秘されていたレンの心
ラフカはニーシアの所在を探るため、昨日の夜からずっと浮浪者やゴロツキのたまり場を巡っていたらしい。それで筋の良くない人達の喧嘩に巻き込まれた。蹴りを食らって蹲っていたところを、たまたま以前にレンの探偵事務所の世話になったという人が通りかかって医者へ連れて行ってくれたのだ。
簡単な問診だけ受けて、レンは「もう大丈夫だ」とさっさと診療所から帰ってきてしまった。
今は探偵事務所の二階、ラフカとレンが共有しているダイニングルームで、ラフカの作った料理が並ぶテーブルについている。卓上には消化しやすいようにとラフカお手製のシチューが湯気を立てていた。
レンの正面の椅子に座ったラフカは、頬を膨らませた。
「もー! どうしてレンってすぐに無茶するの!」
「大した怪我じゃないよ。おかしいな、いつもはあれくらいでダウンを取られたりしないのに」
「元の怪我がまだ全快じゃじゃいのに無茶するからでしょ! 当たり前だよぉ!」
怒りに燃えていたラフカの瞳が、悲しげな涙に潤み始める。
「約束したじゃん。ちゃんと休むって。どうして僕との約束を破るの……?」
「ごめん」
レンはラフカの赤い瞳から目を逸らして項垂れた。
「ねえ。レンが今日無茶したのって、昨日陛下に言われたことを気にしてるの? ここまで調べたのに途中で仕事を奪われたのが悔しかったの?」
「そういうわけでは……」
「じゃあ、『ジーニア・ユリス』っていうのは誰?」
ラフカの問い掛けに、レンの肩が小さく揺れた。
「僕……さっき昔の新聞を読んだんだ。ジーニア・ユリスはニーシア達と同じく、アンチデモン戦線の戦士なんだね。三年位前、ベリオード様とベリアーダ様の地方巡幸の時、観衆を斬りつけながらお二人に襲い掛かったテロリスト達の首領なんでしょ? 見物人にたくさんの怪我人が出たし、彼を止めようとした近衛騎士が一人亡くなってる」
「ラフカ……」
レンの顔は怪我が痛む時のような表情を浮かべていた。ラフカは本当は彼女にそんな顔をさせたくなかったが、今、レンからきちんと話を聞いておかなければいけないような気がした。
「レン、僕は君が無茶をする理由を知りたいよ。それはきっとレンが苦しんでいるからでしょ? 出来れば無理はしてほしくない。でも、どうしてもそうせざるを得ないなら理由を知りたい」
真っすぐに見つめるラフカの赤い瞳を受け止めて、レンは目を伏せ、溜め息を漏らした。
「私は……城で暮らしていた頃は、近衛騎士団に混じって彼らの真似事をしていたんだ」
「うん……」
「私は皇族の一員ではなかったが、前の帝は私が城内で不自由なく暮らせるように手配してくださったし、先帝が亡くなってからはベリオード様もベリアーダ様も何かと気をかけてくださった。私が剣に興味を示すと、近衛騎士団と共に訓練を受ける機会を設けてくださったんだ」
レンは記憶を遡るように虚空を見つめ、それからラフカが首から下げるリングに視線を移した。
「ラフカ、君にあげたそのリング、それは先帝がご健在であらせられる頃、先帝とベリオード様、ベリアーダ様ご連名で私の誕生日にくださったものなんだよ。恐れ多いことだけれど、まるで家族の証のようで大切にしていたんだ」
「え! そんな大切な物……!」
「でも、私にはもうそれをつける資格はないんだ」
そう言って、彼女は唇を噛みながら目を伏せる。
「私の剣や体術の師匠はゼル・ティアードという人だ。当時の近衛騎士団長。人望も実力もある人だった。誰の目から見ても彼はベリオード様が一番信頼する騎士であったし、同時に陛下の一番お気に入りの『お話し相手』でもあった」
ラフカはこの前の晩餐会でベリオードの周囲に集まり、熱烈な視線を皇帝に送っていた近衛騎士達を思いだし、レンの言わんとしていることの意味を悟った。
