本音と建前
"明日の夜空いてる? また一緒に夕食はどうですか?"
まさかこんな誘いが来るなんて思ってもみなかったから、起動したLINEの画面を見ながら思わず固まってしまった。
確かにこの前別れ際に「また来週」とは言ったけど、それは彼女を動揺させたくて言った軽い冗談程度のものだったから。約束したつもりはなかったんだけど。
だけどこうなると、ただでさえ気が進まなかった明日の合コンが本当に面倒としか思えなくなってきて……それでも約束した手前もう断れない。
"誘ってくれてありがとう。嬉しいな。だけどごめん。明日は無理そう"と入力して、このまま送信しようと思ったけど……これじゃなんかつまらなくないかな? 素直過ぎるような。
"明日は"に続く言葉を"合コンだから無理"に変えた。なんだかまだ素直になるには早過ぎるような気がする。もう少し読めない男を演出したい。そんなことを思うつまらない意地が勝ってしまった。
***
合コンの席なんて久しぶり。前に行ったのはいつだったっけ? すぐには思い出せない。
自分が選んだ店とはいえ、こんな男女の浮ついたような空気に触れるのも久々で、やっぱり落ち着かないような気はしていた。
運ばれてきた料理を前に女性陣がスマホを取り出したあたり、やはり店の選択は間違っていなかったと思う。だけど「写真を撮ってもいいですか?」が「SNSにアップしてもいいですか?」と同値なくらいの勢いで、間違っても写真には写りたくないなと思ってしまった。
日々PCと睨めっこしている俺たちみたいな業界では出会いは少ない。残業なんて当たり前でアフターファイブを楽しむなんて縁遠い。そのせいか社内恋愛は多いとも聞くけど、男女比は圧倒的に男に傾いているので、あり余る男性陣には不利な職場だった。
同期たちはこの出会いを逃してたまるかと思っているのか、久々に若くて可愛らしい女性たちに出会えた喜びなのか、いつもより饒舌で見ていて面白い。
相手は隼人のサークルの後輩繋がりで保育士だと聞いていたけど、実際に保育士なのは内二人で、残る二人はOLだった。ただどちらの職業の女性たちも、仮にも大手企業に勤めている俺たちに、興味津々という感じはある。
パートナーを求めてきた訳ではない俺はどこか冷めた目線で、でも笑顔の仮面はつけたまま観察するような視線を向けていた。
「支倉さんってモテますよね?」
隣の席に座った女性が、控えめに口を開いた。
「別にモテないかな。職場は殆ど男だし、残業ばっかで遊んでもないし」
「えー、そうなんですか? でも合コンなんて来る必要なさそうですよ。絶対モテそうです」
確か……名前は菊池さんだったかな。二コ下らしいけど、童顔で酒のせいか赤らんだ顔が相まってもっと幼く見えた。
「まぁ、率先して来たわけではないかな。誘われたから仕方なく」
「そうなんですか、私もです。あまりこういうの慣れてなくて」
そう言った彼女は何故か嬉しそうにニコニコしていて、慣れてない割には楽しそうだねなんていう意地悪なツッコミが浮かんだけど、今は控えておいた。代わりに「菊池さんも可愛いから必要なさそうなのに」と笑顔を向けると、紅く色づいた顔が更に紅くなったように見えた。
「職場じゃ全然出会いがないし、そんなに社交的ってほどでもないので……こういう機会でもなきゃ出会えないよって友達に言われて」
「俺もそんなに社交的じゃないから一緒だね」
グラスを持つ彼女の指が目に入る。保育士という職業のせいか飾り気のない素の爪は短く切られていた。
「やっぱり職業柄ネイルとかしないもんなの?」
「あっ、はい。なんか恥ずかしいですね。ホントは他の子みたくネイルとかしたいんですけど」
「いや、そういう方が清潔感があっていいと思うけど」
気になったことをストレートに聞いて、思うままを返したから。俺としては特に何の含みもなかったんだけど。
