おかま
わたしを担いだ赤毛の女は、リルちゃんが歩いて行った道とは真逆の方向に進んでいた。
わたしは赤毛の腕の中を抜け出そうとしたけど、体がぜんぜん動かない。
この街の入り口で出会った男と一緒だ。
魔法の力ではなく、身体能力のみでわたしに歯向かってくる。
「離して」
当然、離してくれるわけもない。
わたしの言葉が届くのならば、とっくに自由の身になっている。
言ってみただけ。
仕方がないから、赤毛の女を殺すことにする。
風魔法『切断』で、音もなく死ぬがいい。
「ここは街のど真ん中なんだからよぉ。そーいうのは我慢しようなっ、と」
「あうっ!」
わたしが魔力を具現化しようとしたその時、赤毛の女に尻を叩かれた。
集中が乱れて、風の刃を作り出すのに失敗する。
「長いこと冒険者をやってっとなぁ、身に危険が迫ってる時、なんか分かんだよな。まあ、今は犯罪者だがな」
そんなあやふやな感覚でわたしの魔法が止められたの?
たかが平民ふぜいが、腹立たしい。
なんでわたしに楯突くかな。
「嬢ちゃんはよ、周りがみんな敵に見えんだろ。言われなくとも、初めて会った時から顔に出てたぞ」
「は?」
いきなり世間話を始めようとする赤毛。
そんなものに付き合う筋合いはない。
「この街に来るやつなんて、大抵がそういう人間さ。理由なんて人それぞれだがな」
まわりと一緒にしないで。
わたしにはリルちゃんがいればいいんだから。
「気楽にいこうぜ。アタシたちは、ここに堕ちたクズどもに、まず人生の楽しみかたってのを教えてやってるのさ」
無視。
余計なお世話、お節介、でしゃばり、偽善者。
犯罪者がどう取り繕ったところで、それ以上にはならない。
わたしは無言をつらぬき、情けない格好で抱えられたまま、景色が過ぎていくのを見ていた。
赤毛もわたしの反応がないから、世間話をやめて目的地に向かっていた。
「さて、ついた」
酒場。
中から下品な笑い声が聞こえる建物の前で、わたしは乱暴に地面に降ろされた。
固い岩盤に勢いよく足がついて、じんじんする。
体が自由になったから、すぐにリルちゃんを追いかけようとしたが、赤毛に襟首をつままれて酒場に入れられる。
「よ、連れてきたぞ」
「あっら〜! この子が例の新入り!? ちっちゃくて細くて、お人形さん見たいネェ〜ん!」
なんだこいつ。
出迎えられたのは、圧倒的な存在感をもつ、男。
いやでもまず目に入るのが、緑色の口紅に、紫色のアイシャドー。
その厚化粧とは対照的に、あごからこめかみまで繋がった無精ひげと、剃り込みの入った坊主頭。
男の異様な容姿に、さすがのわたしでも意識を吸い込まれる。
「かわいいわ〜! んー、まゅっ♡」
男は女の言葉を話し、わたしに投げキッスをしてきた。
背筋がぞっと凍る。
「……アタシもここにきてまだ日が浅いが、まあ、慣れさ」
「つれないわネェ、オルガたん! もっと元気よく〜?」
「アタシはいつもこんなもんだろ」
男みたいな赤毛の女と、女のふりをするいかつい男に囲まれるわたし。
性別とは一体なんなのか。
当初の目的を忘れて、哲学せずにはいられない。
「ささ、中に入って座りなさァ〜い! まずはお互いのコト、知・り・ま・しょ?」
「だとさ」
男女と女男にがっちり両脇を固められて、酒場の奥の席に引きづられていく。
周りの人間どもに見られて、指をさされて笑われる。
むせ返るような酒臭さに気分を害し、皆殺しにしてやりたい。
『ヨハンちゃん! それが新入りか! いくら可愛いからって、襲うんじゃないぞぉ!』
「んもぅ。アタシが好きなのは、アナタみたいな漢よぉ〜ん?」
『オエェェェッ』
外野がヨハンと呼ばれた女男に向かってヤジを飛ばし、それを意味のわからない返しでかわす。
わたしも吐き気をもよおした。
「お人形ちゃんは、まだ未成年よネェ? 洞窟イチゴのジュース、出しとくわ〜」
酒場の一番奥の席に座らされ、男はカウンターに引っ込んでいく。
赤毛の女は足を組んでわたしの隣に座っている。
「驚いたか?」
「……」
聞かれるが、答えない。
うなずけば、わたしが平民以下みたいな気がして、非常に悔しい。
驚かなかったといえば嘘になる。
男の迫力に圧倒されたのはもちろん。
それにこの酒場の活気が、わたしには理解ができなくて、居心地が悪かった。
どうしてこんな掃き溜めの人間どもが楽しそうにしているの?
奴らは何が楽しくて生きているの?
「お・ま・た・せ♡ あちしの自信作っ」
目の前に、男の口紅と同じくらい濃い緑色の液体が置かれる。
これは……飲み物ではないでしょ。
「見た目は悪いけれど、おいちいから飲んでネ?」
男に迫られて、一口飲んでみろと言外に脅される。
人間離れしている男の顔は、近づいてくるだけでもこわい。
このわたしがここまでひるむなんて。
でも、この液体は飲めない。
「飲んでネ♡」
グラスの中を見れば見るほど、黒いつぶとか、黄色い毛とか、液体じゃないものが見えて食欲がなくなっていく。
これは洞窟イチゴのジュースと言っていたか。
芋虫の絞り汁と言われた方が、まだ説得力があるでしょ。
「あちしの自信作が飲めねぇってのか」
わたしがグラスの前で動かないままでいると、毛が生え茂った腕がぬるりと差し込まれて、グラスが取り上げられた。
「飲め♡」
グラスと男の顔が、迫る。
紫色のアイシャドウの下に、ギラギラと獲物を見据える瞳。
わたしはあっけなく、口を開いてしまった。
「いい子ちゃんネ!」
緑色の液体が、自分の口に流し込まれていくのを目で追う。
わたしは、こんなにも無力だったのか……。
「味はどう!?」
「……」
果実特有の酸味。
鼻に抜ける甘い香り。
どろりと濃いようで、するりと胃に落ちていく爽やかな喉越し。
ふつうの飲み物にはない、つぶつぶとした食感がアクセントになっている。
もう一口飲んだ。
「……おいしい」
「ほんとォ!? 嬉しいわァ〜! コレ、あちしが研究に研究を重ねて作り出したのに、だーれも飲んでくれないのヨォ!」
男からグラスを受け取って、一気飲みした。
「……くっ」
くやしい!
でも体はそれを求めちゃう!
液体を飲み干してしまったわたしと、男の目が合う。
「んん〜? 欲しがりさんネェ〜! 分かったわ、もう一杯作ってきてアゲル!」
男はわたしの意思を察してカウンターに戻っていった。
……くっ!
このわたしがただの飲み物なんかに屈するなんて……!
リルちゃんごめんね!!