婚約破棄するって? 今時ツンデレとか流行らないですよ、殿下?
「エルディア教国第二皇女カミラ! 本日をもってお前との婚約を解消させてもらう!」
グレイン王国の貴族学校で開かれた卒業パーティにて。
わたしの婚約者であるガイウス王太子は、右手にワイングラスを持ち、左腕に一人の女性を抱きながら、唾を飛ばす勢いで怒鳴りつけてきました。
金色の髪を文字通りツンツンに逆立てているガイウス殿下に、思わず溜息が出てしまいました。
「ガイウス殿下。たくさんの人がいる前でツンデレ発言とか、恥ずかしいと思いません?」
「はあっ!? いつも言ってるだろ、俺はツンデレじゃねえって!」
「ガイウス殿下は『俺はこんなにもカミラが大好きだというのに、カミラが何を考えているか分からない』と思って、わたしを試しているんですよね?」
「なっ!? 別にお前の気持ちなんて試してない! 試す必要もないからな!」
ガイウス殿下は顔を赤くしています。
きっとわたしに惚れているから、なんですよね。
え、違う?
「まあわたしは殿下のツンデレなところ、かわいいと思いますけどね。わたしは、ね?」
「かわいい」とは申しましたが実のところ、わたしはガイウス殿下のことはただの婚約者としか思っていません。
つまり「男として好き」というわけではないのです。
今回の婚約は、エルディア教国とグレイン王国を結びつけるための政略結婚でしかありませんからね。
しかしガイウス殿下のツンデレ発言はいつも、非常に微笑ましく見させてもらっています。
必死になって自分の気持ちを否定するさまは、まるで子供のようでかわいいからです。
なんだか守ってあげたくなるんですよね。
「いちいち横槍を入れるな。注意散漫なんだよお前は!」
ガイウス殿下がワインを一気に煽ったあと、大声でがなり立ててきました。
空になったグラスにメイドが新たなワインを注ぐと、ガイウス殿下はまたもや一気飲みしました。
メイドがまたもやワインを注ぐと、ガイウス殿下はそれをグイッと飲みます。
そしてメイドが再びワインを──
メイドさん、やめてあげてください。
飲ませ過ぎです。
まあいいです。
とにかく話を続けましょう。
「どうしてガイウス殿下は、みなさまが見ている中で『婚約破棄』などとおっしゃったのでしょう? ツンデレにしては少々やりすぎな気もしますけれど」
「だからツンデレじゃねえって! 人の話を聞けよ!」と、ガイウス殿下は地団駄を踏みます。
「俺は真実の愛に目覚めたんだ。このユリア・アデライト公爵令嬢によってな!」
ガイウス殿下の左腕に抱かれていた可愛らしい女の子が、ユリア・アデライトさんです。
ユリアさんは背が低くお胸もつつましやかではありますが、よく手入れされた銀髪と笑顔がとても素敵な女の子です。
ユリアさんとはクラスメイトでした。
誰に対しても明るく接することで交友関係を築き、二大カーストの一角を形成していました。
ちなみに二大カーストのもう一角は、留学生であるわたしが担っていました。
もちろんユリアさんとはそれなりに交流はしていました。
まあ教室で軽くあいさつしたり、ガイウス殿下と逢い引きしているところを軽く注意したりするだけの、ふわっとした関係でしたが。
そんなユリアさんに、ガイウス殿下は甘い表情を向けます。
こんな表情を見せるのは、ユリアさんとイチャイチャしているときだけです。
「ユリア。今、みんなの前でだからこそ言うが、俺はお前のことが好きだ」
「えへへ、ありがと。わたしもガイウスくんのこと、大好きだよっ」
ガイウス殿下に愛をささやかれたユリアさんは、ニコニコと笑っています。
「カミラ皇女殿下の婚約者に抱きつく女って何なの!? いくら公爵令嬢でもダメでしょ!」という女性陣からの嫉妬もなんのその。
ガイウス殿下は名残惜しそうにユリアさんから離れた後、わたしに指をさしながら近づいてきました。
「いま宣言した通り、俺はユリアが好きだ。だがカミラ、嫉妬に狂ったお前は学校でユリアをいじめていたそうじゃないか!」
「別にいじめなんてしてませんよ? 大の仲良し……とは言えないかもしれませんが、クラスメイトとしてのお付き合いをしていたことはガイウス殿下もごぞんじのはずです」
「嘘だ! 『わたしのガイウス殿下に近づかないでください!』って、ものすごい剣幕で怒鳴ったらしいじゃないか!」
「わたしが怒鳴ったことなんて一度もありませんよね? おかしいとは思いませんでしたか?」
こう見えてもわたし、いつも心おだやかに日々を過ごしております。
もちろん怒りを覚えることはありますが、あくまで自分の胸のうちにとどめるように心がけています。
ガイウス殿下は「さすがのお前でもユリアに嫉妬してキレたんだろ!」と騒ぎますが、知りません。
「それに、正確にはこう忠告してさしあげただけですよ。『婚約者がいる男性と二人きりで会うのはやめておいたほうがいいですよ。この場合、女性が一方的に悪者扱いされますからね』と」
「物は言いようだな。要するに『ガイウス様に近づくな』って言ってるのと同じだろ」
「同じではありません。そもそもわたしにはユリアさんをいじめる動機がありません。ガイウス殿下がほかの女性とイチャイチャしているからといって、いちいち嫉妬なんてしませんから」
「はっ、それこそお前がいつも言ってる『ツンデレ』なんだろ!」
「は?」
自分でもビックリするぐらいの底冷えする声が、思わず出てしまいました。
ガイウス殿下だけでなく、ユリアさんや他のパーティ参加者まで青い顔をされています。
あの、怖がらなくてもいいんですよ……?