「しかし、私は……優しく強い我が師匠に惹かれてしまったんだ。子供じみた憧れだったかもしれないけれど、当時の私はそれを恋心だと認識していた」
レンの告白に、ラフカは頭が真っ白になる。二の句も告げられず、ただ彼女の言葉が続くのを見つめる。
「私は弟子という自分の立場を利用して、優しい師匠に無邪気に甘えていた。師匠は私の生まれを知っていたから、無下にはできなかったのだと思う。そのうちにベリオード様は私的な空間に師匠をお呼びにならなくなった。変わらず騎士団長としての師匠を信頼はしておられたけれど、プライベートでのお話は一切しなくなったようだ」
「それって……ベリオード様がレンの気持ちに気付いて身を引いたってこと?」
レンは苦しげに自嘲の笑みを浮かべる。
「当時の私はあまりに無知で愚かで、単純に師匠と話す時間が増えたことを喜んでいた。陛下のお気持ちを推し量ろうとさえしなかった。恥ずかしいことだよ」
「レン……」
レンは溜め息をつき、再び重い口を開く。
「そして、ジーニア・ユリスの事件が起きた。私は近衛騎士団の一員を気取って、ベリオード様とベリアーダ様の地方巡幸に同行していた」
「新聞で読んだよ。お二人が孤児院の子供達や職員の人達と語り合っているところに、ジーニア・ユリスと大勢の仲間達が襲い掛かって来たって」
レンは硬い表情でテーブルの上に置いた腕を握り込む。
「突然だった。剣を構えた奴らは逃げ惑う子供達や無力な職員達、見物人達を傷付けることで場を混乱させ、近衛騎士団による警護の陣形を崩そうとした」
「で、でも、お二人の魔術があれば……」
「長い巡幸の旅でお二人はしばらく『お食事』を摂っていなかった。しかも、現場には子供達とテロリストどもが入り乱れている。お二人の魔術は面での攻撃には有効だが、点で狙う場合は数を撃たなければならず、無理をされたお二人は地に膝をつかれていた」
レンは苦し気に顔を歪める。
「全部ジーニア・ユリスの計算どおりだったってこと?」
「ああ……」
レンは悔しそうに唇を噛んだ。
「私も剣を構えて戦って……けれど、ある子供をテロリストの刃から守ろうとして、私は首に重傷を負ってしまった。普通の人間ならば致命傷だ。他のテロリスト達がチャンスと見て、私に次々と襲い掛かって来る。でも、師匠はそんな私を助けに駆けつけてくれた。私の身代わりになった師匠の体を、たくさんの刃が斬りつけた。誰が見ても私以上の重傷を負わされていた」
レンは血が滲むほど強く拳を握り込んでいた。
「私は見てしまった。師匠が刺された時のベリオード様のお顔を! あんなお顔、私は後にも先にも拝見したことがない! その時初めて私は陛下のご配慮を自覚した。その上、陛下の最も大切になさっていたその人を、私の不注意で失わせてしまったことを理解した。なんて情けない!」
そう言って、レンはがくりと項垂れる。
「結果、師匠はその傷のせいで戦死された。それなのに、私は生き残ってしまった」
レンは自らの体を気味悪そうに見つめる。
「その時初めて私は自分の体の特性を知った。それまで私はそんな大怪我を負ったことがなかったから、こんなに頑丈だなんて知らなかったんだ。ベリアーダ様に無理にお願いして魔術を習ったのも事件の後だからね」
「レン……」
「本当なら、ベリオード様にあんなお顔をさせてしまった私が死ぬべきだったんだ……」
「レン! 何てことを言うんだよ!」
ラフカが思わず叫ぶと、レンは苦しそうに顔を歪めながら頭を振る。
「だって、そうとしか思えないんだ。ベリオード様にこんなに酷い振る舞いをしてしまったのだから。ベリオード様に失望されるのも、嫌われるのも当たり前だ……」
