(3)紫色にたなびく雲
既にのたうち回っていた心臓が、辺りを聾する爆音を立て始めた。
逃げたい。
逃げてしまいたい。
でも、苦しいことから逃げていたら、人生を切り拓いていくことなんて出来やしない。
逃げるな!
逃げるな!
ぼくは階段の君鳥さんに向かって突進した。
そしてCDの入った紙袋を突き出す。
「これ」
階段の最後の段に足を踏み出していた君鳥さんが、顔を上げてぼくを見る。
そのとたんよろけて身体がふわっと宙に浮いた。
「あっ」
君鳥さんの口から声が漏れる。
そして、咄嗟に、紙袋を突き出したぼくの腕に両手ですがる。
君鳥さんの顔とぼくの顔が急接近。目と目が合う。ほんの一瞬。
一瞬だけど、永遠みたいなものだった。
で、君鳥さんは無事に床に着地して、ぼくの腕から君鳥さんの体重が失われてしまう。
「これ、ビートルズ」
ぼくはもう一度、君鳥さんの目の前に紙袋を突き出した。
「ありがとう」
君鳥さんは、そっけなくそう言うと紙袋を受け取って靴箱の方に歩いていく。
紙袋に印刷された電気機関車のEF58とかEF64のことには気付いてくれたのか、そうでなかったのか? とにかくそれについてのコメントはない。
でも、ぼくは満足だった。
それに、とにかくホッとした。
急に身体が軽くなった。
ぼくはそのまま階段を2段飛ばしで駆け上がって行き、気付いたら屋上にいた。
屋上からは街と、遠くの山並みと、夕陽を受けて紫色にたなびいている雲が見えた。
何て美しいんだろう。
まだ世界が色も味も失っていなかった頃の話だ。




