皇族のお食事
「おお!」
「あの歌い手は誰だ!」
大通りの観衆達は今日の「リューゲリアの蕾」が無名歌手であることに落胆し、顔はいいがどこぞのお大尽の愛人か何かだろうと侮っていたのだが、ラフカの歌声を聴くなり目の色が変わる。どよめきが上がり、そのどよめきで歌を掻き消してしまうのがもったいないと、慌てて口を噤んで皆が彼の歌声に集中し始めた。
だが、ラフカの歌に関心を惹かれたのは人間だけではない。
ラフカの赤い瞳は、虚空に小さな火の精が出現するのを見た。精霊はクスクスと楽しげに笑いながら彼に纏わり付き、火を出現させて遊ぼうとする。
(今は黙っていて! 今日は帰って!)
慌ててラフカは心の中で精霊に呼び掛けた。いくらなんでも、こんな真面目な式典で火炎ショーなど見せたら、空気が読めないで済む話ではない。
すると、火の精霊は不満を表すように、蝶の羽を震わせて空間を不規則に舞い始めた。
――ツマラヌ、ツマラヌ。妾ヲモット遊バセロ!
(お願いだから、今はおとなしくしてて!)
――遊ベ、妾ト遊ベ!
(後でいくらでも遊んであげるから。約束するから!)
――約束シタゾ! 約束ヤブリハ許サヌゾ!
不満げに叫びながら火の精霊は虚空に消えた。ラフカは内心で胸を撫でおろす。彼にとっては精霊を好きに暴れさせることよりも、抑えることの方が神経を使う作業だった。
ラフカがふと玉座の方を見ると、皇帝と皇后が興味深そうな視線を自分に向けていることに気付く。歌を気に入ってくれたのか、あるいはもしかしたら、あのお二人には火の精が見えていたのかもしれないとラフカは考えた。魔人である両陛下の魔術行使能力は、火炎ショーごときの自分とは比べ物にならないだろうから。
(……って、そんなことを考えている場合じゃなかった)
ラフカは改めて歌に集中し直す。曲は「我が魂は天のもとに」で、難易度の高い鎮魂歌だ。たくさんの音符が並ぶ複雑なリズム、高低差の激しいメロディー、そして、死に向かう魂を想う歌詞。ラフカは女性のキーまで届く声と低い男声を使い分けながら、歌詞の世界をひたすらに追い求め、心を寄せていった。
そうやって歌に没頭していくうちに、だんだんとラフカの視界から現実世界が消えていく。歌と自分だけがそこにあるような感覚。ラフカはなぜ歌っているのかも忘れて、その瞬間は歌だけが彼の心の中にあった。
歌の中に自分がいるのか。自分の中に歌が満ちているのか。歌というものと自分というものの境界が曖昧になって、融け合って、自分の口から世界が紡ぎ出されていく。
ラフカがハッと我に返ると、鎮魂歌は終わっていた。舞台にいる自分、同じ舞台上の両陛下と死刑囚と役人達、舞台脇のレン。そんな景色からだんだんと現実を取り戻していく。
ラフカの目の前の死刑囚は体の震えが止まり、呆けたようにラフカを見つめていた。まだ少し頭がぼんやりしているラフカがにこりと微笑みかけると、死刑囚も力の抜けた笑みを返した。
その瞬間、刑務官によって死刑囚の顔に布が掛けられる。首切り役人が大剣を振った。
――ザシュ……!
鮮やかな太刀筋のもと、死刑囚の首は瞬きの間に胴体から切り離されていた。刑務官達がそれを大皿に据える。頭を失った体の方でも、首から吹き出す血を受け止めるように刑務官達が大甕を据えていた。
男女の刑務官が、それぞれワイングラスで大甕の中の血を掬い、恭しく両陛下に差し出す。
「彼の者は命をもって罪を償った」
「彼の者に害された罪なき者達の魂に安らぎが訪れんことを」
玉座から立ち上がりながらそう宣言したベリオードとベリアーダは、刑務官からグラスを受け取り口を付ける。二人は一息に中身を飲み干した。
その瞬間、広場に詰めかけた観衆から大きな歓声があがる。
「我らが民に、永久の安寧を!」
皇帝はそう宣言し、皇后の手を引いて馬車へと向かう。万雷の拍手と歓声に包まれながら、二人は馬車に乗り込み、名城と称えられるグリア城への帰途に就いた。
魔人と人間は外見だけでなく、食事にも違いがある。彼らは人間と同じ食物を口にすることが出来ない。彼らは「人間」からしか養分を摂取することができないのだ。今日の死刑囚の肉体はこれから城のお料理役に引き渡され、両陛下に饗されることになる。
イグリア帝国の皇族は歴代、死刑囚の血肉しか口にしていない。それは彼らがこの国を統治すると決めた際に一族に課したルールなのだという。
だが、すべての魔人がそういった制約を持って国主の役に就いているわけではなかった。ラフカは興行で外国からの旅行者や行商人に出会った時、外の国では「美食のための虐殺」「娯楽のための狩り」「飽食という傲慢」が目立つ皇族もいると聞いたことがある。そういった国では人間に対する認識不足から統治機構や経済政策に課題を抱えていることが多く、反政府組織を作る人間も出てしまうのだとか。
死刑囚の死体の収容に取り掛かる役人達を横目に、ラフカは杖を突いて舞台を降りた。彼は目の前のレンに寄り掛かるように抱き着く。
「レン~……僕の歌どうだったぁ?」
「素晴らしかったよ。涙が出そうだった」
優しい深い青の瞳を潤ませながら言うレンの姿に、ラフカは心がくすぐったくなる。そんな気持ちに身を任せるまま、彼はレンの体にさらに密着した。そうするとレンの体はかなり鍛えてあるらしく締まっているが、それでも女性らしい優美な曲線と柔らかさも持っているのがわかって、ラフカはドキドキする。
「どうしたんだ、ラフカ?」
「うん……。すごく緊張してたのかな、なんかぐったりしちゃったぁ……」
少しわざとらしい甘え方ではあったが、実際のところ、ラフカは全身全霊をもって歌ったせいか疲労感が大きくぐったりしているのは事実だった。
「そうか。今日はもう休んだ方がいいかな。実はグリア城での晩餐会に呼ばれているのだが……
ああ、もちろん、それは両陛下が食事を済ませた後の酒宴で、陛下が関係者の労をねぎらう目的のものだから、普通に人間のための料理や酒が振舞われるんだけど」
「晩餐会!」
レンに抱き着いていたラフカがガバッと顔を上げた。
「僕、そういうの行ったことない! 行ってみたい!」
キラキラと赤い瞳を輝かせるラフカのゲンキンな調子に、レンは苦笑する。
「わかった。それじゃあ、一緒に行こう」
「でも、僕、晩餐会に着ていく服なんて……」
「さっきのテーラーに相談してみようか」
「やったー! ありがとう、レン。大好き~!」
にこにこと嬉しそうに笑いながら抱き着いてくるラフカの銀色の髪を、レンは微笑みながら撫でる。その心地よさに、ラフカはうっとりと目を閉じた。
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フミヅキ