な発想に捉われてしまった。


だから今更、誕生日どうこうなんて話は言えなくて。

こうして去年にも増して虚しい誕生日がやってきてしまったのです。








そして今日は定時退社日。

今日ばかりは仕事がしたかったなんて思ってしまう。


「よかったね、今日水曜で。夜デート出来るね」

「……はい」

「結局どうすることにしたの? 外でディナー?」

「ええと、やっぱり彼にお任せしようかなぁなんて」

嬉しそうに話す中島さんに本当のことは言えない。私は今から一人寂しく家に帰るんですなんて悲しいこと言えない。


「プレゼントとかおねだりしたの?」

「いえ……それもお任せで」

「そっかぁ。それもいいよね、サプライズ的な」

私の誕生日なのに私より中島さんの方が楽しそうで、自分のことなのに他人事みたいな気になってくる。

今話していることはほぼ実現されないことなんです。そう思うとなんだか申し訳ないような気がしてしまったんだけど。


時計は定時を過ぎたから、徐々に周りは立ち上がる。

私も開いていたファイルを閉じてPCの電源を落とそうとしたところだった。


「あ! なっちゃん! お迎え来たよ!」

「え?」

結局誕生日は伝えられず終いだから彼が現れる訳はない。

いや、そもそも中島さんに私の彼氏は誰かって話したっけ?

それでも聞こえてきた中島さんの声はさっきより弾んでいたから。顔を上げて通路の方に目を向けた。


「相変わらず今日もイケメンだね。羨ましいわ。癒される」


仕事終わりなのに、疲れを感じさせない爽やかな表情。その姿に癒される気持ちは……遠目でならわかる。

歩いて来たのは紛れもなく彼で、目が合うと少し微笑まれた気さえした。


だけどこれ以上近付いて来られるのは、想定していない展開だから困るんだけど……!

なんて心の叫びは届かない。





彼は真っ直ぐ私の席まで来て、和かに微笑んだ。

そして一言呟いた。



「さあ、行こうか」





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