忍耐と努力
私はユリアに腕をとられ、森を抜ける手前まで来ていた。
ユリアはこれまでの時間を取り戻すように、ゆっくりと私の感触を確かめながら、街へ歩んでいる。
それだけだと良い話だけど現実はそうじゃない。
私はユリアのことを懐かしいとは思っていても、くっついたりキスをするほど大きな感情を持っていない。
対してユリアは私を愛おしそうにすべての意識を向けてくる。
それに、戦闘訓練と称して私から奪った右腕をずっとかじっている。
なんともちぐはぐな状態。
「ん」
「いらない」
私の一部だったものを口元に近づけられる。
それもユリアにとって、愛の形なのだ。
だからと言って私はそれを受け入れる価値観をもっていない。
どう心がねじ曲がれば、差し出された自分の肉を食べるようになるのか。
「食べないと体力が付きませんよ」
その体力を奪ったのはユリアでしょうに。
目の前に映る肉を押しのけようと、手を動かそうとしたが、右手がなかった。
肘の手前まで修復が済んでいるせいで、不完全にのびた二の腕が目に入って気が滅入る。
痛みはないし治ると分かっていても、自分の一部がない恐怖感というのはいつまで経っても拭えない。
今のユリアには、私の複雑な感情が理解できないのだろう。
ムリヤリ、私の前腕の肉を噛みちぎり、口移しで押し込んできた。
口いっぱいに広がる血の香り。
鳥とも豚とも違う独特の舌触り。
元は私の一部だったものなのに、口内の肉に対して体全体が拒否反応を示す。
咳と吐き気が一気に襲いかかり、それなのにユリアが口を押えてきて、吐き出すことを許してくれない。
息ができないから、飲み込むしかなかった。
「げほっ、げほっ」
「むせちゃったんですね。はいこれ飲んで」
水筒を受け取って一気飲み。
だけどコレも変な味がする。
まるで汗をなめているような塩味。
数滴手に垂らしてみると、黄色い液体が出てきた。
コレ、おしっ……。
「リルフィの血を濾して作った飲み物です。美しい色ですね」
………………。
もうヤダ…………。
「はあ、もうすぐ森を抜けてしまいますね。リルフィとの旅が終わってしまうようで名残惜しいです」
涙と唾を飲み込んで、息も止めて、込み上がる不快感をやり込めた。
早く終われ。
もう自分が壊れていくのを見たくない。
「——ん?」
ユリアが立ち止まり、くっついている私も足を止める。
森でユリアにつかまってから始めて、ユリアの気が私から逸れた。
ただならぬ異変を感じ、気持ち悪さと戦いながらも薄目を開けて遠く見る。
「あれは、街のある場所……」
確かにその場所に、崩壊したとも違うような、遠くからでもわかる明らかな変化があった。
リターナ領主は目を細めて、その顔に敵意を浮かべる。
「リルフィのために用意した安息の地が……!」
街のあった方向には、巨大な、黒い球体ができていた。
リターナ領の敷地をすべて飲み込んでいて、街の象徴であった立派な冒険者ギルド本部の影は跡形もない。
「リルフィはここで休んでいてください。今のリルフィなら自分で身を守れると思います。私がなんとかするまで、どうか耐えて」
頬に口付けをされ、手が離れる。
ユリアが街の方に向き直ると、漏れ出す魔力の量がいっそう高まり、心臓を掴まれたような圧迫感に襲われた。
魔剣を出して申し訳程度に魔力を払う。
しばらく見ていると、魔力が凝縮して発光し始め、それがユリアの背に集まった。
最終的に、魔力の光が翼の形を成す。
「それでは、しばらく——」
翼がはためき、ユリアの体が飛翔する。
光の翼の神々しさを携えて、ユリアは街の方へ羽ばたいて行った。
みるみるその姿が小さくなり、見えなくなった。
しばらくその方向を見て、ユリアが帰ってこないことを何度も確認する。
振り向いた瞬間に帰ってくるんじゃないかという恐怖で、身動きがとれなかった。
「帰ってこないよね」
何もない空間に問いかける。
返事がないことが、一番の答え。
それでも街の方角から目を離せないでいると、背後にぶつかるものが。
「リルちゃん」
アリアの声。
ずっと聞きたかった声に、感触に、拭えなかった緊張感が溶けていくのがわかる。
ようやく体が言うことを聞くようになり、振り返ると。
「——リルちゃんは、まだまだ大丈夫でしょ?」
アリアに、ねぎらいの声がかけられるのかと思った。
