01 呪文をいつも噛むんです
ここはリトリシア魔法学園。中等部と高等部から構成される、私立の魔法学校だ。今は、年度末の進級試験がせまり、部活動に精を出していた生徒たちも勉強や魔法の練習をはじめる時期だった。学園全体が試験ムードになり、ピリピリとした空気が漂っている。そんな中、水滴がはじけるような、すこし間抜けな音が中庭に響いた。
「………アカシア先輩、ふざけてますか」
「ごめんレヴァン、ふざけてないんだ」
「それならよかったです。が、自分の今の力量を把握してくださいね」
「……………もしかして、怒ってる?」
そう問われ、俯いて腕を組んでいたその男子生徒が勢いよく顔を上げた。レヴァンと呼ばれた男子生徒の数メートル後ろにある花壇には、もうたくさんだというほどに水を与えられた花々が、水滴でキラキラと輝いていた。そして、その花々と同じように、レヴァンも水を浴びてキラキラと輝いている。……勿論、本人の意思ではない。アカシアが呪文を失敗したせいで暴走した魔力が起こした事故である。
「怒ってるに決まってるじゃないですかあんた馬鹿なんですか!? 普通に考えていきなり水を浴びさせられて怒らない人のほうが珍しいですよ!!」
「ごめんってレヴァン! わざとじゃないから許して!」
「もしこれがわざとだとか言われたら怒鳴りますからね!! なんで向こうに向けた魔法が俺の方に来るんですか!」
「もう怒鳴ってるじゃん!? ていうか、あの距離ならガードできるでしょ、あたしならできるもん!!」
「あんないきなり飛んできた魔法をガードなんてできません! あんたが本当にできるならあんたみたいなバケモンと一緒にしないでください!!」
「先輩のことをバケモノなんて言わないでよ! 生意気!」
「生意気で結構です!」
息が続かなくなったのか、はあとため息をついて言い返すのをやめたアカシアに、レヴァンも深呼吸する。まだ春も来ていないというのに、頭から水をかぶってしまったら寒くてやっていられない。ズッと鼻を啜り、体を温めるついでに服を乾かそうと炎の呪文を唱えると、自分の周りに火の玉が浮かび上がった。
「あっ、レヴァンずるい! 自分ばっかり」
「自分の失敗の責任くらい自分で負ってください。そんな調子で大丈夫なんですか。来年には俺たちが高等部に入ってくるんですよ」
「あたしだって寒いもん……。レヴァン、ちょっとその火の玉あたしの分も出してよ」
「話聞いてました?」
同じように、頭から水をかぶったアカシアが、少しでも温まろうとレヴァンにじりじりと近づいてくる。アカシアが一歩近づいてくるごとにレヴァンは一歩下がるのだが、このままだと体の周りに火の玉を浮かせたまま花壇に近づくことになってしまう。花を燃やしてしまうのは流石にまずいと判断したレヴァンが、諦めたように右手をあげた。人差し指に魔力を集め、小さな声で呪文を紡ぐ。すると、アカシアの周りに小さな火の玉がいくつか浮かび上がった。
「………これでいいですか?」
「わ、あったかい! うん、ありがとうレヴァン!」
肩まである薄茶色の髪を揺らしながら、にこりとアカシアが笑う。はいはい、と適当にあしらったレヴァンを気にも留めず、アカシアは自分の周りに浮かんでいる火の玉に興味津々だ。指先で触れようとして、あまりの熱さに慌てて手を引っ込めていた。
「……身体があったまったら、また練習ですよ」
「はーい、レヴァンせんせー」
「その呼び方辞めてください」
まったく、彼女といると何回ため息をつくことになるやらわからない。それは、出会った時からそうだ。早く体を温めようと屈伸を始めた目の前の先輩を見ながら、レヴァンはそんなことを考えていた。