04 心臓がもちません
その日の放課後、いつものように中庭に行くと、先輩がもう自主練習を始めていた。壁を蹴り上げ、くるりと一回転して地上に降り立つ。その動作を軽く行っているが、呪文の補助なしでそれを行うのは結構難しいことだ。見たところ、アカシアにはなんの呪文もかかっていないように見える。
「先輩、こんにちは」
「あ、レヴァン! やっほー」
「何してるんですか? 危ないですよ」
レヴァンは、羽が生えたように軽い動作だったそれを少し咎めた。あのドジなアカシアのことだ、いつ失敗するかわからないという不安のもとだ。
「大丈夫大丈夫!」
「………先輩の大丈夫はちょっと信用できないですね」
「え、なんで?!」
「先輩がいつもそういって魔法を失敗するからです。自業自得ですよ」
「ええー………それとこれとは別問題だもん。大丈夫に決まってる」
「人生において絶対大丈夫と決まっていることなんてないんですよ」
「………いや、ごもっともだけど。正しいけどさ。なんていうかこう………そう、言葉のあやってやつだから、絶対大丈夫だから!」
どうしてそんなことが言いきれるんですか、とため息をつく。先輩ドジなんだから、と付け足すと、カチンと来たらしい先輩がぱっと指先に魔力を集めた。
「先輩に生意気な口を利くんじゃありません! 先輩を敬え、“岩石”!」
「うわっ、ちょ、先輩、危ないですって、落ちますって!」
「あんたなら大丈夫でしょーよ、こーの生意気レヴァン!!」
「生意気で結構です! 結構ですけど、いきなり足元から岩石出現させないでください! どう考えたって落ちますよこんなの!」
いきなり足元から現れた岩石に足をすくわれ、そのまま岩に持ち上げられる形で地面が遠くなっていく。落ちそうになったものの、慌てて岩石にしがみつく形でバランスをとった。中庭でこんな巨大な魔法使っていいのかと言う暇もなく、ぐんぐんと地面から突き出してくる岩は、6階建ての高等部校舎の高さを超えた。途中で思わず目を瞑ったが、恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは広く美しい景色だった。
「………凄い」
「でしょ?」
「!?」
校舎を飛び越え、はるか向こうまで見渡せるその岩の上は、風も吹いていて気持ちがよかった。いつも見ている街の景色も、こうやって見てみると違って見えるものだ。おもわず感嘆の言葉を零すと、隣から返事が返ってくる。吃驚してぱっと隣を見ると、そこには同じように自分で作り出した岩に乗って周りを見渡しているアカシア。無邪気に歯を見せて笑い、岩にしがみついているレヴァンと違って優雅に岩の上に座っている。慣れているのだろうか。
「あたし、よくこうやって遊んでるの。呪文はできないけど、魔法陣はできるからさ」
「そうなんですね。………ところで先輩」
「ん?」
「………これ、どっちの校舎からも見えますし。まずくないですか?」
怒られると思いますよ、とジト目で問うが、アカシアは岩についていた手を腰に当てて威張る。あ、そんなことしたら落ちるんじゃーーー………。
「大丈夫、だってほら、岩の魔法陣の下に幻惑の魔法陣があるの。みんなからあたしたちは見えてな――」
アカシアがそこまで喋った時、するりとアカシアの体が岩の上から落ちるのをレヴァンは見た。さっと体中の血の気が引くのが分かり、とっさに手を伸ばす。
「せんぱ」
「おっとと」
そういった先輩が、さっきまで座っていたところの岩を蹴り上げる。もう届かないが、慌ててのばしてしまった手が空を切る。まるで大したことではないかのような間の抜けた先輩の台詞のあと、先輩は晴れやかな笑顔でレヴァンに伝えた。
「レヴァンはそこにいてー!」
「はああ!?? 馬鹿なんですか!?!!」
「あたしならヘーキだからさ、ほら、君は落ちれないじゃん?」
平然と落ちながら言葉を返してくる先輩に、こっちが言葉を失った。ひゅんと勢いをつけて遠くなっていく先輩の姿から、目をそらそうと思ってもそらせない。これじゃあ、いくら一度岩を蹴り上げて弱めたとはいえ、勢いだけじゃ、地面にぶつかって、死……!
