1-3 二番台一回戦 烈火 vs 七海(三)
2-8。逆転するには先が長い。けれど諦めるには、まだ早い気もする。
この二週間の練習の間にも感じていたことがあるが、七海はなかなか独特な思考の持ち主だ。そのために、何を仕掛けて来るかが予想がつかない。
現に、サービスの多彩さ、ラリー中の引き出しの多さに振り回されている。二セット先に取れているものの、正直に言うと余裕がない。
七海の手の内には、まだ何かを隠し持っていても不思議ではない。そう考えると、恐ろしくてたまらない。ならばやはり、少しでもそいつらを引きずり出してやりたかった。
幸い、サービスの権利はこちらにある。
一番最初の主導権は、こちらにある。
何をすれば七海を出し抜けるやろか?烈火はこれまでの四セット内容を振り返ってみる。
七海は前陣に張り付いたまま、ブロックを主軸に戦うタイプのプレーヤーだ。
球威のあるボールを下がらずに打ち返すにはある程度の反射神経か読みが必要だが、七海はそれを難なくこなしている。
ただゲーム中に何度か、なんとなしに打ったドライブを打ち上げるシーンがあった気がする。
記憶は既に薄れつつあるが、そういうボールを打ち付けた時には回り込んでいた気がするから、バック側にドライブを打った時のような気がする。
七海の扱うペンホルダーラケットは、シェークハンドラケットに比べてバックハンドが難しいとは聞く。
だからなんとなく、それっぽい気がしてきた。
方針が決まれば、あとは試してみるだけだ。烈火はフォア側に寄りつつ、手首を内巻きにして、YGサービスっぽく見えるようにサービスを構えた。
ボールを投げ上げた後、手首を逆側に返しながらテークバックを取る。
きっと七海は、フォア側への短い逆横サービスを警戒してくれるだろう。
烈火はそこまでやってから、真っ直ぐに、七海のバック側にロングサービスを出した。
その瞬間には、七海は左足を一歩前に出して、フォア前に出されたサービスを返す構えをしていた。逆を付かれた七海は、それでもバックハンドを構える。
体勢をつかえさせながらも、何とかボールを打ち返す。
必死の思いで打ち返したボールは、面を抑えきれず上を向いたラケットの通りに、高く打ち上がった。
七海が一歩ほど後ろに下がる。
七海ならきっと、ここからバウンド直後を捉えて短く返すなんて芸当が出来るだろうが、そういう技術に、烈火は自信が持てなかった。
むしろ後ろに下がった相手を、力業でぶち抜く方が自信がある。
ボールが十分に落ちてくるのを待って、全身全霊のフルスイングをお見舞いしてやればいい。
ラケットの面を思い切りかぶせ、落ちてくるボールの上側を斬りつけるようにラケットを振るう。
もう何十本ぶりかの、全身全霊のフルスイングだ。
強烈な上回転のかかったボールは、まるで台の上を這うように、低い弾道を描いて飛び出してくる。
減速するどころか、強烈な上回転のせいでさらに加速するボールに、七海の手は届かなかった。
勘が当たったような気がした。
普段はしっかりと対応してくるが、読みが外れた時のバックハンドを、打ち上げる傾向にあるようだ。
どうせ捨てるセットなら、いっそ七海が警戒してくるまでバックハンドを狙ってみよう。
方針を決めたら、烈火はもう一度、フォア側でサービスを構えた。
それが案外と効果的だったらしく、7-10にまで追いついた。しかしサービスの権利は七海にあり、一本でも落とせば七海がこのセットの勝者となる。
一度は捨てても良いとすら思ったこのセットだけれど、ここまで来て勝ちきれないのは口惜しい。
七海はロングサービスをフォア側に出してきた。
七海がロングサービスに信を置いているのか、はたまた効いていると判断してのことか。
烈火には計りかねたが、ボールが伸びてこないことが分かった。
テークバックを少し下めに取る。
そして、ラケットを前に、上に強めに引っ張るようにドライブした。
ボールは高い弧線を描き、急降下するように七海のフォア側に落ちる。
バウンドとともに加速した先で、七海は既にテークバックを取って待っていた。
黒い面をこちらに向けながら、横に滑らせるようにカウンターを打った。
ボールは烈火のバック側に、少し曲がりながら迫ってくる。
シュートドライブだ。
バウンドとともに更にバック側にずれていくその打球に、烈火のラケットは間に合わなかった。
7-11。勝負は、第五セットに持ち越された。
最終セット、サービス権は烈火から。
お互いにサービス、レシーブで一本ずつ奪い合って、もはや意地と意地のぶつかり合いみたくなっていた。気づけば、得点板は4-4をさしていた。
ここで烈火の手元にサービス権が戻って来る。
ピン球を台の上に打ち付けて弄びながら、次の一本を考える。
下回転サービスを出してプッシュさせたところを叩こうか?