みなさま方を安心させようと笑顔を振りまいていると、ガイウス殿下が気を取り直したのか、わたしを睨みつけました。
「俺たちが把握している『いじめ』はまだまだあるぞ。お前は──」
曰く、ノートや教科書に『旧約聖典』の文言──「女が姦淫した場合、首の高さまで生き埋めにして石を投げ、悪を浄化せよ」など──を落書きした。
曰く、「わたしのガイウス殿下から離れないと浄化しますよ?」と言いながら小石をなげた。
曰く、聖水や聖油を階段に撒き、ユリアさんが足をすべらせるように仕向けた。
曰く、曰く、曰く……
ですがわたしにはこれっぽっちも身に覚えがありません。
そもそもガイウス殿下がおっしゃった「いじめ」の内容は、ただ非人道的というだけでなく、はっきり言って神を冒涜する行為です。
ちょっと人より敬虔なわたしが、そのようなことをするはずがありません。
仮にもわたし、エルディア教国と教会組織を統治する教皇の娘ですしね。
「わたしがそんなバチ当たりなことするわけないじゃないですか。そもそも先ほども言った通り、ユリアさんにはこれっぽっちも嫉妬してませんし。どういう理由かは分かりませんが、ユリアさんは嘘をついています」
「ひ、ひどい!」
先ほどまで笑顔を保っていたユリアさんは、今頃になってガイウス殿下の背中に隠れてしまいました。
「ううっ、怖いよガイウスくん……早くカミラ皇女殿下をどうにかしてっ……!」
「よしよし、俺に任せとけ」とユリアさんの頭を撫でた後、ガイウス殿下はわたしに顔を近づけ、ワインの匂いがする息を吹きかけてきました。
「いじめっ子はな、みんな『やってない』って言うんだよ。早くユリアに謝れ。この嘘つき女」
「嘘つき呼ばわりされるのはさすがに面白くないですね。『ツンデレ』の域から外れていると思います」
「だから俺はツンデレじゃねえって! 何回言わせれば気が済むんだよ、このクソ女ッ!」
気づいたときにはすでに、パーティ会場の床に崩れ落ちてしまいました。
いくら王太子とはいえ、教国の皇女であるわたしを突き飛ばしていい理由などありません。
パーティ会場にいらっしゃるみなさま方も、国王陛下も含めて、冷や汗ダラダラです。
それに何より、わたしの心臓が嫌な鼓動を立てているのです。
嫌な予感がします。
「いいか? バカなお前にも分かるように懇切丁寧に説明してやる」
ガイウス殿下はわたしを見下ろしながら言いました。
「初めて会ったときから、お前のことがずっと大嫌いだったんだよ。いつもヘラヘラ笑ってるところとか、俺をツンデレ呼ばわりしてくるところとか……普段は天然なのに変なところでしっかりしてるところとか、なんでもそつなくこなすところとか! 俺はお前の全部が大嫌いなんだ! だからお前との婚約を破棄をしてユリアと結婚する……分かったか!」
ああ、本当にガイウス殿下から嫌われていましたのね。
さすがに罵倒されるのは心に来ます。
ここまで言われて「ツンデレ」と言い張るのも無理がありますね。
ですが他ならぬわたしは、慈悲の心を持ってガイウス殿下を許しましょう。
すっくと立ち上がり、ガイウス殿下に笑顔を向けます。
笑えているかどうかはわかりませんけどね。
「ガイウス殿下、今この場で謝ってくださればすべて水に流します」
「何を謝れって?」
「一つ目。教国の第一皇女であるわたしに恥をかかせるために、公開婚約破棄をしたんですよね?」
「そんな意図はない。ただ俺とユリアの仲を見せつけたかっただけだ」
「二つ目。今回の婚約破棄はガイウス殿下の独断ですよね? お母さま──教皇聖下からの連絡もございませんし、国王陛下の渋い表情を見れば分かります」
「ユリア──いや人をいじめた時点でお前は犯罪者、つまり国母失格だ」