「ちょっと! 葉! それくらいにしておいた方が……」
前の席に座る隼人が慌てたように口を開いた。
「何を?」
「いや、だからあんまり期待させるのも悪いかなとかさ」
歯切れの悪い物言いをして菊池さんをチラっと見た。彼女は隼人が何を言いたいのかわからないようでキョトンとした顔をする。
隣の席に座る女の子と楽しそうに喋っていたくせに、ちゃんと俺の会話もチェックしていたようで。こいつのどこかで冷静さを忘れないところがいい所だと思う。
だけど……。
「だから何が?」
別に惚けているいる訳ではないんだけど。一体何にそんなに慌ててるのかがわからない。
「だから、あー、もう! ちょっと来いって」
立ち上がる隼人に促されて席を立つ。残された女の子たちは不思議そうな顔をしていた。
半個室の席を後にし、トイレに続く廊下まで進むと、振り返った隼人は困ったような顔をしていた。
「あんな思わせぶりなこと言ったら勘違いさせるだろ」
「そうかな。口説いてるつもりはないけど」
何の注意かよくわからなくて素直に言葉を返すと、隼人は「ハァ」と深い溜め息を吐いた。
「いや、だって……他の女の子に気を持たせるようなことするの、よくないような気がするんだけど」
はっきりしない言い方と「他の女の子」と言った言葉が気に掛かる。だけど、その後恐る恐るといった調子で続きを話した隼人の言葉で合点がいった。
「……葉と桜野さんの噂聞いたんだけど。だから他の子から気に入られたりしたら何か拗れたりするんじゃないかなって。余計な心配だった?」
そんな噂は広がるかもなと思ってはいたけど、隼人がそれを知っていたことに少しだけ驚かされる。
だからか。慌ててたって言うよりは心配してたってことなのかな? 桜野さんの耳に変な噂が入ったら俺の印象が悪くなるとか考えたってところかな。
だけど世の中にはわざと拗らせてヤキモキさせようとする手法だってあるってのに、こいつはやっぱり真面目なんだな。
「だったらそもそも今日こんな所に来たこと自体印象悪いような気がするけど」
「そうなんだよな。それは俺も申し訳ないような気はしてて。誘ったのは俺だし。だけど、何事もなく帰れば桜野さんにバレることもないし……」
「いや、合コンに行くって話はしちゃったけど」
「えっ?! 言う必要あった? 言わなくてよくない?」
「まぁ、いいんじゃないかな。別に付き合ってる訳でもないし」
「え? じゃあ噂はガセってこと?」
「いや、強ち間違いでもないけどね」
「え? どっちだよ!」
はぐらかすように遇らうと、真相を知りたいのか食いついてくる。
「どうだろうね。まぁ、嫌われてない自信はあるかな」
昨日もらったLINEのメッセージから察するに嫌われてはないはず。だからそう答えたんだけど、隼人はまた「ハァ」と大きな溜め息を吐いた。
「ホントみんなこんな何考えてるかわかんないやつのどこがいいんだろう。見た目に騙されてるのかな」
「そうかな? 中身も爽やかだって評判だけど」
「いや、だからそういうところがさ」
またそうやって揚げ足を取ったからか、呆れた顔をされた。
「もっとわかりやすく誠実にしてないと桜野さんにフラれるぞ」
何がどこまで伝わってるのかよくわからないから、隼人が俺たちの関係について何を思っているかよくわからないけれど、まぁ、つまりは本命だけに優しく誠実な態度をとれって言いたいのかな。
うーん。それはいろんな意味で難しい。
気が進まない合コンとは言え、こういう場面を乗り切るには、適度に相手を持ち上げることが大事だと思っているから。
それに……。
この時点で彼女が好きかと聞かれたら、正直よくわからないから。
夜九時過ぎ。隼人を含め他のメンバーも、二軒目に行くような流れになった。
「今日は楽しかったよ。じゃあ、俺はこれで」
