0-4 部活見学(二)
貸し出されたシューズを履いて、二人は卓球場に戻る。
すこしぶかぶかしているものの、靴紐を固く結んでやれば、軽く動く分には問題がなさそうだ。
もっとも二人共制服にスカートという格好なので、あまり激しい運動は出来ないのだけれど。
そういうわけで、多少サイズが合わなくても、それほど大きな問題にはならないだろう。
台に戻ると、葵と優奈が、さっきまでと同じようにサービスをする。
ピッチの早いバウンド音とともに、ボールが飛んでくる。
それを、半年以上前には毎日のようにやっていた通りに、バウンドの頂点を捉えるようにフォアハンドを振る。
葵も同じようにフォアハンドを振って返してくる。
かん、かかん、かかん、かかんと打球音とバウンド音が、早いピッチで交互に鳴り響く。
隣の台を見ると、優奈と真琴がフォアハンドのラリーをしているのが見えた。
ピッチはそれほど早くないが、二人とも体がその場から僅かにも動かない。
上体を捻ってテークバックを取るのと、上体を戻しつつラケットをおでこの辺りまでもって行きつつボールを打球するとを、ただひたすら繰り返している。
たまに体重移動をしてボールに合わせることがあるものの、その他には、まるで精密機械かのように同じ動きを繰り返す。
必然、ボールがラケットや、台に当たった時の音もほぼ同じ周期で、ただ機械的にかんかんかんかん鳴り響く。
烈火は注意を正面に戻すと、負けじとフォアハンドを、ただひたすらに正確に振った。
突然葵が、ニヤリと笑った気がした。
烈火は何か来るな、と思って身構えていると、葵は台から離れて、テークバックを大きめに取った。
そして打球点をかなり後ろにずらしながら、ラケットを鋭く上に振り抜いた。
打球音は甲高さを増して、金属音に近くなる。
ボールは山なりの軌道を描くが、鋭い前回転のかかったそれは、バウンドと同時に急激に加速する。
ラケットの面をしっかり伏せないと、ボールが真上に飛んでいくだろう。
烈火はラケットの面をしっかり伏せ、バウンドした直後にラケットを合わせにいった。
ボールは緩やかな軌道を描きながら、葵のフォア側へ返っていく。
葵の口角が、また上がった気がした。
今度はテークバックを更に大きく取り、前に向かって振り抜く。
コンパクトに纏められたフォロースルーからは想像出来ないほどの速く、鋭いボールが飛んでくる。
その勢いはバウンドしてから更に増し、弾道も低く、まるで台を這ってくるかのようだ。
龍のようなドライブに、烈火はラケットに当てることは出来たものの、打球は明後日の方向へと飛んで行った。
そして台に落ちることなく葵に向かって飛んでいき、葵の左手に捕まえられた。
「ちょお葵!新人相手に本気で振ってどうすんの!」
「いやぁ、出来る子だからつい楽しくなって」
ラリーを続けながら優奈が葵を咎めるも、葵は反省の色をおくびにも見せない。
どころか、まだやるでしょ?と言わんばかりの視線を、烈火に向けてくる。
中学時代の烈火は、県大会でベスト4に残ったこともある程度の実力者だった。
だから強い相手のドライブは、それなりに見てきたつもりだった。
けれど、葵が放った二本のドライブは、そのどれと比べても破壊力が桁違いだった。
その弾道に、炎を幻視するほどの勢いを伴ったそれは、見ただけで頭の中に警鐘を鳴り響かせる。
ラケットに当てるだけで、ずしりと重い感触がする。
こんなに苛烈なドライブは初めてだ。
ボールが纏った幻の炎が、ラケットを通じて烈火の手に伝わって、やがて身体の芯、胸の奥にまで届くのを感じた。
ぼやけていた世界が、急に輪郭を取り戻した。
もらい火を貰った烈火は、もう怯みはしない。
「大丈夫です。もう一本お願いします」返事にも怒気に近いものが混じる。
葵は「おし」と短く答えると、先程と同じように、手の中のピン球を叩くようにサービスをした。
フォアハンドのラリーがしばらく続く。
葵は、またドライブを振ってくるような素振りを見せない。
どちらかと言えば、烈火が勢いよく振ってくるのを、待っているようだった。
ならば、と烈火は台から少し下がって、思い切りよく振り抜いた。
かつぅんと、金属音が鳴り響く。
幾多の対戦相手を沈めてきた、渾身の一撃。
中学時代には返される事のほとんどなかった、絶対の自信を伴った一撃。
他人からは「烈火ドライブ」なんて呼ばれているらしいそれは、その名の通り烈火のごとき勢いで葵に迫る。
しかし葵は一歩も引かない。バウンドの直後を正確に捉え、迫る猛虎を、赤子をあやすかのようにいなして、烈火のフォア側へと返球した。
緩やかな山なりの線を描いて帰ってくるボールを、バウンドの頂点よりも後ろの位置でまた捉える。
全身を使って、大きな輪を描くようにラケットを振り抜く。
豪快な金属音を響かせながら、打球は真っ直ぐに台に突き刺さる。
葵が止めるように返したボールに、もう一回ドライブを台に突き刺した。
すると今度は葵も台から離れて、カウンタードライブを仕掛けてきた。
葵の重たく鋭いカウンターに気圧されながらも、烈火はまた全力でラケットを振った。
ラケットからビリビリとした感触が伝わってくる。
烈火の渾身のドライブと、葵のカウンター、その上に更に烈火のフルスイングの勢いが乗った打球は、
卓球台のエンドラインを飛び越えて、吸い込まれるように床に落ちていった。
葵はそのボールを、ラケットで床に打ち付けてから拾うと、また一足飛びに烈火の元に飛びついてきて、その両手を握りしめる。
そしてまた両目をキラキラと輝かせながら怯む烈火の顔を覗き込んだ。
「キミ凄いじゃん!ね、ね、一緒に卓球しよ、ね?」
先刻までは恐れるものなんてないと思っていた烈火だったが、自分よりも体が一回り大きく、力も強い葵にこう迫られると話は別だ。
命が取られるとまでは言わないが、それに近いような危険を感じる。
烈火は大量の汗を垂らしながら懸命に逃げようとするが、二人がかりでなお振りほどけなかったこの膂力から、一人で逃げるなんて出来るはずがなかった。
「やから新人ちゃんビビらすな言うてるやろ!赤坂さんドン引きしとるやんけ!」
優奈の怒声とともに、飛び蹴りがまた炸裂した。
烈火「山吹先輩ってなんか怖いとこあるよね。悪気がないのは分かるんだけど、体大きいし動きめちゃ早いし力半端なく強いし……」
葵「えっあたし、そんなこと思われたの!?」
優奈「ただただ人よりガタイ良くて、動きが早くて、力が強いだけなんやけどな。ただそれだけのものが、如何に恐ろしいか……」