20 変わって行く距離
恋のおまじないは効かなかった。
だけど今は効かないで欲しいと思ってしまう。
月曜日の朝、学校へ行く前に、お庭に埋めた”S”の種を掘り起こした。
「おはよー。」
「おはよう、若菜ちゃん。」
「あっ!いた、陽芽野!」
教室に入って来るなり私を見つけて駆け寄って来た愛梨ちゃんは、机の上にどすんと、肩に担いでいた鞄を下ろした。
「おはよ、う・・・愛・・・」
「ちょっと!どういう事よ。」
「えっ?どういうって?」
目が血走っている、ような、愛梨ちゃんの剣幕に、私は何か彼女を怒らせてしまうような事をしてしまったのかと考えた。
「土曜日、映画!」と愛梨ちゃんに言われて、はっとした。
「あー、そうそう、映画どーだった?っていうか相手の人は大丈夫だった?」
私が紹介された和泉さんと映画を観に行った事は、若菜ちゃんも知っている。
「え、それが・・・」
「具合が悪くなって、映画の途中で帰ったんだって?和泉さんが心配してたけど?」
「えー?そうなの?まさか触られたの?それが嫌だった?」
若菜ちゃんは私が和泉さんに触られて気分が悪くなって帰ったと思っているみたい。
「ううん。和泉さんはいい人で、触られなかったし、大丈夫だったんだけど・・・」
シアターロビーで、瑞樹さんを見てしまった私は、涙が止まらなくて、どうしようもなくなってしまって、映画館を出るしかなかった。
その足で電車に乗り、彼のアパートの前まで行ってしまった。
そして・・・「好きです」と、瑞樹さんに言ってしまった。
その上・・・
「ちょっと、ぼーっとしすぎ、陽芽野!どうしたの?」
「あ、ううん。詳しくは、後で・・・」
瑞樹さんの『恋人』にして貰ったと言ったら、二人共、驚くと思う。
「ええええええええええー?!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
やっぱり。
愛梨ちゃんも若菜ちゃんも大絶叫した。
良かった。寒いけど外で話して。
お昼を食べ終わって、体育館裏の陽だまりになっているベンチに座って、
私は瑞樹さんに告白して、そして『恋人』・・・という名前?役職?を貰ったと二人に報告した。
『僕が君を好きにならなくても良いのでしたら、恋人でも何にでもなって構いません』
「ナンジャ、そりゃー?」
「ヘン、彼ヘンだよ。それって陽芽野の事、こー言っちゃなんだけど、好きどころか、興味ないみたいじゃない?」
「そう、かな、やっぱり。」
「そうそう。他の女が好きなのに陽芽野と付き合ってもいい、なんて、遊ばれてる!絶対!」
「うーん・・・でもあの人って、そんな風に見えなかったけどね。カタブツっぽいカンジ?」
「いーや、ああいうのが意外とキケンなんだって。安全そうに見えて、実は野獣化するっていうタイプじゃない?」
「でも不思議だよね。男が苦手な陽芽野が、あの人だけは平気なんて。」
「そーだね。何でかねぇ?」
「あ、あのね、それよりも相談があるの。」
「何?」
「おまじない、なんだけど、やめるにはどうしたらいいの?」
「おまじないをやめる?」
「何で?効いたから付き合う事になったんでしょ?」
二人は首を傾げた。
「実は・・・これ、掘り出して来たの。」
「ええっ?」と愛梨ちゃんが驚いた声を上げた。
「ライバル変更?」と若菜ちゃんが落ち着いた様子で訊いた。
「それ、出来ないって。」と愛梨がつっこんだ時。
「ううん、そうじゃなくて、この前は私の方を埋めたの。」と陽芽野が言った。
「私の方って、陽芽野の・・・H?」
「ううん、S、名字で書いたから。」
「何でそんな事したのよ!」
「瑞樹さんの事、諦めようと思ってたの。」
今は、それが出来ないと解った。
私は、瑞樹さんから離れたくないと思ってしまう。
彼の事を知れば知る程、離れられなくなってしまった。
「このMって、ミズキのMじゃないの?」
「松田のMだけど・・・」
「陽芽野の持ってたのって、MとHでしょ?」
「うん。」
堀越さんはお見合い話がまとまったと聞いたから、このおまじないは効かなかった。
もしくは・・・瑞樹さんの好きな人のイニシャルがHではなかった・・・
「あのさ、これって、ミズキとヒメノを持ってて、別のSさんを遠ざけたって事にならない?」と若菜ちゃんが言った。
「別のSさんって?」と私が訊いたのが聞こえなかったのか、
「そうだよねー、だから上手く行ったんじゃん?さすがおまじないー!」と愛梨ちゃんが満面の笑みで言った。
「私のも効くかなぁ?」
「R先輩の?」
「うん。あれから女子と二人で歩いているところは見ないけど、告白はまだ、出来そうにない・・・」
「がんばんなよ!陽芽野だって勇気出してコクったんだから。」
「そうだよね!うん。」
「私の種はどうしたらいいの?」
「春になったら土に埋めればいいよ。おまじないが効いて、想いが叶ったんだからさ。」
想いが叶った?