初めからここで帰るつもりでいたから、予定通りそう告げると「わかった。今日はありがとな」と言う隼人を横目に、女性たちの「えー、帰っちゃうんですか」という声が聞こえた。
「ごめん。明日朝から用があるから。また機会があれば是非」
笑顔で返すと、少し不満そうな顔をされたものの引き止められはしなかった。
「じゃあ」と手を振って彼らと反対方向に進もうとすると、「あの!」と言う声が掛かる。
「あの……私も帰ります。駅まで一緒に行ってもいいですか?」
「うん」
視線を感じた気がして振り返ると、隼人が困ったような顔をしていた。最後まで俺を心配するあたり、やっぱりあいつは俺を好きなんだと思う。
何か言う代わりに、隼人に向かって微笑み返し、菊池さんと並んで駅に向かって歩き始めた。
「今日は楽しかったです。すごく緊張してたんですけど、来てよかったです」
「俺も楽しかったよ。俺もこういう飲み会は久々だったからちょっと緊張したかな」
小柄な彼女は時折こちらを見上げながら話す。俺が何か返す度に嬉しそうに笑っていた。
そんな感じで五分ほど歩いて駅に着いた。すると、改札を通り過ぎたところで「あの!」と彼女がまた大きな声を出した。
「どうしたの?」
「あの……連絡先教えてもらってもいいですか? 自分からこんなこと言うの恥ずかしいんですけど、今日だけで終わりたくなくて」
彼女の頰が赤いのは酒のせいではないと思う。小柄の可愛い女の子が必死に気持ちを伝える様にグッとくる男は結構いるはず。「いいよ」と言うと、喜びを隠しきれない笑顔が返ってきた。
だけど、彼女と話したあたりからここまでの流れを想定してなかった訳じゃない。俺が帰るタイミングで彼女も帰るかもなとは思ったし、二人で帰れば何かしらのアピールがあるかなとも思った。
こうまで想像通りだと……。
なんかつまらないな。
暫く談笑した後菊池さんと別れ、駅のホームへ小走りで急いだ。もう出発してしまいそうな快速に乗りたい為じゃない。
さっき改札を通るのが見えたから。目的の人物の背中を追いかけて各停に乗り込んだ。
「遅くまでお疲れ様」
「……いえ、支倉くんこそお疲れ様」
座席に座って俺を見上げる桜野さんはあからさまに不機嫌そうな顔をしていた。昨日誘いを断って、その理由が合コンだしな……。
イラっとさせたかった訳ではないんだけど、まぁそうなるか。その上結局今日もこんな時間まで残業してたんだもんな。
電車が走り出しても暫く無言だったから、敢えて声を掛けたのに気まずい空気が流れる。
どう話題を切り出そうかな……。そう思いながら彼女の方に視線を投げると、その視線がかち合った。
「さっきの女の子とはもういいの?」
その質問はどれ位の意図があって聞いているんだろう?
いつもみたいに揶揄うように「気になる?」なんて聞き返すのは、今はなんだか違う気がした。
『もっとわかりやすく誠実にしてないと桜野さんにフラれるぞ』
俺は彼女に嫌われたくないのかな……?
今は素直な本音を話してみてもいいような気になったから。
「桜野さん、俺と付き合わない?」
恋人が欲しいって思っていた訳ではないし、彼女のことが好きだなんて熱い気持ちが込み上げた訳でもない。女友達だって多少はいるし、彼女のことを他より秀でた特別な存在だと感じている訳でもない。
だけど、なんでかな? そうなってもいいんじゃないかなっていう気がしたから。
ただの同期から早急に関係を改める必要はあったかなとは思うけど、人生はタイミングだから。今ならイケるかな? なんて思ってしまったんだ。
そしてこの後、彼女は動揺のあまり電車を乗り過ごして……更にそれに動揺したのか間もなく着いた次の駅で無言で走り去る。
告白して逃げられるなんて経験は初めてで。逃げられたのに可笑しくて、思わず一人で笑ってしまった。
ほら、やっぱり彼女は面白いんだ。