TRPG部 パイロット版2
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車椅子に座した鷹飼 六花の前に片膝をついて、図書委員の彼は一冊の本を手渡した。
簡素な装丁の単行本。
表紙には麦穂を抱いた貴族令嬢、傍らには宝剣を手にしたふたりの貴公子が彼女を守るようにして邪竜の影と対峙している。壮大な世界観、冒険と恋の浪漫がこの一冊にあると予期させる。
『悪役令嬢に転生したらドラゴン退治をするハメに TRPGルールブック』
と、長いタイトルが記されている。
通称ドラハメ。
人気ネット小説のドラハメはアニメ化と舞台化だけでなく、このたび原作およびアニメをベースにしたTRPG作品も刊行することになった。それが今、六花の膝上にある一冊だ。
悪役令嬢ものという定番ジャンルの一種。ドラハメは乙女RPGゲーム世界に悪役として転生してしまった現代人の主人公が本来の破滅する運命を回避するためにドラゴン退治の冒険活劇に旅立つ、という作品だ。
「探している新刊、これか」
「あ、ありがとう……ございます」
表紙の貴公子、黒髪に黒衣を纏った陰のある美青年。図書委員の彼は雰囲気がどこか似ている。
寡黙な、悲壮な覚悟を瞳に宿した赤き宝剣の担い手であるクロリス皇太子。異世界ファンタジー小説の登場人物とそっくりだなんてもしここで言ったら、彼はなんて顔をするのだろう。
片膝をついて本を手渡す。少しだけ、騎士が姫君の手に忠誠の口づけを捧げる仕草に似ていた。
夕暮れ時の図書室は人も他にいないせいか、とても静かだ。
しばらく六花が黙っていると、図書委員の彼は用が済んだとみて、立ち去ろうとする。
「あの」
「まだなにか頼み事か、遠慮はいい。俺の仕事だ」
「あ、うん、私、その……」
もうちょっと会話を続けたくて呼び止めてしまっただけだ、とは六花は言い出せなかった。
なにか話題を探して本をめくると、図書館の本なのに貸し出しカードがないことに気づく。
「あの、これ、図書館の本じゃ……」
「卓上遊戯部の蔵書だ。そう印字がしてある、他の図書委員に返却しても構わない」
確認する。ちゃんと卓上遊戯部と書いてある。
となると彼は図書室に入荷していない本を、どこかの部室から探してきたことになる。
「卓上遊戯部……その、いいんですか」
「俺も部員だ。部長の許可もある。TRPGに興味を持ってくれるならと言っていた」
「……親切に、本当にありがとうございます」
「仕事だからな」
素っ気ない、不器用な返事。照れる様子さえない。
無感動なのか、表情に出さないタイプなのか、どうでもいいのか。いまいち感情が読めない。
六花はそこに親近感をおぼえる。六花も感情表現が苦手なタイプだからだ。
クロリス皇太子のキャラクター描写をやはり思い起こす。皇太子は細身でも武人だから背が高くて鍛えた体つき、頬傷も負っているが図書委員の彼は当然そうではない。背はやや低め、体つきは人並み、傷跡だってない。頼りになる達人とは程遠い、文学少年だ。それでも顔つきや雰囲気には通じるものがある。
雑にいえば、クールでカッコいい。
もっと詩的な表現を選びたいが、六花にはじっくり印象を言語化できる余裕がなかった。
図書委員の彼は用事が済んだらどこかへ行こうとするからだ。
「あの、えと」
「……他には」
「先輩は、この本を読みましたか? ドラハメ、知っていますか?」
「いや、読んでいない。原作も名前以外はよく知らない」
鉄壁のブロック。
ふたりの会話を弾ませようという気が微塵も感じられない。
ウザがられているのかと不安になり、六花は「そう、ですか……」としか返事できない。
今度こそ去っていく彼の姿をただただ見送る。
目的の本を借りることができたのに、なにか失敗した気分の六花。車椅子をしょんぼり転がす。
「……名前、教えてくれないか」
そう尋ねた彼は、図書室の受付席に座って貸し出し管理帳を開いている。
「鷹飼、六花です。キーッ!と鳴くあの鷹を飼う、氷雪の六に花です」
「わかった」と彼は筆を走らせる。
一礼して部屋を後にしようとする六花。彼はぽつりと言葉する。
「二年、犬飼。犬は飼っていない」
「……ぷふっ」
冗談を言われたと気づいて、少々遅れて六花は笑い声をもらした。
「私も鷹、飼ってません。“お高い”ので」
冗談で返すと「ふっ」とほんの軽く流される。小さくても笑ってはくれたようだ。
返却期限より早めに返しに来よう、と六花はひとり心に決めた。
しかしすぐに後悔することになる。
『TRPG』
ドラハメの関連書籍ならば難なく読了できると思われたこの本にはどでかい落とし穴があった。
TRPGのルールブックには――こう記されていた。
【必要なもの:何人かの仲間。限りない想像力。紙と鉛筆とサイコロ】
「……友達……」
六花は途方に暮れる。そして世界の片隅でひっそりとつぶやく。
「友達は別売りですか?」