「あなたにだけは言われたくないです。そもそもいじめなんてしてません」
「いちいち口をはさむな! ──つまり何が言いたいかって言うと、お前はもう婚約破棄の事由に抵触してるってことなんだよ。父上や教皇聖下には事後承認してもらえればいい」
「そして三つ目。いくら酒に酔っているとはいえわたしを嘘つき呼ばわりした挙げ句、皇女であるわたしに手を上げるのはダメなのではないですか?」
「お前が俺を怒らせたのが悪い!」
「謝る気なし、と」
ガイウス殿下は、誰がどう見てもダメな男です。
更生の余地なしです。
わたしは大きく深呼吸し、「ヘラヘラした」笑みを浮かべます。
「わかりましたガイウス殿下。婚約破棄を了承いたします」
「──? あ、ああ……最初からそう言えば話がこじれずに済ん──」
「では、王太子の権利は弟のエリアス第二王子殿下に移譲……ということでよろしいですね?」
わたしの言葉に、ガイウス殿下は「は?」と言っていぶかるようにわたしを睨みつけて来ました。
さらにユリアさんは「ふえっ?」ってなりました。
二人とも、何が起こったか理解できてなさそうですね。
「カミラ殿、その話は私からさせてもらおう」
静観を打ち破って、グレイン王国の国王陛下が席から立ち上がり、こちらに近づいてきました。
ようやくです。
「今この場をもって第一王子ガイウスの王太子位を剥奪し、第二王子エリアスを新たな王太子に叙する」
「ち、父上! どういうことだよ!」
「そのままの意味だ」
「だから! なんで俺が廃太子されなきゃならないんだよ!」
「貴様がエリアスと比べて……いや、その辺の貴族の子女と比べても無能だからだ。王宮でなんと言われているか知っているか? 『エリアス殿下が兄だったらよかったのに』だぞ」
「そんなはずはない! 俺は優秀なんだ!」
「陛下、恐れながらそこまで言わなくてもいいと存じます」
あまりにもいたたまれなくなったので、思わずガイウス殿下の肩を持ってしまいました。
確かにガイウス殿下は、場をわきまえないところがあります。
「真実の愛」にほだされて政略結婚を取りやめたり、あまつさえパーティ会場で愛を見せつけたり、これだけでももうおわかりかと思います。
それでも……
「カミラ殿、もうガイウスへの気遣いは不要だ。なにせヤツとの縁はすでに切れているのだからな」
国王陛下はそう言ったあと、ガイウス殿下に憐れむような表情を向けます。
「ガイウス。貴様が無能なのは10歳のころにはすでに分かっていた。1歳違いのエリアスのほうが、明らかに有能だったからな」
ガイウス殿下は「い、いや! 剣術や武術は俺のほうが圧倒的に上だったぞ! 模擬戦ではボコボコにしてやったしな!」と反論しますが、国王に求められるものはもっと他に色々あります。
ですがガイウス殿下はそれをわかっているからこそ、必死になって弟のエリアス殿下から目を背け、「俺は優秀なんだ!」と叫び続けるのでしょうね。
国王陛下はやれやれと肩をすくめます。
「無能な貴様が王太子で居続けられたのは、カミラ殿のおかげなのだぞ。二人が幼子のときに結ばれた婚約によって、貴様には教国と教会組織という心強い後ろ盾が得られた。加えて、カミラ殿は貴様のミスをカバーしたり、貴様が恥をかかないようにフォローしたりしてくれていた」
婚約者として当然のことをしたまでです。
「それでも私は、貴様の王位継承に不安があった。そこで貴様の入学に合わせて、私はエリアスを王太子にしようと考えていた」
国王陛下の言葉に、ガイウス殿下は「ち、ちょっと待て! 3年前から俺の廃太子を考えていただなんて初耳だぞ!」と騒ぎ立てます。
しかし国王陛下はそれを無視しました。