彼の『恋人』にはなれたけれど、それは決して自分の想いが叶った事になったのではないと陽芽野は思っていた。
瑞樹さんには、大切に想い続けている人がいるみたいだから。
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月曜日の夜、陽芽野はスマートフォンの画面の中の、昨日二人で撮影した画像を眺めていた。
昨日会ったばかりなのに、もう会いたい。
瑞樹さんは、ちゃんとお夕飯食べたかしら?
彼のお家の冷蔵庫の中には何もない・・・とても心配。
唯一の家族であるおじいさんの事も心配している瑞樹さん。
きっと不安だろうと思っていた。
だけど私には何も出来ない。
ご飯を作ってあげる事も、不安な気持ちを和らげてあげる事も、
亡くなってしまったお兄さんやおばあちゃんの代わりに傍に居る事も・・・
・・・待って。土日なら、瑞樹さんの傍に居られる?
金曜日までの辛抱。
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金曜日の夜。
瑞樹が仕事を終えて帰宅したアパートの階段前で、ふと温かい感触を覚えた。
な・・・まさかこんな、突然。体が、動かせない。
間違いない、ないているから・・・。
僕に触れるな。気が狂いそうになる。
やめろ!
本当に・・・
誰か、助けてくれ!
「ナーァ、ニャァァァ・・・」ゴロゴロと喉を鳴らして、僕の脚に擦り寄る、
その正体は、『猫』!
「うっ・・・わぁぁ、や、やめろ、あっちいけ、あっち・・・」
サァーッと血の気が引いて行く。
絶体絶命だ、僕はもうだめだ。
足元から離れて行かない猫をちらっと見たらもう、涙が出て来てしまった。
「あっ!瑞樹さん?おかえりなさい。どうしたんですか?!」タタタタッと階段を下りて来たのは君だった。
「・・・猫。」と言うので精一杯だった僕に気付いた君は、「猫が駄目なんですね?」と訊きながら、
僕の足元で不穏な気配を放ち続ける生物を、急いで遠ざけた。
「さ、早くお部屋へ。」と固まってしまった僕の背中を両手で、階段を上らせる為に押し上げてくれる君。
部屋へ入ると鍵を閉めて、「絶対に猫は入って来ません。」と真面目な顔で言うので、
気が緩んだ僕は、声を出して笑ってしまった。
さすがに助けて貰っておいて、何しに来たの?とは言えなくなっていたので、
「お茶、でも・・・」と言った。
君は持っていた自分のバッグからハンカチを取り出して、
僕の目の下を拭った。
猫を怖がって馬鹿にされるかと覚悟していたら、
「私が、猫から瑞樹さんの事を絶対に守りますから、安心して下さいね!」とキリッとした顔を見せる君。
「・・・・・・」恥ずかしいせいもあって、何も言えない。
「お夕飯、作って来ました。今日と明日はお兄ちゃんの家に泊まる事にしたので、ここで一緒に食べてもいいですか?」
僕は君に、駄目と言えない代わりに、誤魔化すような笑みを浮かべて、
「ありがとう。」と言った。