それともロングサービスを出して下回転で返ってきたところを切り上げようか?
散々バック側苛めたことで、七海の警戒も強くなっているようで、バック側でのミスが減っている。
なら次の狙い目はフォアだ。そうやって意識を散らさせれば、またバック側にチャンスが巡ってくる。
そう考えた烈火は、フォア前へYGサービスを出した。
狙い通りに短く出せたものの、打球点をミスったかバウンドが高い。
七海は右足を一歩前に踏み込んで、肘から先で払いのけるように打ち返してきた。
ばこんとくぐもった音ともに、ボールは素早く台に着地し、烈火のバックハンドを目指す。
なんとか止めてみせたものの、七海の攻撃を一本凌いだだけだ。
ボールは緩やかに七海の元にたどり着くと、大きな輪を描くようなスイングでドライブを仕掛けてきた。
ばこんとまたくぐもった音がして、ボールはまっすぐこちらに向かってくる。
しかしボールの勢いはネットに阻まれ、七海の側へと落ちていった。
七海は首を傾げながら、台上に落ちたボールをちょいと掬い上げて烈火に渡す。
5-4。引き続き烈火のサービス。烈火がサービスを構えたが、すぐに思い出したように構えを解いて台を回るように動き出す。
烈火は七海が動き出さないのを見て、親指と人差し指をくるりと水平に回すジェスチャーをした。
「……ハート?ラブ?」
「サイドチェンジや!」
首を傾げる七海に、烈火がツッコミを入れた。
「おお、二セット同士か」と七海が手を打つと、ようやく烈火の反対側を回るように歩き出した。
烈火は思わず頭を抱えた。
サイドを交代してから、烈火は改めてサービスを構え直す。
またも気が抜けてしまったが、七海は油断ならない相手だと思い出し、息を鋭く吐いて気合いを入れ直す。
暫くは得点の優位を保てていたが、徐々に七海の意地と集中力が牙を向き始める。
もうかれこれ三十分近くゲームをしているというのに、七海のブロックの精度は、衰えるどころか、むしろ上がっているようにすら感じる。
得点板が8-8を示す。突き放すことの出来ないまま、とうとう、ゲームの終わりに来てしまった。ここでサービス権が烈火に渡ってくる。
どこかで見た光景やな、と烈火は思った。中学最後の夏の大会も、こんなふうにフルセットの8-8にまでもつれ込んだなと。
あの時は自分のミスからずるずると負けていってしまったのだった。
懐かしいが、非常に苦い思い出だ。
あの時の相手も、粒高の……反転式ペンホルダーだった気がする。
もっとも、今の七海は戦い方がローターっぽいだけで、使っているラケットは中国式ペンラケットだけれど。
今度はああはなりたくない。
させてたまるもんか。
烈火はバック側に構える。目指すは、バック側へのロングサービスだ。
弾き出したボールは、自分の目の前の台の縁に当たって、真後ろに向かって飛んでいってしまった。
8-9。
ここ一番で、一番やりたくないミスをしてしまった。
次の一本は無難に無回転サービス。
七海が弾き返した所にカウンターを決め、何とか9-9には追いつく。
しかしここで二本、七海のサービスからの展開になる。
一本でも取れれば、悪くとも10-10には持ち込めるが、一本も取れなければ……?