レンの青い瞳には涙が溜まり、興奮しているせいか、頬が上気している。
「だから、私は城を去る決意をしたんだ。相変わらずベリアーダ様が気をかけてくださり、城を訪れる機会は多いが……本来であればベリオード様に顔向けはできない。それでも私なりに少しでもベリオード様にご協力できることがあればと……」
ラフカは苦痛に満ちたレンの姿に心を押し潰されるような思いを感じつつ、彼女の言動にわずかな違和感を覚えていた。ベリオードについて語るレンは、師匠である近衛騎士団長ゼル・ティアードを語るときよりもよほど饒舌で、表情も苦悩に満ちているのだ。
「ねえ、レン……レンの話を聞いていると、そのゼルっていうお師匠さんよりも、ベリオード様のことを気にしているように聞こえるよ……?」
「え……?」
ラフカの指摘に、レンは声にならない悲鳴のような声を漏らした。凍り付くレンの顔に、ラフカの中の違和感が予感に変わっていく。
「僕、思ったんだけど……もしかして、レンが本当に好きなのって、その騎士団長さんじゃないんじゃない?」
「何を……言っているんだ、ラフカ……?」
ラフカの問い掛けにレンが震えた。問うラフカの声も震えていた。
「もしかして、レンが心の奥で一番に想っているのって、お師匠さんじゃなくて、ベリオード様なんじゃないの……?」
「やめてくれ……違う! 違う!」
レンは乱暴にテーブルを拳で叩きながら頭を横に振る。ラフカの中の予感は確信に変わる。
「もしかして、レンはまるで生まれてこなかった双子の伴侶を求めるように、ベリオード様のことを見ていたんじゃない?」
レンの顔が蒼白になる。彼女は俯き、両手で顔を覆った。
「やめてくれ、ラフカ。私の浅ましい心の中を覗かないで……!」
レンの肩は震えていて、泣いているように見えた。レンは自分の奥底の気持ちに気付きつつも、その気持ちをすり替えて誤魔化してきたのかもしれないとラフカは考えた。
ラフカは椅子から立ち上がり、杖を突いてレンの背後に回る。
「ねえ、レン。僕、レンが好きだよ。初めて会った時からずーっと!」
そう言って、ラフカはレンに背中から抱き着いた。
「ラフカ……?」
びっくりしたように、レンは手の隙間からラフカに目線を向けた。ラフカはいたずらっ子のように笑いながら、甘えるように自分の頬を彼女の頬に摺り寄せる。
「弟とか妹みたいな感じでもいいよ。なんだったら、僕を玩具みたいに扱ってもいいの。僕をレンのそばにいさせて。それでレンの心が少しでも晴れるなら、僕はすごくハッピーだなって思えちゃうの!」
そう言って、ラフカはくすぐったそうにクスクスと笑った。レンは戸惑うような顔をラフカに向ける。
「ラフカ……私のことを気持ち悪いと思わないのか? 酷い奴だと思わないのか? 嫌いにならないのか?」
「僕はレンが大好き。だから、ずっとそばにいたいって思うだけ」
ラフカが顔をくしゃくしゃにして笑うと、やっとレンの顔からもこわばりがとれた。
「ありがとう、ラフカ。君がそばにいてくれるだけで、私もハッピーだと思える……そんな気がするよ」
少しはにかんで笑いながらそう言ったレンが愛おしくて、ラフカは彼女を抱きしめる腕に力を込めながら、レンの柔らかい頬にキスをした。
お読みくださって、ありがとうございました。
今回はレンの心情にラフカが接近するお話です。彼女が本当は何を思っていたのか。おそらく彼女自身も蓋をしてあまり見ないようにしていた心なのでしょう。
さて、事件の方はどうなっていくのか。また明日更新予定なので、読みに来て頂けたら嬉しいです。ブックマーク等も頂けたらモチベーションとなりますので、私のお話をお気に召した方がいらっしゃったらよろしくお願いします。