しかし、かかったのはまったく別の言葉。
ユリアへの恐怖心が一瞬で吹き飛び、振り返る。
「どういうこと……?」
「頑張ったね、とか、痛くない? とか言ってほしかった?」
その通りだ。
アリアに危害が加えられないように、必死にユリアの注意を引いて、傷だらけになった。
数日ぶりに話せたのだから、あたたかく迎えて欲しかった。
むしろ、そうされるのが当然なのだ。
「そう思えるうちはね、リルちゃん。まだまだ平気なんだよ。わたしはリルちゃんにもっともっと頑張ってもらいたいの。わたしはリルちゃんとしあわせになる未来を夢見て、いっぱい頑張ってるの。だからリルちゃんも本気で、言葉なんていらなくなるほど努力しないと、わたしたちのエルフィード王国は完成しないよ?」
「ア、アリアが、頑張ってるって……?」
アリアの言葉に、ここ最近の行動がフラッシュバックする。
私がアリアの言うことを聞いていれば、幸せが手に入ると思ったのに、シエルメトリィ領を出てから私に何も言ってくれなくなった。
しだいに物理的にも距離を置かれて、アリアと話せる時間はどんどん少なくなっていったのだ。
アリアに尽くすと決めたのに。
アリアが私を求めない。
だからエルフの里ではアリアの気を引くために精霊との触れ合いを見せつけた。
それでもアリアは、私の側に来てくれることはなかった。
ユリアと再会してから、私がキスをされてもキズを負わされても、アリアは抱き返してくれない。
アリアは私に、何もしてくれなくなった。
それを、頑張っていると言われ、お腹の中に熱いものが渦巻く。
何もしないのに頑張っていると主張するアリア。
虐げられる私に頑張れと命令するアリア。
その理不尽に対する、怒り。
「————っ!」
私はアリアに手をあげてしまった。
言い返そうにも、急激に沸騰したアタマからは言葉が生まれない。
能力強化がかかった私の手は、アリアを体ごと吹っ飛ばした。
二、三回跳ねて茂みへと突っ込むアリアを介抱することは、できない。
そんな簡単にやられてしまうような弱さで、一体何を頑張ったと言うのだ。
今となってはアリアがこの中で一番弱い。
守られるだけの立場で、上からモノを言うのが許せない……!
拳に力を入れて、掌に爪が食い込むほど握る。
震える手が止まるまで、アタマの熱が冷めるまで、アリアのことを考えるのはムリ。
「アリアは、そこで待ってて……!」
じっとしているのもできず、かと言ってアリアと目を合わせることもできず。
私はアリアを見ずに、街へ向かって歩き始めた。
そんな身勝手な私を追いかけてくれたのは、精霊たち。
「リルフィちゃん……大丈夫かな……?」
リリーに右手を取られる。
ユリアにやられた右腕が元どおりになっていることに気づいた。
その手でアリアを叩いたのだ。
「……リルフィ、辛いでしょ。ほら、おいで」
エリスが小走りで私の行く先に立ち、腕を広げている。
わざわざ避けることすら億劫で、半ばヤケになってエリスに抱きついた。
「……うんうん。リルフィがすごく頑張っていたのは、ちゃんと見ていたよ。痛かったね。辛かったね。今はゆっくり、休んでいいんだよ」
アリアにかけて欲しかった言葉を全部くれた。
エリスに包まれていると、自然と心が落ち着いてくる。
いつも邪険に扱っているのに、精霊たちはずっと私のことを気遣ってくれるのだ。
それがさっきのアリアの態度と正反対で、いっそう鬱憤が溜まってきた。
再び心が怒りに染まり、エリスの包容力を突破した。
「街に行く。王の遺産を手に入れる」
新たな精霊を味方につけて、もっと褒めてもらいたい。
頑張らなくても幸せになれるようなチカラを手に入れたい。
ユリアに負けたのは、日頃の訓練を怠り、技術を高めなかったからではない。
装備を充実させれば誰が相手でもラクに勝てるのだ。
そういう血を持って生まれたのだから、努力は必要ないんだ。
「……リルフィ、無理しないでよ」
「街はシアンの暴走により飲み込まれた。行けば高確率で危機を迎えるだろう」
「いいよ。どうせ私死なないし」
暴走状態であんなに強大なチカラを発しているんだから、手に入れればもっと強くなる。
それで簡単にユリアを倒して、最後の装備を探しに行って、もっと強くなって。
アリアに分らせてやるんだ。