「カミラ殿にその件を相談してみたところ、彼女はなんと申したと思う? 『ガイウス殿下が国政を任せられるような人間に成長するまでわたしが支えますから、どうかご自分の息子を信じてあげてくださいませ』だぞ」
「う、嘘だろ……」と驚くガイウス殿下。
知らなかったのは無理もありません。
「ガイウスを試す」という国王陛下との取り決めで、降格処分の件に関しては話せないことになっていましたから。
それでもわたしは、貴族学校での勉強を教えあいっこしたり、ユリアさんだけを身びいきするのをやめるように助言したり、色々と手を尽くしてきました。
正直何度も心が折れそうになりましたが、今日婚約破棄をされたことで完全にへし折られました。
世の中、『新約聖典』で語られるような綺麗事だけでは動かないのです。
「実力不足で申し訳ありません」と国王陛下に頭を下げました。
ですが国王陛下は「よい。むしろカミラ殿はよくやってくれた」と返事した後、ガイウス殿下に話の続きをします。
「カミラ殿には、新しく王太子となる弟エリアスと婚約を結び直すという選択肢もあった。それでもカミラ殿は、貴様が私と同じくらい凡庸な国王になれると信じて、私に頭を下げたのだ」
国王陛下のおっしゃるとおりです。
陛下自身が「凡庸」ではなく、優秀だという点以外では。
「それを貴様はなんだ。少し可愛い女に誘惑されたからといって、身も心も美しいカミラ殿との婚約を破棄するとは何事だ。無能だ無能だとは思っていたが、恋愛だか性欲だかで判断を誤るほどの無能だったとはさすがに思わなかったぞ」
「お、俺は間違ったことはしていない! 真剣にユリアを愛して──」
「私情で政略結婚を取りやめようとした貴様は国王、いやそれどころか村の領主すら向いていない。よって、貴様が持っていた王太子位をエリアスに移譲する。以上だ」
国王陛下の言葉に、ガイウス殿下は黙ります。
ご自分の立場がようやくわかったご様子です。
──と思いきや、歪んだ笑みを浮かべ始めました。
「別に王太子の座なんてなくたって俺にはユリアがいる。大人しく王宮に引きこもって、ユリアと二人で真実の愛を深めるさ」
「な、ユリア」と言いながらユリアさんの肩に触れようとするガイウス殿下。
しかしパシンという音が聞こえてきました。
ガイウス殿下の手が、ユリアさんの手で弾かれたのです。
まるで「触らないで」と言っているかのようです。
「こんなはずじゃない、このままじゃ……」
「おいユリア、叩くことはないだろ。いつもハグくらいはしてたじゃないか」
ハグくらいは、ね。
ですが問題はそこではありません。
ユリアさんが虚空を見つめて、ぶつぶつとつぶやいていたというところです。
「──わたし、ガイウス元王太子殿下のことが嫌いになりましたー。もう顔も見たくありませーん。ということで、これでお別れですっ」
あらら、ユリアさんの態度に変化が。
先ほどまでのフランクすぎた口調を、今は敬語に改めています。
笑顔や声音は明るいままですが間延びした感じで、かつ甘さ控えめです。
どうやらユリアさんは最初から、ガイウス殿下という男が好きだったわけではなさそうです。
それもそうでしょう、ガイウス殿下から「王太子位」を取ったら、魅力が非常に分かりづらくなりますから。
致命的なのは、ガイウス殿下は女心……というより人の心が分かっていないことです。
対等な立場であるわたしですら一方的に気を遣わされましたからね、間違いありません。
さて、そんなガイウス殿下は、ユリアさんの豹変が信じられないようです。
「う、嘘だろ……本当は俺のことが大好きなんだよな? いつも言ってたじゃないか」
「女々しいですね。キモいですっ」
「その言葉も嘘なんだよな……? ほら、あいつ──カミラがいつも言ってた『ツンデレ』ってやつなんだろ?」
これはツンデレではないと思いますよ?
