0-9 体験入部(二)
烈火達は、それからの一週間の放課後をまるまる使って、他の部活も体験してみた。
例えば、同じくラケットスポーツであるテニス。
ボールもラケットも卓球のそれに比べて埒外に重たく、七海なんかは、ボールを打ち返す反動で手首まで折れてしまいそうになっていた。
他には、バレーボール、弓道、美術、陸上競技……。
回れたのは全部で九つくらいだ。
そのうちのどれにも、烈火が肯首することはなかった。
そんなある日の帰り道。三人が並んで校門をくぐると、にわかにこちらに走ってくる足音がした。
そして間もなく、七海と烈火はその足音の主から、体当たりされながら首元に腕を回され捕まえられた。
びっくりしながら振り返ってみると、興奮したような、けれどどこか寂しそうな表情の葵が、すぐ側にまで寄っていた。
「捕まえたぞぉ!おい、なんで卓球部来てくれなかったんよ」
うりうりとじゃれながら、小脇に二人を抱えこむ。
懐っこい犬のようだが、百七十センチを超えてそうな程に背丈のある彼女は、敢えて言うなら大型犬だ。
体重が三十キロ前後にも達する、ゴールデン・レトリーバーだ。
悪気がないのは分かっていても、それはそれとして少し怖い。
七海も烈火も逃げ出そうともがいてみるが、その腕はピクリとも動かなかった。
「葵、ほどほどにしとけよ」
後ろから、頭を抱えた優奈が歩いてくるのが見えた。
葵の突進をするりとすり抜けていた真琴は、優奈に歩調を合わせにいった。
優奈がそれに気づくと、俯き加減に、真琴のいない方へとから顔を逸らしだした。
「どうして来てくれやんかったんさ」
そう毒づいた優奈の顔は、肩まで伸びた髪と、夕日の影に隠れてよく見えない。
声色にもとげとげしさが混じっていて、あまり機嫌は良くなさそうだ。
真琴は夕に染まった空に浮かぶ、雲を目で追いかけながら、ううんと暫く唸っていた。
「どの部活もぉ、見学するだけならタダや伺ったからですねぇ」
「ウチには一人も来てくれへんかったけどな」
「一人もぉ、ですかぁ?」
真琴は意外そうに聞き直した。
ここ数年、朝陽東高校卓球部は、男女ともに県大会で好成績を納めるなど、強豪校として名を馳せていたことを、真琴は覚えていたのだから。
そんな部活に行きたいと思う経験者は、そう少なくないはずだ。
とはいえ、優奈が嘘を言っているようにも、全く見えない。
真琴は優奈の声色と顔色とを伺うも、真琴が優奈の方を向くと、優奈は余計に顔を背けてしまう。
真琴は正面に向き直って、独り言ちた。
「でも私はぁ、優奈先輩とお友達になりたいと思ってますよぉ。もちろん、葵先輩とも」
「あんたよぅそんな、歯の浮くようなセリフ言えるな……」
「雲の上に住んでるよなぁとはぁ、よぅ言われますねぇ」
「褒められとらへんやろ、それ!」
真琴はにこにことした表情を、一片にも崩さない。
一方の優奈は、そっぽを向いたままだったり、怪訝な顔で睨んできたり、怒ったような驚いたような顔をしたりと、百面相に大忙しだ。
真琴はそんな、めくるめく優奈の顔芸を眺めながら、緩めた口角を少しだけ引き締めた。
「けどぉ、仲良ぅ出来たら嬉しいなとはほんまに思ってますよぉ。
やからきっとまた、卓球部にお邪魔します。
れっちゃんと、ななちゃんと一緒に。
でも今はまだ……れっちゃん、すっごく迷ってて。
焚き付けてやる必要があるんです。
やもんで時間かかるかも知れやんけれど、また連れていくんで。
そん時まで、待ってて貰えますか?」
真琴は小首を傾げながら尋ねていた。背に浴びた夕日から作られた影も、同じように頭を横に倒す。
優奈は暫くは真琴の方を向いていたが、そちらに日はないはずなのに、なんだか眩しくて。
思わずまたぷいと、顔を背けてしまった。
「……邪魔すんなら帰らすから」
ぼそぼそした声で、返事は帰ってきた。
そっぽを向いた優奈の頬が、夕の日に照らされているように見えた。
真琴は前でじゃれ合う三人のほうを見ながら「あいよぉ」と答えた。
