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歌姫な僕と、名探偵な貴女 ~花散る帝都~  作者: フミヅキ
第一章 歌姫と探偵は花やぐ帝都にて出会う
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謎の女

 ラフカのいた見世物小屋は各地を転々としながら興行しており、今、帝都グリアにいるのは月に一度開催される大規模な式典に合わせてのことだった。イグリア帝国民が一生に一度は目にしたいと願う、式典というよりは儀式や祭事に近い催しで、地方の町や村からも講を組んだ人々が帝都見物も兼ねてたくさんやって来る。それを目当ての商売人や芸人も。だから、式典前後のグリアには人が溢れているのだ。


 その式典は、イグリア帝国の国花の名前から「リューゲリアの儀」と呼ばれている。残酷でありながら神聖な儀式。それはつまり、死刑囚の処刑と皇帝・皇后両陛下の饗饌に関する式典だった。


「皇帝陛下万歳!」

「皇后陛下万歳!」


 世に栄華を誇るイグリア帝国、その城下のメイン通りは最先端の流行を追う華やかな店が軒を連ね、連日人に溢れているが、今日のそれはいつもの比ではなかった。通りを埋め尽くすイグリア帝国民は、国の玉座に頂く二人を讃えながら、リューゲリアの純白と深紅の花びらを巻き散らす。それはまるで、大地に降り積もる白雪のようであり、戦場で吹き出す鮮血のようでもあった。


 メイン通りの突き当りのグリア噴水公園は、イグリア開国の初代・グリオード皇帝とグリエーダ皇后の立像を戴く、帝都を象徴する場所だ。二人の古き国主の眼前には、この日のために設えられた二つの仮玉座が今の国主の到着を待ち、既に兜で顔を隠した首切り役人が大剣を構えて待機していた。


 そこからほど近くの婦人服のテーラー。淑女向けの工夫を凝らしたドレス見本と、色とりどりの布が並ぶこの店は、リューゲリアの儀の待機所として借り受けられている。ラフカはそこで式典の管理官から渡されたドレスに着替え、はしゃいでいた。ドレスはラフカには少し大きなサイズだったが、テーラーが応急処置で一部の生地をつめてくれたおかげで、不格好にはならなかった。


 リューゲリアの花模様が織り込まれた絹の純白ドレスは、彼の妖精的な容姿をさらに引き立てていた。ラフカがクラッチ杖で器用に床を突きながら、くるくると回ると、花が開いたように白色のスカートと銀色の髪がふわりと広がる。


「ねえ、似合ってる? 僕、綺麗かな、レン?」


 ラフカが隣のレンに尋ねると、彼女は深い青色の瞳を細めてふわりと微笑んだ。


「うん。とても綺麗で可愛らしいよ」

「うふふ!」


 どうして彼女に褒められると、心がこんなにくすぐったくなるのだろう。ラフカははしゃいで笑いながらレンの腕に抱き着く。


「どうしたんだ、ラフカ?」

「僕、レンに褒められるのがすっごく好きなんだって気付いちゃった!」


 ラフカがそう言うと、レンは少し困ったような、照れたような顔で笑って、それがさらにラフカの心をくすぐったくさせた。


 その時、カランカランと来客を知らせる鐘の音と共に店の扉が開く。


 店に入ってきたのは、上品な黒のドレスを纏った婦人だった。高貴な身分なのか、顔を隠すベールの着いた帽子を被っている。十六歳のラフカ、十八歳のレンよりもいくらか年上だろうか。ラフカは目ざとく、婦人のドレスに使われている生地の希少さと、その生地と同色の糸でドレス全体に細かな刺繍が施されていることに気付く。彼は婦人の洒落者ぶりと、これだけの手間のかかった服をさりげなく着られてしまう財力に感心した。


「それが蕾の代理か?」


 女性はそう言って、高いヒールの靴でコツコツと床を叩きながらレンの元へ歩いていく。レンの知り合いなのかしらとラフカがレンの顔を覗き込むと、彼女は謎の婦人に向ける顔に一瞬だけ構えるような表情を見せたが、すぐに真面目な表情でそれを隠した。


「奥方様、供も連れずにお出掛けなど……。お一人での外出はお控えくださいといつも申し上げているはずです」


 奥方様ということはこの女性は既婚者なのだろうかと考えながらラフカは様子を窺う。


「ふん。わたくしに護衛など無用。お前はわかっていよう?」


 鼻で笑いながらそう言った夫人は、なぜかレンとの距離をさらに縮め、鼻と鼻が触れ合うほどに顔を近づける。


「それより、レン……奥方様などと他人行儀な言い方はしてくれるなと、いつも言っておろう?」

「ふぎゃあ!」


 ラフカが奇妙な悲鳴をあげたのは、夫人がベールの口元部分だけを上げ、レンの唇に自分の唇を重ねたからだ。ラフカはただ呆然と、頭を金槌で殴られたようなショックと共に二人のキスを見つめる。夫人が顔を離すと、レンは気まずそうな顔で、夫人の紅の付いた口元をハンカチーフで拭った。


