08 こころの中の悪魔
きっと、これが初恋だったのだ。気が付かないフリをしていただけで。
「レヴァン! お昼、いっしょに食べない?」
「ん、いいよ。どうしたの?」
「え?」
「ミラノが昼飯誘って来るときって、大体なんかのお願いだろ」
「えへへ、ばれた? あのね、私のクラス、午後いちばんで実技なんだけど……」
高等部に入って、レヴァンとはクラスが別れてしまった。しかし今でもたまにお昼を一緒に食べるような、そんな仲の幼馴染に向ける感情の中で、ミラノは最近新しく気が付いてしまったものがあった。
(駄目だ、格好いい。………きらきらしてる、眩しい)
それは、恋だ。
同級生が、先輩が、後輩が、レヴァンに恋をする様子はいちばん近くで見ていたつもりだった。彼は無自覚だけれど相当に人気がある方だ。優しいし、気遣いもそれなりにあって、人助けをついついしてしまう。顔だってよく見れば悪くない。……いや、よく見なくたっていいほうなのだ。ただし彼は、恋と言うものに恐ろしいほど関心がなく、それ故に誰とも付き合わない。つまりそれは、そのひとたちの恋の終わりを示していた。
ミラノはレヴァンの幼馴染として、いつだって隣にいた。べつに互いに恋をしているわけでもなく、たまに話したりお昼を一緒に食べたりするくらいの仲だ。ミラノは自分をわかっているつもりで、こう思っていた。彼に恋をすることなんて、絶対にないと。
「そうだ、ごめんミラノ、ちょっとブラッジ先輩に言っといてほしいことがあるんだけど」
「いいよ。なに?」
「俺と先輩……アカシア先輩な。今日部活休むんだ。ブラッジ先輩には昨日言いそびれちゃってさ。先生には言ってあるんだけど、先輩には言い忘れたから」
「いいけど……アカシア先輩がもう言ってるんじゃないの?」
「………それはないな。あの人がそこまで気が利くとは思えないし、多分先生に言った段階で忘れてると思うよ」
それもそうかもね、と答えたミラノは、胸がずきりと痛むのを感じた。レヴァンがアカシアと付き合い始めて、しばらく経つ。中等部卒業式真近のあたりから彼はアカシアに恋をして、またアカシアも彼に恋をしていた。その様子を見て初めてミラノは、レヴァンがずっと自分の隣にはいないのだと自覚した。彼にしか向けていなかった特別な感情の名前も自覚した。そしてその直後、それを胸の奥へとしまい込むことを決意したのだった。ミラノの好きな物語で語られる愛は、相手の幸せを願うものだから、だから。
「そういえば、どうしてふたり揃って今日お休みするの?」
「先輩の誕生日なんだよ。先輩とちょっと町に行ってくる」
「町ってことは……時の道?」
「そう。あそこは店もそろってるし……ちょっとした先輩への贈り物とか、買えるしさ」
「そっか。ブラッジ先輩には伝えとくから、楽しんできてね」
◇ ◇ ◇
そういえば、とミラノは掃除を終えて、昼休みにレヴァンから託された伝言を思い出した。魔法対戦部に行ったら、ブラッジにふたりが休みの旨を伝えなければと、それなら早くいった方がいいかと考えて、ミラノは掃除を終えると着替える前に練習場へと向かうことにした。
練習場にはもうブラッジ他、部員がちらほらと見える。制服姿で入ってきたミラノを見てか、声をかける前にブラッジの方から近付いてきた。
「誰かと思えば、コレットじゃねーか。どうかしたか?」
「あの、伝言を預かってきたので先にと思いまして。今日なんですけど、レヴァンと____」
「やっほー! ミラノちゃん、ブラッジせんぱーい!」
ばん、と扉を開いて入ってきたのはアカシアだった。今にもそこにいる彼女が休みだと伝えようとしていたミラノは一瞬硬直し、え、と驚きを隠せないままここにいないはずのアカシアへと駆け寄った。
「あ、あれ?! アカシア先輩、どうしてここにいるんですか?」
「え、どうしてって……ふつうに、部活をやりに……? ていうか、顔怖いよ、ミラノちゃん!」
「いや、だって、今日は……」
そこまで言って、ミラノの頭上にハテナマークが散る。ああ見えて、レヴァンは抜けているところがある。ミラノは誕生日を一日か二日遅れや前倒しで祝われる場合が多々あって、彼自身も自分の誕生日をまともに覚えていない。というよりかは、今日が何日かよく把握していないのだ。しっかりものとはいえ、そこが抜けて手は意味がないなと前から思っていたミラノは、頭が混乱してきた。まさかレヴァンが間違えている……?!
