30 私を悲しくさせるあなたのやさしさ
問い詰められたら弱い。
愛梨ちゃんと若菜ちゃんの二人には、嘘をつきたくない。
ベーグルを貰って食べた後、お留守番を頼まれた図書準備室で昼休み、図書委員の愛梨ちゃんのお手伝いをして、本に粘着性の透明ビニールカバーを定規を当てて貼りながら、ポロッと零すと、
「は?あの、例のカレと別れたぁぁー?」「どうして!」
二人の驚いた顔に、私の方が、そんなに驚くなんてと、予想外で驚いた。
「元々、私を好きにならなくても良いという条件付きで、恋人にして貰ったのだから、こうなるのは決まっていた事だから・・・」
瑞樹さんとは、彼が好きな人を忘れられないからという理由で別れたと二人には話したけれど、社長さんの事は言えなかった。
私は彼に嫌われて、本来ならば、とうに忘れていなくてはならない人なのに、こうしてうじうじといつまでも想ってしまう自分に嫌気が差しながらも、
どうしてもまだ、忘れられない・・・
「まぁまぁまぁ。まだ若いんだし、次の恋の方がもっともっとしあわせになれるって思えば・・・」
「アイちゃん、おばちゃんぽい。ま、でも陽芽野はかわいいんだし、焦る必要ないって。ゆっくりじっくり、陽芽野をしあわせな気持ちにしてくれる人を探したらいいのよ!」
「そういうワカちゃんは、焦ってる?あ、背表紙のソコ、空気入ってる。後で針刺して空気抜いてね。もっと丁寧に!」
「ハイハイ、人使い荒いなー。そりゃ、陽芽野はかわいいけどさ、私はさ・・・あーあ、早く痩せなくちゃ。」鼻に指を押し当てて、ブタの真似をしてみせる若菜。
若菜は決して太っているという体型ではない。
ただほっぺたが丸くて頭が大きく、小柄ではない方なのでそういう風に見られがちだ。
でもそこがかわいいと思うのに、本人はそう思っていないのね。
「若菜ちゃん。」クスと笑った陽芽野に、
「そうだ!今日さぁ、帰りにケーキバイキング行こうよ。来月末まで5%offのクーポンあるんだ。陽芽野、二人でいこっ?ワカちゃんダイエットするみたいだから。」
「ちょっとぉ!誘ってよね。私も行くってば!」
「ダイエットいいの?」「え、うーん・・・いいの!今は彼氏よりケーキ!」
「色気より食い気が勝ったか。」
二人が私をとても気遣ってくれているのだなと解ると、
嬉し過ぎて涙が出て来る。
「どしたの?泣かないで陽芽野。」
「そうだよ。元気出して!チョコにイチゴにモンブラン!あとプリンとシュークリームと・・・」
「もー、ワカちゃん!食べる事ばっかり。」「あ、ごめん。」
「・・・いっぱい食べる。私、1個ずつ全種類食べるから!」
「えー、陽芽野のいっぱいって絶対嘘!すぐギブするくせに。」
「今日は頑張るから!愛梨ちゃん、若菜ちゃん、ありがとう。」
大丈夫、私には大好きな友達がいるから、
逢いたいけど、逢えないけど、寂しいけど、苦しいけど、
あなたを忘れられる日まで頑張ります。
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胃が痛くなる週末。
金曜日の夜は残業するか、飲みに行く。
しかし、土曜日に祖父の所へ行く前日の金曜は早く帰る。
空腹に何かしらの酒類を流し込んで酔っ払い、早々と眠りに落ちる。
そして土曜、祖父の所でなるべく長く過ごした後、帰宅前にどこかで食べて帰り、風呂から出ると帰りに買って来た缶ビールを数本煽ってベッドに倒れ込む。
年なんだろうな、涙脆くなったのって。
胃がとても痛くて、泣けて来る。
そして泣きじゃくる君の姿を思い出す度、
こんな最低な人間が関わってしまって、
君を深く傷つける事しか出来なくてごめん、と激しく後悔する。
願わくは、君と知り合う前に戻れたら・・・いいのに。
それから、君が、どうか泣いたりしていませんように。
