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Z症  作者: 六十一
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第2話

 それからどうやって家に帰りついたのか、余り覚えていない。

 相当自分を見失ってしまっていたのか、事故現場に到着した救急隊員に引き起こされるまで、僕は彼女を見つめ続けていたようだった。

 しきりにこのまま車に乗って病院へ行くよう勧められたのは覚えているが、とてもそんな気にはなれなかった。

 何も考えられなかった。鉛を詰められたように全身が重くて、とにかく早く眠りたい。

 その時はただそれだけだった。

 それに、おそらく彼女も運ばれるのだろう同じ病院に、自分も“生きて”運ばれることに、どこか罪悪感のようなものを感じもした。

 現場は相当混乱していたようで、ふらふらと覚束ない足取りでその場を後にする僕を呼び止める者は他にいなかった。

 

 それから2日間、僕は眠り続けた。

 後から聞いた母の話では、ご飯の用意が出来たといってもベッドの中から生返事を返すだけで、一歩も部屋から出てくることはなかったという。

 何かの病気ではないかと病院に連れて行こうともしたのだが、僕は頑なにそれを拒んだそうだ。

 全然そんな記憶はない。が、そういわれてみれば、そんなことがあったようにも思う。

 とにかく僕の中からは、事故の後二日間の記憶は、すっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 そして3日目の朝、僕は目を覚ました。

「あら、起きてきたのね」

 二階の自分の部屋からダイニングに降りてきた僕を見て、母は妙に弾んだ声と、満面の笑みで僕を出迎えた。

 母のその笑顔の理由はその時はわからなかったが、その話を聞いた後では納得できる。

 相当、心配をかけたのだろう。

 僕に変わりがないことを確認すると、ここ2日間眠り続けていたことに対して、みっちりと小言を聞かされた。

 それに関しては、本当に申し訳ないことをしたと思う。

 話の途中何度かその“理由”について聞かれたが、僕は「なんでもない」で押し通した。

 その席には父もいたが、普段から寡黙な父は「体の調子は本当に心配ないんだな?」と念を押したきり、他に僕に何かを聞くようなことはなかった。

 その内、僕がどうあっても理由を話さないことが分かったのか、母もそれ以上この件について追求することを諦めたようだ。

「ご飯の前にコウちゃんに挨拶してきなさい。二日もサボったんだから、ちゃんと挨拶するのよ」

 そう言い残してキッチンに入っていった。

 僕は無言で頷くと、仏間へと向かった。

 仏壇の正面に据えられた座布団に正座すると、手を合わせ、線香を立てる。

 開かれた仏壇の中央で、止まってしまった年齢と同じく小さな遺影が、僕をいつもと同じ笑顔で出迎えた。

 小脇に置かれた位牌の、小難しい、僕には読むこともできない戒名は、かつて「コウちゃん」と呼ばれた少年の、現在の名前だ。

 コウちゃん――僕の双子の弟は、今から11年前に野犬に襲われて、死んだ。

 活発で、外で遊ぶことが大好きだったコウちゃんは、その日も幼稚園から戻ると、玄関先に、通園用の当時子供に人気だったキャラクターのプリントされた小さなバックを投げ置いて、近くの児童公園へ向かったきり、戻ってこなかった。

 その日のことを、僕は、はっきりと覚えている。

 小さな頃病気がちだった僕は、その日も幼稚園で軽い発熱を起こしてしまい、保健室で寝ていたため、帰るのが遅れたのだ。

 迎えに来た母に連れられて帰り着いた玄関に、ポツンとおかれたバックを見て、僕は憤慨したものだった。

 またコウちゃんは、僕をおいて遊びに行ってしまった、と。

 本気で怒っていたわけではない。きっとおいていかれた事が寂しくて拗ねていたのだと思う。

 苦々しげにそのバックを一瞥して、僕はコウちゃんと共用していた子供部屋に駆け込んだ。

 ふてくされて頬を膨らませながら、お気に入りの絵本を読み返していると母がやってきて言った。

「そんなに拗ねないで、帰ってきたのがこんな時間なんだからしょうがないでしょう?もう暗くなるし、コウちゃんを迎えにいったら、すぐご飯にするからね」

 いつでもべったりとしているほど、仲の良い兄弟だったのかと聞かれれば、自信はない。

 コウちゃんはいつも外で遊んでいたけれど、病弱だった僕は、家にいることの方が多かった。

 けれど、決して悪かったわけでもない。

 僕の調子が良いときは、手を引っ張るようにして公園に連れ出して、引っ込み事案の僕に新しい友達を紹介してくれたり、悪いときにも、自分が外で遊びたいのを曲げて、僕と一緒に一冊の絵本を、読んでくれたりもした。