先の一本で七海に先手を取られ、冷や汗をかいたばかりなのに、だ。
脂汗が、たらりと落ちる。
七海が繰り出したサービスは、下回転だ。
けれど、今までのサービスとは少しフォームが違う。
今までは前に向かって振り切っていたフォロースルーを、台の下に隠すようにしていた。
とはいえ、気をつけなきゃいけない事はさほど変わらない。
ラケットの面を合わせて、丁寧にツッツキをする。
その直前に、ボールに印字されたロゴが、下に向かって動いてるのが見えた。
しかし気付いた時には既に遅くて、ラケットの面を縦に戻すことが出来ない。
つっついたボールは真上に向かって吹っ飛んでいく。
ボールの飛び方、打球感からして、無回転ですらなく、上回転がかかっていた事を、烈火は察した。
七海のスマッシュにカウンターを合わせるが、ボールはエンドラインを越えていく。
9-10。
先に王手を打ったのは、七海だった。
続く七海の二本目のサービス。
また下回転のように見える、先程と同じサービスだ。初めて見る七海のサービスに、烈火は対応しあぐねた。
仕方なしに、またラケットの面を上に向ける。今度はつっついてもそこまで浮かなかったので、下回転なんだとわかった。
間違いない。
いわゆる、アップダウンサービスだ。
ほとんど同じフォームから、上回転と下回転を使い分けるサービスだ。
クオリティはさておいて、七海はそれが出来るのだと、ゲーム最終盤の今になって証明して見せてきたのだ。
七海はバックハンドを、裏の黒い面を見せるように構えていた。
肘が高く上がっている。
そこから見るに、構えているのはチキータだ。
チキータはこちらのバック側に曲がってくる性質があるため、バックの方に意識を割いていればいい。
七海は、そのチキータでフォア側を突いてきた。
烈火は間に合わせたようにブロックしたものの、七海は既に、返ってきた三球目を叩く準備を済ませている。
ばこんとくぐもった音と共に、スマッシュが放たれる。烈火は中陣にまで下がり、カウンタードライブで応戦する。
熾烈なドライブの応酬が、暫く続いた。
しかし烈火の圧倒的なドライブの威力を前に、七海は徐々に押し負けていく。
やがて七海は、カットを挟んで、烈火の攻撃を凌いできた。
徐々に減速するボールが、緩やかに台の中に入ってくる。
烈火は前に踏み出しながら、全力のフォアドライブを振るう。
その軌道は鋭い弧線を描き、台にバウンドすることなくエンドラインを通り越していった。
9-11。に及んだ熾烈な戦いを、制したのは七海だった。
互いの健闘を握手で称え、勝負の記録をつけに行く。
その途中、七海が天井を見上げて呟いた。
「あぁ、カロリー高ぇゲームやった。これが続くんか、あと四戦も……」
七海のほうも、割といっぱいいっぱいだったらしい。
相当疲れたのか、あぁあぁとわけの分からない声を上げている。
烈火は、中学時代のリーグ戦を思い出して比べていた。
あの時なんか、大体は真琴と一位争いをしていたくらいで、ここまで苦戦するゲームはそう多くなかった。
けれど七海も、優奈も、真琴に勝るとも劣らない程の実力があるのが分かっている。
実際、ここ二週間のゲーム練習では、葵を除く全員と、勝ったり負けたりの繰り返しだ。
中学時代の時と比べると、比較にならないほど全体のレベルが高い。
負けるつもりはないし、負けたくもないが、本当に勝てるのかと問えば首肯しかねる。
そんなゲームがあと四戦も続くのは、烈火だって同じだ。
まだ二試合分しか埋まってないリーグ戦表を見て、烈火はげんなりとした。
優奈「第一試合は3-2で七海の勝ちね。つか、私もあいつらと戦うんやんな……気ィ重いわぁ……」