探偵助手の第一歩
見世物小屋から離れた二人は、近くのカフェに立ち寄っていた。あまりの急展開にラフカは頭が着いていかずに眩暈を覚えるほどだったが、馨しい珈琲の香りが心を落ち着けてくれた。
「これ、君に返すよ」
そう言って、青い瞳の美しい人は自分の指に着けていたリングをラフカに差し出す。ミルクと砂糖たっぷりの珈琲を飲んでいたラフカは、驚いて目を丸くした。
「え……でも……貴女にとって大切なものなんじゃないの、それって?」
「うーん……まあ、そうなんだけど、本当はこの前、君にあげたつもりだったし、このリングは私にとっては大事なものではあるのだけれど、何と言えばいいのか……。迷惑じゃなければ、君が持っていてくれないかな?」
彼女は少し思いつめたような表情をしていた。ラフカはこの美しい人にそんな顔をしてほしくないと感じた。
「こんな綺麗な物もらっていいの! じゃあ、僕がもらうね! 嬉しいなぁ! ありがとう!」
ラフカは少し大げさに喜びの声と顔を作って指輪を受け取った。チラリと彼女の顔を上目遣いに窺うと、やわらかい笑顔に戻っていたから、ラフカはホッと胸を撫でおろす。
ラフカには彼女に訊きたいことがたくさんあった。
「ねえ、貴女はどうして僕を……そういえば、貴女の名前は……?」
「ああ、すまない。名乗っていなかったね。私の名前はレン・ブラッドミラー。レンと呼んでくれて構わないよ」
「レン……」
ラフカは心の中で何度も彼女の名前を繰り返し呟く。
「レン……レンはどうして僕をあの小屋から連れ出したの?」
「迷惑だったかな? 勝手に君をあの一座から引き抜いてしまって」
「え? ううん! 僕、すごく嬉しかった!」
ラフカはあの時、とても驚くと同時に、心から嬉しかった。人間からはみ出した自分を必要だと言ってくれる人がいて。
ラフカの反応に、レンはホッとしたように微笑む。
「君の歌は本当に素晴らしかったから。その歌があれば、もっといい環境で仕事ができるよ。劇場や客層のいいキャバレーの支配人に知り合いがいるから、よかったら紹介するよ」
もちろん、レンの言葉がラフカは嬉しかった。でも、本当は「君のことが大切だから、あんな場所から連れ出したかったんだ」と言われたかった自分に気付く。
そんな想いは分不相応だろうか。
ラフカは上目遣いに、甘えるような声でレンに訴える。
「歌のお仕事にも興味はあるけど、もし許されるのなら、僕はレンのそばで働きたいな」
「え?」
「探偵助手というのは、僕を連れ出すための方便だったの? 僕、そういう仕事にとても興味があるんだ」
本当のところ、ラフカは「探偵」というのが具体的にどういう仕事なのかは知らない。でも、彼女のためなら、どんなことも出来る気がした。
彼の言葉を聞いたレンは、一瞬だけ目を丸くしてから優しく微笑む。
「よかった。実はうちの事務所には秘書がいなくて困っていたんだ」
レンの言葉にラフカは少しだけ落胆する。
――私も君にそばにいてほしいと思っていたんだ。
本当はそんな言葉をもらいたかったけれど、さすがにそれは我が儘が過ぎるだろうか。
「ラフカ?」
「ううん。なんでもない。今日からよろしくね、レン」
「こちらこそ、よろしく」
ラフカは自分が我が儘だという自覚はあるが、ある程度それを抑えるバランスも心得ている。
「それで、僕はどんな仕事をすればいいの?」
「実は今、ちょっと困ったことがあってね……。本来は探偵助手に頼むことではないのだけれど、君にしかできない仕事だと思うんだ」
「僕にしかできない……?」
首を傾げるラフカに、レンは微笑む。
「『リューゲリアの蕾』、やってみる気はある?」
「え!」
「ラフカの歌は『蕾』の役目にピッタリだと思うんだけど、どうかな?」
ラフカはレンの提案に震えていた。
「僕なんかが……いいの?」
「もちろん。でも、実は本来その役目をすべき人がいなくなってしまって、その代役なんだけどね。それでもいいかな?」
「これほど光栄なことはないよ。是非やってみたい!」
「じゃあ、行こう」
二人は連れ立ってカフェを出て、皇帝が鎮座する城下で一番の大通りを目指して歩き出した。