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ドライバーズ・ハイ  作者: げっと
0章 赤坂烈火、新入生。
1/16

0-0 春休み

 赤坂烈火は、確かめるように見回した。


 8-8(エイト・オール)を示す得点板。

 時折手の中でくるくると回されては、握り直される相手のラケット。

 こちらをの出方を伺う相手の視線。

 自分の左手と卓球台の間でバウントを繰り返す。

 右手に持ったラケットの赤い面。ネットの上の白い線。

 回転を止め、垂直に向けられたラケット。

 水平に広げた手のひら。

 手の上で静止したピン球。

 早鐘を打つ鼓動。


 手のひらにどくどくと、血や意識やら、不安やら興奮まで流れいって、指先が僅かに震えるのを感じる。


 大丈夫、サービスの権利はこちらにある。攻撃の主導権はこちらにあるはず。大丈夫。


 何度も何度も言い聞かせる。いつもの通りにやればいい。意識を台のほうへと切り替えながら、ピン球を上へ、高く高く投げ放った――



 烈火は目を覚ました。


 見上げた先にあるものは自分の部屋の天井で、中学生時代の最後の夏の大会の開かれた、あの体育館のものではなかったし、投げ放ったはずのピン球の姿なんてどこにもない。


 着ているのも、烈火のごとく燃える赤のユニフォームなんかじゃなくて、淡い桃色のサテンパジャマだ。


 ああ、夢だったのか。()()()()()()。烈火は呟いた。



 あの夢は、去年夏に開かれた地区大会の、準決勝の一場面。


 先に自分が二セットを取り、あと一セット取れば決勝戦、というところで二セット取られ、その上8-8(エイト・オール)までもつれこんだ第五セットの場面と、全く同じなのだ。

 あのあとは……甘くなったサービスをあっさりと捉えられて、攻撃の主導権を握られてしまったような記憶はある。

 気付いたら同じく卓球部の仲間であり、一番の親友である真琴に、家までついてきてもらっていたことは覚えている。

 

 その日以来、まるで燃え尽きたかのように練習に身が入らなくなって、県大会の初戦だか二回戦だかで、あっさり敗退したことも覚えている。


 それ以外のことは、あまり覚えていない。


 しかし烈火は、あの日のあの試合のあの場面の、ボールを投げ上げた瞬間までを、これまで何度か夢にみているのだ。



 もう半年以上も前の話なのに、今に同じ夢を見たところで、あの場面をやり直せるわけではない。

 やり直そうとも思わない。

 それに今は、中学校を卒業し、受験戦争も見事に―滑り込みセーフともいうべき―勝利を収め、わずかな間の猶予期間を、惰眠に割り当てて楽しんでいるところなのだ。


 春眠暁を覚えずという言葉をどこかで聞いたことがあったが、その言葉のある通りだと、烈火はよく思う。

 春の陽気に包まれた部屋の中で、お布団に包まったまま、惰眠を貪ることほどに、心地の良いものは他にない。

 それなのに、心地の悪い夢と、鳴り響く目覚まし時計の音に邪魔されたとあれば、不愉快なこと極まりない。



 寝ぼけ眼のまま、烈火はベッドのそばの時計を手繰り寄せた。

 半分に切り分けられたリンゴを模したそれには、短針と長針を擁するアナログな時計盤と、四月七日と書かれたデジタルな文字盤が取り付けられている。

 烈火はそれをみながら、時折、デジタルだけにしてくれやんかなと文句を言いたくなることがある。


 アナログな時計も読めなくはないのだが、こう、読むのに時間がちょっとかかるというか、何時なのかが直感的に分かりにくいというか。

 そう、今は短針が七と八の間にあって、長針が六のあたりに差し掛かっている。


 だからええっと……何時や?烈火は働かない頭を必死にぶん回して、世界が何時なのかを認識しようとした。



 その途中、烈火は気付いた。気付いてしまった。

 デジタルな文字盤が、確かに四月七日を示していることを。

 アナログ時計を読むのに時間がかかっても、アラビア数字と小学一年生で習う漢字のみによって構成された、四月七日の文字を読むことは造作もなかった。


 四月七日。


 あれ、高校の入学式っていつやっけ。

 入学式に間に合わせるには、何時に家を出やなあかんのやっけ。確か、七時半だった気がする。


 そこまで思考が働いてようやく、入学式が四月七日であったこと、そして時計が示す時間が、七時半であるということに、烈火は気がついた。



「やっべえ遅刻やん!ああんもう、なんで起こしてくれやんかったんさ!」



 ベッドから飛び出した烈火は、大急ぎでパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替えた。

 パジャマはもぬけの殻となったように、床の上に臥せっている。

 それに足を滑らせながらも、烈火は自室から飛び出した。



「お母さん!なんで起こしてくれやんかったんさ!遅刻するやん!」


「そんなん言われても知らんよぉ。起こしても起きやんかったんは烈火ちゃんのほうやしぃ」



 弾丸のような勢いで居間に進入した烈火が、テーブルに置かれたトーストをかっさらいながら、母に文句を言う。


 しかし母はその―剣戟、ならぬ―言戟を、飄々と躱してみせた。

 烈火はそれでも文句をぽいぽい投げ続けたが、どれもクリティカルに入りそうな気はしないし、遅刻しそうな事実は変わらない。

 自転車を走らせて十分ほどはかかる程度の距離の駅から、電車は十分後に出発してしまう。

 それを逃せば、次の電車は二十分後にくる。なれば、遅刻確定だ。なりふりなんてかまっていられない。



「行ってきます!」



 トーストを口に咥えたまま、烈火は家を飛び出した。

 自転車にまたがり、全力でペダルを回す。

 下ろしたてでぱりぱりしたスカートがひらめいて落ち着かないが、そんなことにかまっていられない。

 初日から遅刻するほうが悪だ、悪に違いない。

 息を荒げ、肺に砂漠を広げながら、ペダルをまわし続けた。



 やがて駅が見えてくると、電車がプラットフォームに差し掛かっているのが見えた。

 アウトかセーフか、ギリギリのライン。

 自転車を駐めることにも、もたもたなんてしていられない。

 駐輪場の空きスペースに狙いを定めて、進路上に人がいないことも確認しながら突入する。


 そして頭の中で事前にシミュレーションしたように、両足スタンドを素早く立ててから、駅舎に向かって駆け出した。

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