26 会えなくなって
次の日もキリル様は仕事が終わってから私に会いに来た。
そういっても、玄関で挨拶をしてから私に本を一冊手渡し、すぐに帰ると言ったので、身構えていた私は、自分の過剰反応がとても恥ずかしくなった。
「これって、絵本ですわよね?」
キリル様が持ってきた本はなぜか幼児が読むような絵本だ。ページをめくってみると、それは王子様に恋するお姫様の話だった。
「なぜこの本を私に?」
「読んでもらいたいだけです」
私が問いただしても、そう言われただけだから理由は謎のままだ。
それから毎日、キリル様は一冊づつ私に本を渡してきた。
それがもう一週間も続いている。
受け取った本を読んでみると、中身はすべて恋愛小説で、日を追うごとに少しづつ、対象年齢が上がっているようだった。
「わかったわ。たぶんこれで、恋心や乙女心を勉強しろということね」
今日渡された小説は、自分と同年代の少女が主人公だった。
好きな人に対して素直になれなかったせいで、主人公と距離ができてすれ違っているうちに、相手が不治の病に侵され病死してしまうという内容だ。
悲恋であまりにも切なすぎて涙なしでは読めなかった。それまではすべてハッピーエンドで終わる話ばかりだったのに、なぜキリル様はこんな悲しい本を選択したんだろう。
「明日、聞いたら教えてくれるかしら」
そう思っていたのに、次の日は夜遅くなってもキリル様はいつまでたっても侯爵家に訪ねてこなかった。
部屋のなかにいると、普段は気にならない時計の音が妙に耳につく。
じっとしていられなくなった私は、気を紛らわせるために、中庭で散歩することにした。
心配したターナが後をついてこようとしたけど、もう倒れる心配はないからと、それは断っる。
それでも背後に気配を感じるから、遠巻きで見守っているようだ。
「こんなところにいたのね、お姉さま。キリル様はまだいらっしゃらないの?」
「ノエル……」
結局庭には出ず、私が玄関でうろうろしていたところをノエルに見つかってしまった。
「べ、別に私はキリル様を待っていたわけじゃないのよ。窓の外が明るかったから、気になっていただけなの。ほら、今日は満月だから」
「ふーん。お部屋からでも見えるのにね」
「えっと、それは……」
「お姉様って意外と頑固だったのね。好きなら好きでいいじゃない。いつまでもそんなふうだと、キリル様に同情しちゃうわ」
「……」
「でも、本当に今日は遅いわね。昨日、何か言ってなかったの?」
「別に何も」
「そう。お姉様がここにいるならわたしも付き合うわよ」
「いいえ、私は部屋に戻るからノエルももう休んでちょうだい」
「本当に?」
「キリル様が来たら、ターナが知らせてくれるでしょうし」
私は玄関ドアの方を一度振り返り、馬車が止まる様子もないことを確認すると、ノエルと一緒に自室のある二階へと向かった。
結局その日、キリル様が訪ねてくることはなかった。
「もう五日目……」
キリル様の訪問が途絶え、しかも手紙や伝言も届くことがない。本当になんの音沙汰もなくなってしまった。
「心配なら、教会に会いに行きましょうよ」
「きっと迷惑になるわ。あんなことがあったんだから、私たちは教会に顔を出さない方がいいと思うもの」
「言われてみればそうね。でも、お姉様にあれだけ熱心だったキリル様が連絡ひとつ寄こさないなんておかしいわよね」
ノエルも怪訝そうな顔をしている。
「忙しいんだと思うわ。さすがに何かあれば知らせが来るんじゃないかしら」
初めはそう思っていた。
それに本当にキリル様に何か問題が起こっていれば、父の耳にだって入ると思う。私に何も言わないのだから、たぶんキリル様は普通に生活しているのだろう。
「音信不通になって十日もたったわ」
ここまでくれば、さすがにキリル様の気持ちが変わってしまったんだと、鈍感な私でも気がつかないわけがない。
「私がいけなかったのよね」
キリル様を想うたびに胸の奥だけではなく、身体全体にどくんと大きく脈打ち、嫌なしびれのようなものも感じる。
「あの小説の主人公もこんな気持ちだったんだわ」
私は白金水晶の指輪を見つめて、同じ色をしたキリル様の美しい瞳を思い出していた。
私の胸の奥にくすぶっている思いは、きっとキリル様が言った通り愛なんだろう。
だって、もし、愛することを私が知らないとしたら、あの小説を読んだときに感情移入なんてできるわけがないと思う。
「キリル様を傷つけた罰があたったんだわ」
キリル様に抱きしめられたあの日、もし本当に私のことを愛しいと思ってくれていたのだとしたら、私が否定した言葉は、どれだけ彼を苦しめたことだろう。
キリル様が愛を囁くたびに、いつもひどい反応を返していたくせに、今頃になって、やっと、気持ちが届かないということが、どんなにつらいかわかるなんて。
私はなんて馬鹿だったんだろう。




