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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チョコレートの神話

 その星には、島がひとつだけあった。大陸は存在しなかった。広い海の中にぽつんとひとつ、小さな島があるだけだった。


 その星を創りあげたのは、出来損ないの神様だった。どこぞの立派な神様たちから言わせたら『あんなのは俺たちの仲間じゃないね』と()()と鼻先で笑うような、生まれたての神様だった。


 だから、その星もあまり褒められた出来ではなかった。だだっ広い海に小さなちいさな島がひとつ、その島には川も沼も泉もなかった。ただ透き通る雨が降った。時おり降る雨をたよりに、その雨水を木のおけや小さなつぼに貯めて、島に住む人はのどを潤して暮らしていた。


 島の人々は、照りつける太陽に肌をかれて、美しいチョコレート色の肌をしていた。人々は魚を捕って、焼いたり煮たりして食べていた。トウモロコシも育てていて、主食はトウモロコシの粉を雨水で練って、熱した平らな岩で焼いた薄いクレープだった。


 年に一度のお祭りには、大事に育てたカカオの種をすりつぶし、トウモロコシの粉や唐辛子の粉と雨水を混ぜて煮立たせ、『チョコレートのお酒』と呼んでひと口ずつ、大事にすすった。年に一度のお祭りと、チョコレートのお酒が人々のたったひとつの贅沢だった。


 だから、罰なんていらなかった。恨みも殺人も存在しない素朴な暮らし、神のお怒りがあるはずもなかった。だが、変化が訪れた。雨が降らなくなったのだ。――一滴も。


 人々は最初「そのうち降るさ」と笑いながら空を見上げ、やがて不安そうに天をうかがうようになり、やがて神に理由もわからず赦しを乞うた。それでも、雨は降らなかった……一滴も。


 人々はもっと大きな桶や、つぼを作っておかなかったのを悔やんだ。けれど今さらそんなものを作っても、雨が降らない今となっては、何の役にも立たなかった。人々は一心に神を拝んだ。何か自分たちに至らないことがあったのだと、ひたすら神に赦しを乞うた。それでも、雨は降らなかった。


 人々は神を信じていた。誰も神を恨もうとはしなかった。だが大地は乾き、草木は枯れて、虫まで死んだ。海の水は泣きたいくらい塩からく、渇いた舌にはけつくように痛かった。


 人々は、渇いて倒れて死んでいった。からからの枯れ木のようになり、ばたばたと倒れて死んでいった。それでも誰も、神を恨もうとしなかった。きっといつか、神さまは雨を降らせてくださる。恵みの雨を降らせてくださる。こわばった舌で祈りのようにつぶやきながら、火のつきそうなほど熱い体で死んでいった。


 そして、とうとう――最後の人間が、息をひきとろうとしていた。ひげも生えていない、きゃしゃな体の青年だった。棒のような体で灼熱の地面に横たわり、ひびわれたくちびるのあいだから、初めて恨みの言葉がこぼれた。


「神よ……かみよ……なぜわたしを、わたしたちを……お見捨てに、なったのですか……」


 それが最期の言葉だった。青年はチョコレート色のまぶたを閉じ、そのまま二度とは目覚めなかった。


(なぜ、お見捨てに、なったのですか)


 その言葉が、眠っていた神の耳へと届いたのは、全てが終わったあとだった。神は妻のかたわらでがばと起き上がり、あわてて下界を見下ろした。長いこと、黙って、見つめていた。それから肩を震わせて、声を殺して泣き出した。


 罰ではなかった。試練でもなかった。神は、幸せ過ぎたのだ。生まれて初めて、心から幸せ過ぎたのだ。


 出来損ないの神は、ずうっとひとりぼっちだった。天界には数えるほどの花しかなく、妻など思いもよらなかった。だが、何という奇跡だろう――天界に咲いた、小さなちいさなたんぽぽの花が、みるまに育って大きくなり、美しい女神になったのだ。


 女神は青年の姿の、出来損ないの神を見て、恥ずかしそうにはにかんだ。声もなくただ少女のように恥じらって、ほおを染める生まれたてのたんぽぽの精に、神は体じゅうが熱を持ち、ほおが火照るのを感じていた。


 そうして、神は女神に恋をした。恋をして、口づけをして、結ばれて……幸せだった。幸せ過ぎた。あんまりにも幸せで、神は泣くのを忘れていたのだ。


 神の涙は、雨だった。ただひとつ、たったひとつの、人間にとっての『水源』だった。神と女神が幸せに時を過ごすあいだ、人は渇いて、大地も乾いて、そして今――人間はからからの枯れ木のように死に絶えた。


 もうだめだ、もう元には戻せない。出来損ないの自分には、もう消え去った彼らの魂を、ひとつも元には戻せない――!!


 神は悔やんだ。悔やんで泣いた。めちゃくちゃに頭を掻きむしり、目が灼けおちるほど泣いて泣いて泣き続けた。女神も泣いた。むせぶ夫の背にすがり、長いまつ毛が全て涙に溶け落ちるほど、泣いて泣いて泣き続けた。


 雨が降った。雨は降り、降り続け、大地を潤し、草木を潤し、人々の亡骸は水に流され、そのあとから小さなちいさな芽がふいた。芽は恵みの雨を浴び、みるまにすくすくと成長し、チョコレート色の花になった。小さなちいさな、かぐとカカオのにおいのする、可愛らしい花になった。


 島は今、チョコレートの色をしている。広い海にぽつんとひとつきり浮かび、一面にチョコレート色の花を咲かせて、いつまでもいつまでも浮かんでいる。


 雨は降る。晴れているときも多くなったが、今でも三日に一度はさあさあとしぐれて雨が降る。悔やむように。詫びるように。


 そうして今でも雨を浴びて、チョコレート色の花たちは、ひらひらと風に揺れている。それが全てを赦すように見えるのは、こちらの()()()かもしれないと、神は今でも、考えている。


 出来損ないの神と、雨と、チョコレート色の神話である。


(完)

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