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「かーんーせーい!!」
「やったー!」
焼き上がったばかりの、手作りのチョコレートケーキ三台を前にして喜ぶ二人を、パチパチパチと拍手をした陽芽野が笑顔で見ていた。
明日はバレンタインデー。
木曜の午後、学校が終わってから三人は愛梨の家で、陽芽野に教わりながらケーキを作っていた。
「良かったー!前に一回作った時、生地を掬って落とした時、リボン状になるまで泡立てる、っていうのが解らなくて、結局写真みたいにならなくて、キメは荒いし、焼くのも失敗したんだ。陽芽野に訊いて正解だった。感動!!これなら絶対、彼氏も喜んでくれるぅっ!ありがとね!」
「私も、夜、家族で食べようっと!ほんと、陽芽野のおかげ。ありがとー。」
「愛梨ちゃんも若菜ちゃんも上手。上手く焼けて良かったね。」
「・・・陽芽野は、ソレ、どうするの?」小さな声で愛梨ちゃんが私に訊くと、何故か若菜ちゃんが俯いて、
「私も、明日はR先輩に会えないし、一緒に全部食べよう!」決意したように顔を上げた。
「ええっ?!」1ホール食べてしまいそうな勢いの若菜に、陽芽野は驚いてしまった。
「ワカちゃん、家族で食べるって言ってた、よね?」
「だってぇ、陽芽野がぁ!私も先輩の受験が終わるまで会えないし、かわいそぉぉ・・・。」
「若菜ちゃん、私は大丈夫だから気にしないで?このケーキはお兄ちゃんにあげるからいいの。」
ナイフで二つに切ってしまったケーキを見下ろして、
「あーっ!そうか、お兄さん!私もお兄さんにあげれば良かったー!しまったぁぁ・・・この前ドラマ見たよ。すっごいカッコイー!ラブ!!」
急に若菜が興奮して話し出した。
出てると言っても端役のお兄ちゃん。
二時間ドラマで今回限りだし、台詞も少ししかなかったのに。
「ワカちゃん浮気者。」
「あっそう、そんな事言っちゃっていいの?例えばさ、アイちゃんだって、陽芽野のお兄さんが、『愛梨、好きだ』とか言って来ちゃったら揺れるくせに。」
「え、そりゃ、まぁ・・・でもさ、お兄さんは彼女とラブラブなんでしょ?だからそんな事は起こらない!」
「ちょっと位、妄想したっていいでしょ?」
「そんなにカッコいいかなぁ?」
お兄ちゃんは結構ぽやーっとしているし、優柔不断な面もある。
「カッコいいよぉ。あ、そっか。陽芽野は自分の顔を見慣れているからドキドキしないのよ。」
「違うよ、お兄ちゃんだからでしょ?」
ドキドキ?
そう言われれば、私は最初の頃は瑞樹さんに触れても何も感じなかった。
だけどいつからか、触れたり、触れられたりするとドキドキした。
他の男の人とは違うドキドキ。
ドキドキするけど嫌ではなかった。
今日は木曜日。
明日は金曜日、バレンタインデー。
思い切って会いに行ってしまおうか・・・彼に。
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バレンタインデー、金曜日の夜。冷たい風が吹いて、とても寒い。
陽芽野は瑞樹の部屋の前に立っていた。
昨夜、作った生チョコレートを持って。
少し洋酒を加えた、甘さを抑えたビターチョコレートで作った。
逢えたら、何て言われるかしら?
足の爪先が冷たくなっても、ただじっと待っていた陽芽野だったが、突然階段を駆け下り始めた。
やっぱりやめよう、こんな事。
間違っている。彼は私の顔なんて見たくないのに。
瑞樹さんにとっては、嬉しくない、逢いたくない、迷惑以外の何ものでもない。
彼に貰った赤い手袋だけが、今私の手を優しく包み込んでいる。
だけどそのぬくもりが、今はとても残酷な程たくさんの悲しみを与えているようにも思えてしまった。
私に勘違いさせる・・・あなたのやさしさ。