本当にわたしを嫌っていたガイウス殿下をツンデレ呼ばわりしたわたしですら、簡単にわかっちゃいました。
さて、ユリアさんの答えは……
「エリアス殿下、助けてください!」
ユリアさんは悲痛な面持ちを浮かべ、甘い声で弟のエリアス殿下に助けを求めました。
エリアス殿下は新3年生としてパーティに参加していたのです。
金髪マッシュのエリアス殿下は、ユリアさんを守るように小さな肩に手を置きます。
さながら物語の王子様のようですね、エリアス殿下は本当の王子なのですが。
「ありがとうございます、エリアス殿下……えへへ」
ユリアさんは頬を赤らめつつ、じっとりと湿った瞳をエリアス殿下に向けます。
なんと出血大サービス、上目遣いです。
わたしはまあ一応部外者?ですので「あざといな」と冷静に見ることができますが、当事者であるエリアス殿下は魅了されてしまうのでしょうか。
エリアス殿下も男ですしね、可愛い女の子に笑顔で感謝されてうれしくないはずがありません。
少なくとも損はしないし、悪い気もしないと思います。最低でもプラマイゼロ。
まあ、もしエリアス殿下までガイウス殿下の二の舞いになれば、世も末なのですが……
「エ、エリアス殿下!? こ、これはどういうことですか!?」
突然、ユリアさんが叫び声を上げました。
ユリアさんはなぜか両腕をくっつけた状態で、髪を揺らすほどに動揺していらっしゃいます。
よく見てみると、なんとユリアさんには手錠がはめられていました。
「さすがはエリアス、さっそく格の違いを見せつけるか」
国王陛下はしたり顔でうなずきます。
暗にガイウス殿下をディスっているのがよくわかります。
この人本当にガイウス殿下のお父上なのでしょうか……ちょっと心配です。
「エリアス殿下! どうしてわたしに手錠なんて──あ、もしかしてエリアス殿下は実はツンデレのドSで、拘束プレイを──」
「その発言、僕でなければ不敬罪に処されていたところだ──あなたを拘束したのは、虚言を用いてカミラ皇女殿下をおとしめようとしたからだ。ユリア・アデライト公爵令嬢」
エリアス殿下は冷静に言葉を紡ぎます。
直情的な兄・ガイウス殿下とは大違いですね。
「きょ、虚言!? わたし、嘘なんてついてません! 本当にカミラ皇女殿下にいじめられて──」
「まだ誰も『いじめの件』と言っていないのだが?」
「あうっ……!」と、ユリアさんは顔を真っ青にして震え始めました。
これはエリアス殿下が有能というよりは、ユリアさん自身が焦りすぎなのが敗因ですね。
エリアス殿下は肩をすくめながら続けます。
「訳あって、入学当初からユリア嬢を定期的に監視していた」
え、そうなの?
……と思っていましたが、実務はどうやらエリアス殿下の部下がされていたそうですね。
よかった、エリアス殿下がユリアさんに惚れて、ストーカーになったのかと。
エリアス殿下は姿勢を正します。
「ユリア嬢はカミラ皇女殿下に濡れ衣を着せるための工作を働いていた」
エリアス殿下はみなさまに語りかけた後、複数人の生徒たちに質問していきました。
あの生徒たちはおそらく、エリアス殿下が事前に用意した証人なのでしょう。
証人たちは、ユリアさんについて口々に語ります。
一つ、自分の教科書に「姦淫と石打」に関する聖書の文言を落書きし、他の生徒に分かるようにゴミ箱に捨てた。
二つ、自ら制服に石を投げつけて土ぼこりをつけた後、ガイウス殿下に「石を投げられた」と報告した。
三つ、階段に水と油をまいた後、転んだふりをして通りがかった生徒に助けを求め、ガイウス殿下の耳に入るように仕向けた。
それ以外にも、ユリアさんが受けたとされる数々の「いじめ」が虚言であると、証言してくださいました。
みなさま、本当にありがとうございます。
「そ、それじゃあカミラは何もしていなかったと言うのか? 俺はユリアにだまされていたとでも……?」
「そのとおりです兄上」
呆然自失とつぶやくガイウス殿下に、エリアス殿下は答えます。
エリアス殿下はただひたすらにすまし顔をしていました。
「もともと、ユリア嬢の父親であるアデライト公爵は王国を乗っ取ろうと画策していました。その公爵が目をつけたのが、王太子だった兄上です。公爵はユリア嬢を使い、兄上へのマインドコントロールを試みました。いずれ兄上が国王となった後、ユリア嬢を通じてグレイン王国を意のままに操るために」
「だ、だから王太子でなくなった俺は用済み、というわけか……最初から俺はだまされていたんだな」
エリアス殿下は、何も言いませんでした。
それを見たガイウス殿下は拳を握り、眉根を寄せました。
「ユリア、てめえ! よくもだましやがったなッ!」
