あなたが抱えていたもの(1)
「安積くん、契約したんだって」
何気ないその一言で私の世界は一変する。
世界の混乱と政府の資金難を救うため打ち出された契約。人々は「魂の交換」契約と呼ぶ。この契約は人に簡単に話しても良いし話さなくても良い。実際、友人も何人か魂が変わっているのを私は知っている。魂が変わってしまった友人とは今も一緒にいる人いれば、やはり馬が合わなくなってしまった人もいる。見た目は同じでも、纏う雰囲気はどうしても変わってしまうため、なんだか居心地が悪くなるのだ。
「それって、本当なの……?」
放課後、帰り支度をしている私の近くで女子の何人かが話をしている。その話声は嫌でも聞こえてしまった。もっと言えば「安積くん」という単語に私の耳が反応した。だから、いつもはあまり話をしないグループだったが、私はつい、話しかけてしまったのだ。話をしていた女子たちは私の顔を見た途端に、表情を暗くする。まずい事を言ってしまった、という表情に私は見えた。
「……ま、まぁ。本人もそう言っていたから。……って、和宮さん!?」
私は話を聞いてすぐに駆けだしていった。居ても立ってもいられなかった。帰りの準備も放り出して外に向かう。
高校生になって、初めて好きになった人だ。まだ告白もしていないのに、どうしてこんな事になるのかと私は苦しくなる。契約をするという事は、現世を諦めたという事。毎日元気に登校していたし、部活にも励んでいた。友だちも少ないわけではない彼は何故そんな事をする決意が出来るのか。
昇降口、靴を履き替えたばかりの安積くんが見える。私は下駄箱前に敷かれているすのこをがたがた鳴らしながら、息を吸って吐き出した。
「安積くん!」
1人歩く、後姿に声をかけると、安積くんは立ち止まる。
「……まだ、私の、知っている、安積くん?」
息が整わず、とぎれとぎれになってしまうが、私は背中に話しかける。しばらく、その空間は静かだった。静かな空間だからこそ印象的なオレンジ色の夕日で、安積くんの影が私の横に伸びる。少し離れた距離にいるのに、彼の息遣いが聞こえてきそうだ。昇降口のその空間だけ切り取られたように思える。
「何だ、和宮さんも知ってたのか」
振り返った彼は意地の悪い笑みを見せていた。
「魂の移行期間は1週間にしてもらった。昨日契約したから……来週の俺は俺だけど俺じゃない」
夕日を背に浴びた彼の表情は影に隠されていて、分からない。浮かぶのは疑問ばかり。貴方はいったい何を抱えていたのか。分からない。私には分からない。
「……安積くんは、今が辛いの?」
涙を堪えながら投げかけた質問に彼は少し動揺したかのように見えた。
辺りの音はだんだんと賑やかさを増し、ようやくここは高校で今は下校時間という実感が出てくる。彼は少しだけ私に近づいて、私にぎりぎり届くくらいの声量で言った。
「……うん。辛いよ」
それだけ言って彼は手を振りながら行ってしまった。しゃがみ込んで胸を必死にさするがその痛みは取れることがなかった。
1 週間、と聞いた時に私はこの気持ちを伝えてしまおうかと思った。でも、出来なかった。振られたらそれでよし。彼は彼でなくなる。もし、OKだったら……? 1週間限定のお付き合いだろうか。それは嫌だ。安積くんが辛い、と言った時に告白するのもどうかと思ったのもある。
ただ、一番は怖かった。振られるのもOKと言われるもの私は怖かった。私は変わらず私の事しか考えていないのだな、ともういない彼の背中を追うように視線を上げた。