それならばレヴァンの方に早く知らせなければならない。これでは部活を無断欠席になってしまう。ミラノが伝言してごまかすとしたって適当な理由をつけなければならないし、ミラノは大して嘘がうまくないから失敗してしまえば無断欠席よりももっとひどいことになるだろう。いやまず、アカシアが今日誕生日なのか否か聞けば済む話ではなかろうか? アカシアが間違えている可能性だってあるのだから。
ミラノは混乱するままアカシアに問いかけた。
「今日、先輩の誕生日じゃないんですか……?!」
「あれ、よく知ってるね!? 話したっけ?」
「!?」
は、と分かりやすく顔をしかめたミラノに、アカシアが首をかしげる。しかしミラノの心のなかはそんなことにかまってはいられなかった。アカシアはもう部活服に着替えているし、今日が自分の誕生日だということも自覚している。ならばどうして、彼との、レヴァンとの約束に行かないのだろうか。忘れているだけと言うことも考えられるから、それならば早く伝えていってもらわなければ。
そこまで考えたミラノは、自分があるひとつの恐ろしい考えに駆られていることに気が付いた。
(ここでわたしが、先輩に約束を思い出させなければ、今日のデートはなかったことになるんじゃないの? ………だなんて)
そんな醜い嫉妬、レヴァンにだけはしたくない。ミラノは一瞬でもそんなことを考えた自分を恥じて、今なお目の前で疑問を抱いた顔をしているアカシアに伝えようと口を開く。同時、激しく練習場の扉が開いた。
「だって今日、先輩、___っ!?」
「あーっ、見つけましたよ、先輩!」
「あれ、レヴァン?! どしたの?」
「あれ、じゃないですよ! 今日、時の道行きましょうって言ったじゃないですか、ていうか、日取りも場所も決めたの俺じゃなくて先輩じゃないですか、なにを呑気に部活とやろうとしてるんですか!」
「えっ、何の話?」
「今日の! あんたの! 誕生日の! 話ですよ!」
「…………あっ!! 忘れてた!!」
やっばごめん、と叫んだアカシアの横で、ミラノは開きかけた口を閉じ損ねた。はぁ、とため息をついたレヴァンは、「はやく支度してきてくださいよ」とアカシアを練習場から押し出している。
「ごめんミラノ、先輩約束ごと忘れてたらしい」
「っ……ううん、大丈夫だよ!」
「そっか、よかった」
そこまでの会話を聞いたブラッジが、なんだサボりか? とからかった。それにたいして「先生には言ってあります」と苦笑いで返したレヴァン。ミラノはその間ずっと笑顔をひきつらせていた。
「しゃあねえなぁ、部活内でもお熱い二人のデートといや引き留める気も起きねえしな」
「ありがとうございます」
そういったレヴァンは、ミラノの方を向いて笑って手を振ると、練習場から出ていった。ミラノは何とか手を振り返し、練習場の扉が閉まっていくのを眺めている。
「コレット。それじゃあお前も着替えてこい、部活やるぞー」
「はい、わかりました」
そういってブラッジから言われたミラノは、はじかれたように練習場から飛び出して更衣室へと向かった。途中、制服に着替え終わり走っていくアカシアとすれ違い、直後にそこにへたり込む。
(デート、なしになるかなだなんて……そんなひどいこと思いたくないのに)
だから、彼には恋をしたくなかったのだ。彼に奪われた初恋は、叶うことのないものだというのに。時折顔を出す嫉妬と名のついた悪魔は、ふたりの不幸せを願い始めるから……。
(だから決意したのにな。きっとずっと、レヴァンは友達だって)