「それはこっちのセリフですよ! なんで王太子じゃなくなったんですか! なんでわたしが手錠をはめられなきゃいけないんですか!」
ユリアさんは怒り狂ったチワワのように、小さい身体でキャンキャンと吠えます。
先ほどまでは確かにあった「余裕」がすっかり消え失せています。
そんなユリアさんに、エリアス殿下は向き合います。
「アデライト公爵が国家転覆をもくろんでいたこと、そして公爵の娘であるあなたが兄上を操り人形にしようとしていたことは、すでにお見通しだ。すでに捕らえている公爵夫妻からの証言もある」
「うそっ、お父さんとお母さんが逮捕っ!? 今日は遅れてパーティにやってくるんじゃ──」
「僕の部下がついた嘘を真に受けてくれてよかったよ──衛兵、アデライト公爵令嬢ユリアを国家反逆の容疑で連行せよ」
エリアス殿下の命令に従い、衛兵たちがユリアさんを引っ張ります。
ユリアさんは「わたしは何もしてない! 放して! いやあああああああっ!」と暴れましたが、最終的にお腹を殴られ気絶した様子でした。
ユリアさんが去った後のパーティ会場には、静かな空気が流れていました。
しかしその流れを断ち切ったのは、やはりガイウス殿下でした。
「カ、カミラ! さっきの婚約破棄は取り消す。だからもう一度やり直してくれないか!?」
ガイウス殿下は、それはもうきれいな土下座を見せてくださいました。
心境の変化に驚きですが、とりあえず話は聞きましょう。
「どうしてですか?」
「俺はお前が言う『ツンデレ』だったんだ!」
「先ほどご自分で『俺はツンデレじゃねえ』とおっしゃったばかりではありませんか」
ガイウス殿下はユリアさんにガチ恋し、大嫌いだったわたしとの婚約を破棄した。
それが何よりの事実ではないでしょうか。
「ガイウス殿下。もし本当にわたしのことが好きだったとしても、ツンデレは今どき流行らないですよ?」
「お、お前! 『わたしは殿下のツンデレなところ、かわいいと思います』とかなんとか言ってたじゃないか!」
「それはあなたが婚約者だったころの話です。今は違います。わたしが間違っていました」
たとえ嘘でも「好き」と言ってくれる人のほうが、いいに決まっています。
ガイウス殿下だって、ユリアさんの「好き」という言葉にメロメロだったのでしょう。
それに、わたしがガイウス殿下を「ツンデレ」呼ばわりしたのには理由があります。
わたしに暴言を吐いたり、婚約者を差し置いてユリアさんとイチャイチャするガイウス殿下を、悪者にしないためなのです。
ですが今は、そうする必要もなくなりました。
「それにガイウス殿下、ユリアさんとはもうよろしくやっていたのでしょう?」
わたしの言葉に、ガイウス殿下は無表情で黙り込みます。
「教皇の娘として、将来の聖職者として、他の女と交わった男と結婚するわけには参りません。それが元婚約者ならなおさらです。不貞行為を働いた男はいりません」
「……………………って、ない」
「はい?」
「だから! ユリアとはヤッてねえって! 言ってんだよおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
おっ、大声でそんなはしたないこと言わないでくださいなっ! 恥ずかしい!
「ユリアのやつ、『結婚したらいっぱいシようね?』とか『お兄ちゃんが司祭で厳しいから』とかなんとか言って、いっつもいっつも俺の誘いをのらりくらりとかわしやがったんだ! キスだってまだしてねえし、ハグだってつい最近解禁されたばかりなんだよおおおおおおおおおっ!」
「うがああああああああっ!」とガイウス殿下は頭をかきむしります。
ガイウス殿下がぶっ壊れました。
それにしてもガイウス殿下はかわいそうです。
ガチ恋した相手に延々と焦らしプレイをされて、しかも衆人環視のもと盛大に振られましたからね。
壊れるのも無理はありません。
しかし、ガイウス殿下はそれなりに自制していたようですね。
腕力さえあればどうにでもできるのに、それをしなかったのですから。
「いや、さすがに『不意打ちでキスしてやろうか』くらいは考えたぞ! でも嫌われたくなかったし、しかも俺は王太子だから色々面倒なことになるって分かってたんだよ。だからまずお前との婚約を破棄して、ユリアと結婚したかったんだ! なのにあのクソ女! 最初から俺の純情を利用して、だましやがったんだ! クソクソクソクソ!」
「……ということはつまり、ガイウス殿下が一番好きだったのはわたしではなくユリアさん、ということですよね?」
「うぐっ」
語るに落ちましたね。
今も昔も、ガイウス殿下の心の中にわたしはいないようです。
