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17 僕のカノジョ

何を今更、人間は元々一人で生きて行かなくてはならない。




家族、友人、社会の中で生きて行くとしても、結局は一人。




一人ぼっちになったところで死ぬ訳でもない。




寂しさの渦に呑み込まれたとしたって、生きている。それは今までの経験から、知っている。





・・・・・・




祖父に忘れられる事位、何だっていうんだ。




大した事ではないと、本当は不安定な心を底に押し込めた瑞樹が部屋の扉を開くと、陽芽野が床に散らばったラムネ菓子を拾い集めていた。




「どうしたんですか?」と訊くと、




「この人が、孫にあげようと思っていたお菓子を、眠ってる間に持ち去ろうとしたので返してくれと頼んだらバラ撒いて・・・」瑞樹に向かってそう訴える祖父。




「おじいちゃん!」そんな訳ない・・・




瑞樹が祖父に近付くのを、ラムネを拾い集めて立ち上がった陽芽野が遮った。




ラムネを袋に戻して、




「バラ撒いてしまってごめんなさい。こうやって袋に入れて結んでおけばお孫さんに渡しやすいですよ?どうぞ。」




陽芽野は祖父に謝り、にこりと笑って差し出した。




「これは、孫に・・・」



陽芽野から奪い取るように抱えた袋をぎゅっと胸の前に腕で隠して目を閉じる祖父の姿に、




「おじい・・・」と瑞樹が呼びかけるのを、陽芽野が止めた。






-----------------------------------------------------







午後二時を過ぎた。




昼食の事をすっかり忘れていた。




君に「少し、寄りませんか?」と誘われた、ナビ上に大きな池のあると示された緑地公園に着いて、車を降りた。




「あっ!地図がある。」




と陽芽野は駆け出して並木道の入り口に立っている苔むした案内図の前でしばし眺め、




振り返ると、




「瑞樹さーん!競争しましょう!私が勝ったら、おやつ、奢って下さいねー!」と瑞樹に向かって叫んだ。




そして陽芽野は、鬱蒼と茂る森に近い林の並木道の中へ向かって走り出した。




えっ?