 幼稚園の先生にはいつも「コウちゃんの方がお兄さんみたいね」と言われていた。

 そんなコウちゃんを、僕は好きだった。

 憧れていたと言ったほうがいいかもしれない。

 両親は僕たち二人に分け隔てなくやさしく接してくれたから、どちらかがどちらかを羨んだりすることがなかった。

 だからこそだと思う。

 僕は、元気で運動の良くできる、わがまま放題の年齢の男の子にしては、世話好きと言えただろうコウちゃんを、劣等感を持つことなく、素直に自分に無い才能を持つ者として、好きでいることができた。

 先を走るコウちゃんに、ついていく僕。

 そうやって、二人で成長していくはずだった。

 ――遺体の損傷が激しいから、と、最後のお別れは、させて貰えなかった。

 そんな理屈が子供だった僕に分かるはずもない。

 僕は大泣きして、両親や周りにいた人達を困らせた。

 その時に僕は教えられた。

 そういった理不尽な別れ方が、この世界にはあるのだと。

 先日の事故の様子をふと思い出す。

 2日も寝続けていたせいで頭がまだ働いていないのか、あれが夢の中の出来事だったようにも思える。

 はっきりとその光景が脳裏に浮かぶにつれ、キリキリと頭が痛み出し、僕はそれ以上そのことを思い出そうとするのを止めた。

 同じ時間に生まれ、同じ幼稚園に通っていた、僕と同じ姿をした少年。

 彼は死に、僕は、こうして生きている。

 同じ時間に、同じ交差点に立ち、もしかしたら同じ場所へ向かっていたのかも知れない少女。

 彼女は死に、僕は、まだこうして生きている。

 僕は知っていたはずだ。

 ――突然に人はいなくなるのだ、と。

 ある日突然に、お別れの言葉もなく。

 そこに予感はない。条件もない。

 向かい会って話している人物が、次の瞬間にいなくなっていることだって、あるかも知れない。

 そう知っていたはずだ。

 この胸のもやもやとしたものは、後悔なのだろう。

 もっとちゃんと出来たはずなのだ。それだけの時間は、十分にあった。

 それなのに、僕は――。

 コウちゃん――。

 遺影に向き直ると、僕は、心の中でコウちゃんに語りかけた。


 コウちゃん。

 お願いがあります。

 どうか――このお願いを聞いてください。

 そっちに女の子が一人、行きます。

 名前は「わかみや かな」

 とても可愛らしい、素敵な女の子です。

 彼女は3日前、交通事故に会って、そっちに行くことになりました。

 突然のことだったから、そっちについても、きっと右も左も分からずに、困ってしまうはずです。

 見つけたら、親切にしてあげてください。

 恥ずかしいけれど、コウちゃんには伝えておきます。

 その女の子は、僕が好きだった女の子です。

 僕は女の子を好きになったことがなかったので、どのくらいかはわかりません。

 でも、自分の中では一番だったと思っています。

 けれど僕は、それなのに――話をしたこともないので、僕の名前を出してもわからないと思います。

 だから、もし彼女と会うことができたとしても、僕の名前は出さずにいてください。

 彼女は気の強そうな子なので、小さなコウちゃんには、怖く見えるかもしれません。

 でも、いじわるな子ではないと思うので、大丈夫です。

 こっちでは僕は――彼女に親切にしてあげられませんでした。

 だから、その分もどうか――コウちゃん。

 どうか――。


 ――悔しかった。

 どうしようもなく、悔しかった。

 合わせていたはずの手のひらは、いつの間にか正座の上で握りこぶしになっていた。

 知らず知らずの内に、涙がこぼれていた。

 何をいまさらと、自分が馬鹿みたいに思えた。

 だって僕は、知っていたはずなのだ。

 ――いなくなった人間は、決して帰ってはこないのだ、ということも。

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