まあ、わたしもただの婚約者としてしか見ていなかったので、おあいこかもしれませんが。
「わたしの皇女位にしがみついて王太子に返り咲こうとする男など、こちらから願い下げです。間に合ってます」
「待て、それはお前も同じだろ! お前だって王太子である俺との婚約破棄を、避けたかったんじゃないのか!」
「『婚約破棄された』となると面倒だなと思っただけです。なにせあれは教皇聖下と国王陛下が決めた政略結婚ですからね。わたしの意志なんてあったものではありません。先ほど自由意志で婚約破棄を宣告し、今になってそれを取り消そうとしているあなたとは違って、ね?」
「く、くそがあああああああああああああっ!」
「見苦しいぞガイウス」
絶叫するガイウス殿下を、国王陛下は睨みつけます。
「衛兵、ガイウスを自室に連れて行け。多少手荒な真似をしても構わぬ」
国王陛下の命令により、複数人の衛兵がガイウス殿下を取り押さえます。
ガイウス殿下は「そのド汚い手を放しやがれ!」などと言って暴れましたが、結局は当て身を食らわされて気絶し、そのまま運ばれていきました。
大量のワインは、ガイウス殿下から「武術」という才能を奪ってしまったのですね。
……ところでこれからどうしましょう。
ガイウス殿下の婚約破棄宣告のせいで卒業パーティはめちゃくちゃです。
元凶がいなくなったとはいえ、みなさまとおしゃべりする雰囲気ではなくなりました。
さて、適当にご飯を食べてワインを嗜みつつ、壁の花になって様子見しましょうか。
会話する気ゼロなのは皇女らしくないとは自分でも思いますが、ガイウス殿下やユリアさんのせいで疲れたのでしょうがないです、ええ。
必要以上に注目されまくりましたしね、二度とごめんです。
「カミラ皇女殿下」
取皿を取りに行こうと歩を進めようとしたその時、エリアス殿下に声をかけられてしまいました。
色々気を遣われたら嫌だなーと思いつつも、笑顔を作って「はい」と振り向きます。
「僕と結婚してください」
「エリアス殿下はもっとジョークセンスを身に付けたほうがいいと思います。お気遣いには感謝いたしますが、正直に申しますと面白くなかったです」
「いえ、僕は冗談でこんなことを言っているわけではありません──カミラ皇女殿下の使命は、我がグレイン王国の王太子と結婚することでしたよね」
「そうですね。ガイウス殿下に婚約破棄された時点で失敗していますが」
「では、今の王太子は誰でしょうか?」
兄であるガイウス殿下は、本日付で王太子位を剥奪されていますから……
「……エリアス殿下、あなたですね」
「そうです。そして僕に婚約者はいない」
これは以前、国王陛下から聞いた話なのですが……
エリアス殿下は「兄ガイウスのスペア」という位置づけであり、縁談を先延ばしにされていたそうです。
まあ王家や皇家ならまだしも、貴族家のパワーバランスなんて数年・十数年も経てば色々変わりますからね。
実際、0歳のときに婚約した家が15年後に没落、あるいは婚約者と兄弟姉妹が死亡した、なんてことは珍しくありません。
だから国王陛下は今までずっと、エリアス殿下に縁談を一切持ち込みませんでした。
よってエリアス殿下は未だに誰とも婚約されていない、ということです。
「もちろん、これは父王のおぼしめしでもあります。普段から『ガイウスが失脚するケースを想定して動け』と教わってきましたので」
「なるほど」
「それにカミラ皇女殿下、僕はあなたのことがずっと好きでした」
エリアス殿下は顔を赤らめていますが、わたしにまっすぐな視線を向けてきます。
これはもう「冗談」で済ましてはならないものですね。
「今までは兄上の婚約者だった手前なにも言えませんでしたが、いま本心を打ち明けますね? ……僕は小さいころ、兄上にいじめられました」
ええ、知っています。
ガイウス殿下は、優秀な弟であるエリアス殿下に嫉妬していたのです。
わたしも婚約者として、ガイウス殿下が弟をいじめるたびに注意してきました。
今となっては、ガイウス殿下の心のケアを優先すべきだったと反省していますが。
「あのときは本当に辛かった。僕は兄上のことを敬愛していたのに、それが分かってもらえなかったのですから」
そう、ガイウス殿下は無能ではありましたが、誰からも愛されないほどの無価値な男というわけではなかったのです。
王太子としての重圧にもがき、弟に勝つために報われない努力をして、唯一の強みである剣術に磨きをかけた。
そういう姿勢を、エリアス殿下は敬愛していたのです。
ですがわたしは、ガイウス殿下の境遇を「かわいそう」としか思えませんでした。
