いまさら
肩に掛かるくらいの黒髪。少し色素の薄い瞳の彼女、確か和宮すみれと言ったか。委員会か何かで一緒だったことがある。人気の居ない廊下に彼女を見かけた。
「--逆らっては駄目だよ……!」
少し語尾を強くしたが、廊下に響いた声に辺りを見回して警戒している。そんな彼女は宙に話しかけていた。
一瞬私はおかしいなと思うが、なんとなく理解した。誰もいない場所、誰にも気づかれたくない様子。考えられるのはいくつかあるが、現実的に考えるとあれしかない。そう、魂の交換契約。
魂が溢れたり、財政が対策に追われて資金難になったり。どうにかしようとして出来たのがこの契約だとか。周りにも何人か居たが、前と変わらず生活しているのをみると上手いこと回っているのかと思う。それでも、契約後は少し合わない人もいるのだけど。
そんなことがあったからか、隣のクラスでも彼女の姿が目にはいると自然と追ってしまっていた。だからであろうか、彼女がいじめられていると感じ始めたのは。
「和宮さん、ちゃんとマネ辞めた?」
そう言ってクスクス笑う女子。彼女は一瞬肩を震わせ、コクリコクリと頷くだけだった。たまたま通りかかっただけでその時は何も感じなかったが、3年生になって引退を待たずに辞めるのはどうもおかしい。辞めろと言われたのだろうか。
「糸瀬、今の時期マネ辞めるってどういう事だと思う?」
隣を歩く腐れ縁のあいつに声をかける。
「さぁな。やっぱ受験?」
確かにあり得そうな話だが、どうも腑に落ちない。それは糸瀬も同じようで「うーん」と唸っていた。
「うちのマネも最近辞めたんだよなー。滉一郎いじるネタ減ったし、最後までやり遂げそうだったし、勿体ねぇ」
「……マネって奏恵?」
「違う違う、もう1人の和宮すみれってやつ」
偶然とは驚きだ。その名前が糸瀬の口から出てくるとは思わなかった。滉一郎と言うのは確か糸瀬の幼なじみでチームメイトの安積滉一郎のことだろう。彼は爽やか系でモテる方だ。隣を歩くこいつとは対極にあると言っていい。
安積くんをいじるネタ、辞めさせられた和宮すみれ。なるほど。これだから女って奴は恐ろしいのだ。安積くんから好意を寄せられたばっかりに大変な事になってしまったのか。
「杏花?」
「はい、なに?」
「いや、考え事してたみたいだったから。何考えてんのかと思って」
いっちょ前に私の心配か。糸瀬も偉くなったものだ。私は繋いでいた手を離して一歩前を行く。
「糸瀬には分かるまい」
不服そうな顔を見て私はプッと吹き出した。
6月、夏へと傾く季節だが、時々夜は冷える。丁度そんな日、事件は起こった。
委員会で遅くなってしまいほぼ人が居なくなった校舎。帰ろうと下駄箱にいると彼女を脅していた女子の笑い声が聞こえた。
「ほんと、一回頭冷やせっての」
「いい気味だよね」
女子の甲高い笑い声。私は和宮すみれと書かれた下駄箱の中を覗く。外靴があった。委員会も部活もやっていない彼女がこの時間まで残るか。いやな予感がして私は携帯で電話をかけた。
「糸瀬、安積くんと一緒じゃない!?」
『一緒だけど。いきなりどうした?』
「伝えて、和宮さんが!」
結局私にも分かっていなかった。
起きた事件を解決したのは安積くん。私はほんの手助けしか出来なかった。
「櫓木さん、あの時はありがとう」
「感謝されるような事じゃない。私は何も出来てなかったし」
「糸瀬に電話くれなかったら和宮さんはもっと長い間ひとりぼっちだったよ」
そう言ったあと、安積くんはぽつりと呟いた。
「……そう、ひとりぼっちだったよ」
ズキ、と痛んだ自分の胸に私は情けなくなった。