すると次の瞬間、レヴァンのところにも揺れが伝わってきた。地面ギリギリでかぜおこしの魔方陣をつくりあげたアカシアがその風で地面への激突を防いだのだ。自由落下運動をして作られた加速はリセットされた。そして何事もなかったかのように地面に降り立つと、緊張感のない「つかまっててよー」という呑気な声が聞こえてくる。
魔法陣からゆったりと魔力が放出されていき、ゆっくりと岩が地面に近づいてきた。高等部の校舎の窓から中が少し見えたが、誰とも目は合わない。そのうち、岩がレヴァンの実力なら申し分なく跳べる二階程の高さに達したので、ふわりと岩から飛び降り、地面にとさりと降り立った。そしてなんと無謀なことをしでかした先輩を精一杯の力を込めて睨むと、「おかえりー、景色綺麗だったでしょ!」という本当に緊張感のない台詞がレヴァンの耳に入ってきた。
「何してるんですか死ぬ気ですか!?」
「え、べつにないけど?」
「なんであんな高さまで行った挙句の果てに気を抜くんです!! 落ちて下手したら死にますからね!」
魔力を失い小さくなっていく魔法陣を指さしながらそう言うと、大丈夫だよー、とへらりと笑うアカシア。挙句の果てに「レヴァンは神経質が過ぎる」なんて言い出した。今度カチンと来たのはレヴァンの方だったが、流石に先輩になんらかの魔法をかけることはためらわれる。結局ため息ひとつで諦めたレヴァンは、校舎六階を超す高さからあっけらかんと降りたその先輩に練習の停止を申し出た。
「今日の練習、辞めたほうがいいんじゃないですか?」
「え、どうして?」
「あんな高さから落ちて、挙げ句の果てに空中で上位魔法なんて……体痛めますよ!」
「それならヘーキ! あたし、こう見えても鍛えてるんだよ」
そういうことじゃないんですよ、と小さくつぶやいたレヴァンの台詞を、アカシアは耳ざとく拾ったようだった。君が練習したくないならいいよ、と控えめに言って来た。まだ時間はたっぷりあるから、レヴァンの方に支障はないのだが……。
「何回もあんなことされたら、俺の心臓が持ちません」
「レヴァンって案外心配性なんだ」
「あんな高さから落ちる人を見たら、心配性じゃなくたって心配になりますよ! 自覚を持ってください」
「はいはい、もうレヴァンの前ではやらないよ」
「………誰の前でもやらない方がいいと思いますけどね」
「わかったわかった、わかったから! なんかこう怖い顔してこっちに近づいてこないであたしが怖い!」
「俺はあんたの身を、いや命を心配してるんですよ!!」
あたしのお母さんみたいなこと言わないで! と目と耳をふさいでしまったアカシアに、全く、と幾度目かしれないため息をついた。ふとアカシアを見ると、時折様子を窺うようにこちらを上目遣いで見てきていた。とたん、ぼっと頬に熱が集まった。………どうしてだ、と一瞬狼狽を顔に出してしまったが、あわてて呆れた顔をつくった。
「………ほら、練習続けますよ。進級試験は来週なんですからね」
「う、それは忘れていたかった」
とたんに、苦虫を噛み潰したような顔をしたアカシア。その様子を見て、レヴァンも少しだけ暗い表情を見せた。
あと一週間で、この楽しい日々は終わりを告げてしまう。もとはと言えば通りすがりの身だとはいえ、失敗もめちゃくちゃ、行動もめちゃくちゃな先輩であるはずのアカシアを手伝う日々は思いのほか楽しかったのだ。
(……寂しい、なんて)
「忘れてたいなら忘れててもいいですが、それで試験落ちるのはあんたですからね」
「まったく、レヴァンは口を開けばお堅いことを………」
「先輩が緩すぎるんですよ」
立ち上がったアカシアが、スカートについた汚れを手で払い落した。レヴァンのほうが背が高いせいで、アカシアがくいと見上げる形となる。そして、アカシアはぴしりとレヴァンを指さした。
「生意気だ!」
「先輩は俺に生意気って言うのが趣味なんですか?」」