そのあわれみが言葉の端々に現れたせいで、ガイウス殿下に嫌われたのでしょうね。
ガイウス殿下は確かに国王や領主としては無能ですが、武術の腕前や思い切りの良さは武官に向いています。
また挫折経験があるうえに人から頼られるのが好きなので、迷える子羊を導くこともでき……ませんね、人の気持ちがわかりませんから。
エリアス殿下は子供の頃から、ガイウス殿下の「本質」を捉えていました。
ですがエリアス殿下はガイウス殿下にいじめられるたびに萎縮し、ついぞその思いを伝えることができないまま今日を迎えたようです。
「ですがカミラ皇女殿下は、僕がいじめられるたびに助けてくださいました。それに『いつか想いが届く日が訪れます』と励ましてくださいました。結局は兄上との溝を埋められずに今日まで生きてきましたが、カミラ皇女殿下の優しさが単純に嬉しかったのです」
「そんな、あれは言ってはなんですが気休めみたいなもので──」
「たとえ気休めであったとしても、僕の心を救ってくれたのは事実です。そして僕の想いは多分、兄上が言っていた『真実の愛』というものなのでしょう。こんな思いをしているのは、今も昔もあなたに対してだけです」
エリアス殿下にそこまで言われて、うれしくないわけがありません。
兄のガイウス殿下は、どれだけわたしが頑張っても褒めてくださらないどころか、叱責することもあるくらいでしたから。
エリアス殿下はわたしにひざまずき、手を差し出してきました。
「僕と結婚して、次期王妃として協力してください。そして二人で幸せになりましょう」
「お受けいたします。ですが一つだけよろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「今回の婚約破棄は『真実の愛』によって引き起こされました。そこで反省しました。婚約者を繋ぎ止められるだけの愛が足りなかったのだ、と」
わたしはガイウス殿下のことを憐れみ、「この人はわたしがいないと」と世話を焼きながら無意識に見下し、支配しようとしていました。
一方のガイウス殿下は、わたしのすべてを嫌っていました。
だからガイウス殿下は、「好き」と言ってくれたユリアさんに恋をしました。
だからわたしは、ユリアさんにガイウス殿下を奪われたのです。
たとえユリアさんの「愛」が、ガイウス殿下を利用するためのまがい物だったとしても。
わたしはその「まがい物」に負けたのです、反省しないわけには参りません。
「わたしに恋を教えてくださいませんか? もちろんなんでもしますから」
「あはは。それ、僕のことを好きじゃないって言ってますよね」
「いえ、そんなことは! ……エリアス殿下のことは好きですよ? 人間として」
エリアス殿下は「うーん」とうなりながら肩をすくめました。
「まあいいか、これから仲良くなればいいんだし──とりあえず一緒に食事をしながらお話しましょうか。お友達から始めましょう」
「いいですね、そうしましょう──それにしても、疲れたせいかお腹が空きました」
わたしとエリアス殿下は食事を取り分けた後、お互いのことについて話し合いました。
元婚約者ガイウス殿下の弟──つまり「義弟」という関係から、友達・親友・恋人へステップアップするために。
◇ ◇ ◇
結局、国家反逆罪の有罪判決を受けたユリア・アデライト公爵令嬢は、王都の広場で斬首された。
ギロチンの刃で首を切断され、一瞬で絶命した。
多くの人々は反逆者の処刑に湧いたが、一方で「ガイウス殿下をたぶらかしたんだから、『旧約聖典』のとおり石打にすべきだ!」という意見もあった。
しかし「今は新約の時代です」という皇女カミラの慈悲で、苦痛がもっとも長く続く「最悪の刑」は回避された。
もちろん国家反逆を企てたアデライト公爵の一派は、一族郎党処罰されることとなった。
彼らの領地はいったん王国直轄領となり、有能な貴族子女や騎士が新たな領主となった。
ユリアに純情をもてあそばれて心を壊された元王太子ガイウスは、国王の忠告を聞かずに修道院の門戸を叩いた。
後に一人の司祭に感化されて聖職者となり、信者としてやってきた弟エリアスと「折り合わない」という一点で折り合ったのだが、それはまた別の物語。
そして公開婚約破棄から約1年後。
恋を知らなかったエルディア教国皇女カミラは、新たにグレイン王国の王太子となったエリアスと相思相愛の関係となった。
カミラはエリアスの学校卒業と合わせて正式に結婚し、王妃として忙しい日々を送る中でエリアスと愛し合い、幸せな日常を過ごしたのであった。
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