「奥方様、お戯れはお控えください……」

「まったく、いつもお前はつれない……まあ、よい」


 夫人はくすくすと笑いながら、レンから離れる。ラフカが夫人を警戒するように睨みながらレンの腕に抱き着くと、夫人はさらに大きく笑った。


「くくく。レン、随分と可愛らしい恋人を連れておるではないか。小娘よ、心配せずとも、お前の愛しい人を奪ったりはせぬよ。しかし、こんな小娘とは、レンも物好き……」


 そう言ってラフカの顔を覗き込んだ夫人は、首を傾げる。


「いや、お前、もしや『小娘』ではないのか。余計に興味が失せた。ふふ。お前のようなチンチクリンは、例え本当の娘っ子であってもわたくしの愛人にしようとは思えぬがな」


 ベールの上からでも、夫人がラフカに向かってニヤニヤと笑っているのがわかった。色々な意味でバカにされたような気がして、ラフカは頬を膨らませる。


「ラフカ、奥方様の言葉はあまり気にしなくていい」


 レンはラフカの耳にそう囁いてから、小さく溜め息をこぼした。


「奥方様、こちらまで来た目的は、このようなおしゃべりをするためではないのでは?」

「おお、そうであった。レンよ、結局イヴは見つからなかったのだな? その代役がこのチンチクリンか」

「イヴ嬢を見つけ出せなかったことは、申し訳ございません。しかし、ラフカは素晴らしい歌い手です」

「よい。お前が選んだ代役であれば間違いはなかろう。ラフカとやら、頼んだぞ」


 夫人は身を屈め、今度はラフカの頬にキスをした。


「ひ!」


 突然の艶めかしい唇の感触と甘い花のような残り香に、他人との接触に慣れているはずのラフカですら硬直し、ドギマギしてしまった。夫人のニヤニヤ笑いが悔しくて、彼は咳ばらいで誤魔化しつつ、レンに今のスキンシップに何の感慨も受けていないことを示したくて、平静な態度で夫人との会話に挑んだ。


「お役目は僕に任せてください。責任をもって全うします。それで、あの……一つ質問してもいいでしょうか?」

「よいぞ」

「さっきの会話に出てきたイヴというのはどなたですか?」


 夫人はラフカの問いにすぐには答えず、ラフカの身に着けているドレスをじっと見つめてから口を開いた。


「本来、お前が今着ているその服を着るはずだった女の名だ」

「じゃあ、本当はその人が『リューゲリアの蕾』をするはずだったってことですか?」

「ああ」

「その人はどうしたんですか?」


 夫人はラフカの問いに答えず、レンに視線を向ける。レンは神妙な面持ちで口を開いた。


「昨日から彼女は失踪してしまったんだ。それで奥方様から依頼を受けて、私が彼女の行方を探していた。奥方様からは同時に、イヴが見つからなかった時のために、『リューゲリアの蕾』の候補も探すよう指示されていたんだ」


 その言葉にラフカは、レンと出会ったあの日、もしかしたらレンが仕事だと言っていたのはこの件だったのかもしれないと思い至った。同時に、そういう依頼を探偵であるレンにする夫人がどういう立場の人物なのか興味が湧いてくる。


「ねえ、レン。こちらの奥方様はどういう人なの? 『リューゲリアの蕾』の責任者とか?」


 ラフカの問いに、今度はレンが答えづらそうに口を噤んだ。一方で夫人はニヤリと笑う。


「イヴはわたくしの何人かいる愛人のうちの一人。彼女が『リューゲリアの蕾』をやりたいと言うから、式典の管理官に口を利いてねじこんでやったのだ」


 あまりに直截的な言い方にラフカは二の句が告げられなくなる。レンは困ったように「奥方様」と言うが、夫人は余裕の笑みだ。


「そのようなこと、ままあることでたいしたことではない。だが、無理やりねじ込んだ手前『イヴがいなくなった』では格好がつかぬ。ゆえにレンに捜索を依頼したのだ」

「ご期待に沿えず、申し訳ありません」

「よい。何しろ失踪が直前過ぎた。良い人材も見つけ出してくれたのだから不満もない」


 ベールの下で夫人はにっこりと笑う。


「間もなく始まる『リューゲリアの儀』には、わたくしも参加する。ラフカ、お前の歌を楽しみにしておるぞ」


 それだけ言って、夫人は踵を返して店を去っていった。嵐が去った時のような気持ちで、ラフカはその後姿を見送る。


「なんだか……圧倒的な人だったね……」


 どんな顔をしていいのかわからず、ラフカはとりあえず苦笑しながらレンの顔を覗き込んでみる。すると、レンは考え込むような、苦しげな顔で夫人の去った扉を見つめていた。


「レン……? どうしたの?」

「うん? いや……なんでもないよ」


 取り繕うような笑顔、何かを我慢するような顔でレンは言った。それを見たラフカの心にはモクモクと雨雲のような重くて暗い感情が広がっていく。


(あの夫人はレンと何か関係があるのかな? レンにあんな顔をさせるなんて……)


 面白くない、不安、嫉妬、疑惑。たくさんの気持ちが爆発したラフカは、感情に突き動かされるままにギュッとレンの腰に抱き着いた。彼女はびっくりした顔でラフカの顔を覗き込む。


「ラフカ? どうした?」

「僕、ずっと立ってたらなんか疲れちゃったの~」

「すまない。気付かなかった」


 甘えた声で言うラフカを、レンは椅子に連れて行こうとしたが、彼はレンに抱き着いたまま動こうとしなかった。


「ラフカ?」

「ねえ、しばらくこうしてていーい? なんかね、僕、座るより、レンにこうしてる方が元気出る気がするんだもん」


 ラフカがチラリと上目遣いにレンの様子を窺うと、困惑気味の彼女の顔が目に入る。


「だめぇ?」

「え、いや……だめということは……」

「じゃあ、このまんまでいーい?」

「わかったよ。しばらくこうしていよう」


 レンはラフカの体を支えるように彼の背中に腕を回した。


「やった~!」


 顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑うラフカに、レンも照れたように笑う。ラフカはレンにずっとそういう顔でいてほしくて、できれば、それを自分だけに見せてほしくて、レンを抱きしめる腕に力を込めた。

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