急にどうしたのだろうと瑞樹は思った。




病気だから仕方ないとはいえ、祖父の態度をどうやって詫びようかと考えていた僕に、その事には何も触れずに、さっきよりも明るい顔で笑いながらはしゃぐ君に戸惑った。




「競争って・・・おやつって。」




子どもだなと思いながら、また目を離すと何をするか解らない、晩秋の並木道の中を走って遠ざかる君を追いかける。




はらりはらりと時折風に舞い落ちる色付いた葉に目を遣る間もなく走り、薄暗い並木を抜けて暖かな陽射しの降り注ぐ場所で、振り返り、僕を待つ君の笑顔に一瞬奪われる。




「私の勝ちですね!」




「・・・ずるいですよ、君は先に、いえ。」




何を女子高生相手に乗せられてしまっているのだろうと、恥ずかしくなる。




少し速くなってしまった呼吸と汗ばんだ背中が、僕のいつもの調子を狂わせる。




「行きましょう。向こうに大きな池があるみたいです。」




僕の手を包もうとする君の小さな手のひらは温かく、今度は僕よりも大人に感じる。





---------------------------------------------------------







北風を和らげる木立ちに守られるように建てられた東屋で、池の傍の売店で買ったアメリカンドックを二人で食べた。




温かくもなく、パサついていて決して美味しくはない。




黙ったまま、もそもそと食べ、こんなもので良かったのか?と考えながら自販機で買ったホットの缶コーヒーで流し込む。




にこにこする君の顔を眺めていたら、「何を見ているのですか?」と訊かれた後、髪を靡かせて君が後ろを振り返る。




そして再び僕の方を向くと、「ボートですか?乗るんですか?」とわくわくした顔で口を開いた。




「ボート?」と視線を君の先に延ばすと、




『ボート乗り場』




と古びた看板と小屋があった。




思わず、




「君が、乗りたいのなら・・・」と言ってしまっていた。




「ほんとですか?わー・・・」と嬉しそう?にパクパクと食べる速度を上げる君は、




もうボートに乗るものだと思い込んでいるみたいだ。




お兄さんは忙しい人みたいだから、僕がその代わりなのかな、とふと思った。




恋人というよりも、兄として見られている気がして来た。




それならば、恋人よりもしっくり来ると思った。




恋愛、この僕が、まして高校生となんてないな、と瑞樹は思っていた。






--------------------------------------------------------






「ん、んんんんっ・・・!はぁ、はぁ、はぁっ、ん、んーっ!」




「陽芽野さん、代わりますよ。」




「大丈夫です。瑞樹さんはずっと運転してお疲れですから、私が・・・っ!」




別に車の運転を数時間したところで、それ程疲れるものでもない。




「これでは、半周も出来ない内に日が暮れてしまいますよ?」




「で、でも・・・」




「いいから、貸して。」




「はい。」




陽芽野からボートのオールを受け取った瑞樹が水を掻くと、




やっと、池をスーッと渡るボート。




陽芽野のギッコンガッコンと音だけで進まなかったオール捌きと違って、瑞樹は上手に操っていた。




「お上手、ですね・・・」




「君が下手なだけです。」




「すみません。」




しゅんと下を向いた陽芽野に、




「謝るのは、僕の方です。さっきは祖父が君にあんな態度を取ってしまって、ごめんなさい。」と手を止めて謝った瑞樹。





「どうして瑞樹さんが謝るのですか?それよりも、おじいちゃんの方がご病気でお辛いでしょう。」




「え・・・?」




「私も、うちのおじいちゃんのお友達を訪ねて時々ホームへ行くんです。だから認知症の方とお話した事が何度かあるので、少しだけ知っています。」




「そう、ですか・・・」




僕よりも落ち着いて対応していたのはそういう事だったのか。




「昔の記憶と今の新しい記憶が、それぞれ別々のお部屋になってしまって混乱してしまうだけだと思います。さっきのおじいちゃんは、孫と言っていたので、瑞樹さんの子どもの頃を思い出していたのだと思います。」




「それで、呼び方が違っていたのですね。」瑞樹がぼそりと言った。




「呼び方?」




「あ、いや・・・」




「もしかして『みーくん』と呼ばれていたのですか?」




「いえ、そうではなくて・・・」言葉を濁す瑞樹の気持ちを察した陽芽野が、




「それよりも、どうしておじいちゃんに、私の事を『カノジョ』だなんて紹介したのですか?」と訊いた。




「嫌でしたか?それは、気付かずにすみませんでした。」




確か君は泣きそうになっていた。




「逆です。瑞樹さんが嫌なのではないですか?今日もついて来てしまって、ご迷惑だったのではないですか?」




迷惑・・・って程でもない、今はそう思う。




「どう言って欲しいですか?迷惑だった、それとも、迷惑ではない、と言えばいいですか?」




「それは、瑞樹さんの思っている事をそのまま言って下さい。それと、私には丁寧な話し方じゃなくていいです。」




そう言った陽芽野も瑞樹につられて、つい丁寧な言葉になってしまっている事に気付いていて、一生懸命砕けた話し方にしようと思うのだったが、相手は年上、しかも好きな人に向き合って緊張しないで話すのは難しかった。




「そう言われ・・・ても?」と瑞樹が言うと、




くすくすくすと笑い出す陽芽野。




『カノジョ』




祖父の声が頭の中でグルグルと繰り返し蘇って回り出す。




ボートを漕ぎながら、楽しんでいるようにも取れる表情を浮かべた君に、




「どうして僕なの?」と訊いた。




「えっ?」と陽芽野に訊き返され、瑞樹はオールでボートを漕ぐ手を止めた。




ゆっくりと進んでいたボートが水の上で止まった。




「僕の『カノジョ』になったとしても、いい事なんて何もないよ?」




僕は、そう思っている。




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