前の方でじゃれあっている三人―どちらかというと、葵が一方的にじゃれついているだけだが―のほうはと言うと、葵の両腕のなかで、烈火も七海も口から泡を吹きかけていた。
それを止める者も、気付くものもいない。
遠のきかける意識の中で、七海がなんとか腕をタップしたところで、ようやく解放された。
「あっはは、ごめんごめん。力入りすぎちゃってたかぁ」
反省の色があるのかないのか、葵は朗らかに笑いながら両手を合わせる。
しばらくぶりに空気の味を感じられた七海と烈火は、暫く、桜の花びらが混ざり始めた空気の味を、今一度噛み締めていた。
「そんでさ、どうだった?他の部活、見に行ってたんじゃないの?」
葵は、また二人の肩に組み付いた。
烈火は肩にせかかる重みと、その熱を感じながら、答えを探していた。
しかしどれだけ答えを探せども、見つかりそうな気はしなくて。
それを表す言葉を見つけては、煙のようにするりと手の中をすり抜けて、やがてどこかに消えていってしまう。
ただはっきりとしていたことは、特別な感想を抱けなかったということだけだ。
「んん、どうなんでしょ。あんまりピンと来てないというか…」
「やろな。れっか、全然く無さそうな顔してたし。卓球の時とダンチ」
え、マジ?と驚きながら、葵を挟んで反対側にいる、七海の方を見る。
七海は烈火の目を見つめ返しながら、ゆっくりとうなずいた。
「面白くなかったんや。ふぅん……じゃあさ、あたしと打ち合ってるときは楽しかった?」
「……はい」
葵の問いに、烈火は、自分自身の胸の内を確かめながら小さく答える。
葵のドライブを受けて、返して、返されて。
あのドライブのやり取りの中で、なんだかヒリヒリするものを感じたのは確かだ。
葵はしばらくじっと烈火の横顔を見てから、そっかと小さめに答えた。
「そしたらさ、ええと……れっかだっけ。
決闘で決めようじゃん。内容はそうやね、10-10からの一セットマッチ。
あたしに勝ったら烈火の好きにしていいけど、あたしが勝ったら、春の総体までは付き合ってもらうよ」
葵は更に体重を更に乗せかけてくる。
烈火はなんとなく居心地が良くなくって、目をそらしてしまう。
けれどやっぱり明るい返事は出来なくて、烈火は言葉を濁らせてしまう。
答えを見いだせないまま歩き続けてまもなく、駅が眼前に現れた。
改札をくぐれば、答えなくても済むかもしれない。
烈火は葵の腕をすり抜けて、改札へと向かおうとした。
「逃げんの?それでもいいけど。やる気のない子を無理に引き止めてもしかたないしね」
葵は乗せかけた体重を自分のもとに戻しながら言った。
その時に、烈火は自分の胸中に、頭に、全身に、炎が滾るのを確かに感じ取った。
葵の誘いを断ろうとしていたこともそうだが、葵の言い方もなんだか癇に障るし、何より、逃げ出したくなっていたことを見抜かれたのが、恥ずかしかった。
逃げ出したいわけなんかじゃない。烈火はそう言い聞かせながら、葵のほうを睨みつけた。
「いや、やります。やりましょう。負けませんから」
葵は一瞬驚いたのか怯んだのか、目を大きく見開かせた。
ややあって、にやぁと緩やかに口角を上げていった。
「おっけ。そんじゃ、また明日ね!」
葵は晴れ渡る夏の日差しのように笑って、烈火の肩を叩きながら、その隣をすり抜ける。
まもなく、改札の奥へと消えていった。烈火も同じ改札を通るはずなのに、何故かそこに入っていけなくて、その場に立ち尽くしながら、消えていく葵の姿を見送った。
立ち尽くす烈火に、後ろから真琴と優奈が追いついてくる。
真琴は烈火の隣に並ぶなり、「なんや面白そうな話になっとるやん」なんて言って笑った。
七海も意地悪げな笑みを浮かべながら、「がんばれれっか。相手は化け物や」と続く。
そんな三人を追い越して、改札に飛び込んでいく、小さな影が一つ。
「待て葵、明日土曜や!」
優奈の絶叫が、駅舎の中にこだました。
真琴「れっちゃんってちょろいとこあるよなぁ」
七海「なるほど。言われてみればそうかもしらん」
烈火「え、どういうこと!?」